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陶芸家、書家。本名房次郎。明治16年3月23日、京都・上賀茂(かみがも)神社の社家(しゃけ)の次男に生まれる。初め西洋看板のペンキ屋を開く。1904年(明治37)東京に移り、同年11月、日本美術展覧会に千字文(せんじもん)の書を出品して一等賞を受け、以後書に打ち込み、29歳からは篆刻(てんこく)も習い始めた。陶芸に手を染めたのは15年(大正4)からであるが、19年には古美術商を営み、翌年春にはそのかたわら会員制の「美食倶楽部(くらぶ)」を発足させ、さらに25年には東京麹町(こうじまち)の星岡(ほしがおか)茶寮の顧問兼料理長として料理・食器の演出に携わるなど、天衣無縫の生活を続け、美的生活に耽溺(たんでき)していった。生涯のなかで書と陶磁器にとりわけ鬼才を発揮した彼は、専門陶工ではない趣味人ならではの当意即妙な意匠の世界に新境地を開いた。しかし基本的には、中国・朝鮮・日本の古陶磁の様式の範囲を離れるものではなかった。窯は北鎌倉の山崎に築き(1926)、星岡窯と称した。昭和34年12月21日死去。
[矢部良明]
『『魯山人著作集』全2巻(1980・五月書房)』▽『吉田耕三編著『現代日本陶芸全集2 北大路魯山人』(1980・集英社)』
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陶芸家。京都上賀茂に生まれる。本名房次郎。誕生直後から愛情のない養父母のもとを転々とする。はじめ書家,篆刻(てんこく)家として名をなし,食客として長浜,京都,金沢などに逗留,各地で料理の研究もする。1925年東京赤坂山王台に同郷の友中村竹四郎と会員制の高級料亭〈星岡茶寮(ほしがおかさりよう)〉を開設,顧問兼料理長として天下に美食家の名をはせる。27年北鎌倉に星岡窯と住居を建設,荒川豊蔵などを招いてみずから食器の制作に専念する。36年星岡茶寮を離れてからは北鎌倉の窯場で料理研究と作陶に没頭するかたわら,漆芸,金工,日本画にも手を染める。彼の陶芸は,中国,朝鮮,日本の優れた古陶磁の魅力を自分なりに再生する新古典様式といえよう。54年渡米し各地で個展を開き,国際的名声を得た。
執筆者:吉田 耕三
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