国権論(読み)こっけんろん

精選版 日本国語大辞典 「国権論」の意味・読み・例文・類語

こっけん‐ろん コクケン‥【国権論】

〘名〙 明治前半期における国家主義思潮。自由民権論に対して、国家の権力を拡張し、国家の支配こそ強化されるべきだとする立場で、民権運動衰退に伴い優勢化した。⇔民権論
将来之日本(1886)〈徳富蘇峰〉一五「今や我邦に流行する国権論武備拡張主義の如きも」

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デジタル大辞泉 「国権論」の意味・読み・例文・類語

こっけん‐ろん〔コクケン‐〕【国権論】

明治初期から中期にかけて、民権論に対し、国家の独立・維持を第一義とした思潮。不平等条約の改正という国民的課題をかかえる状況の中で広く支持され、やがて国家主義や対外膨張主義へと傾いていった。

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改訂新版 世界大百科事典 「国権論」の意味・わかりやすい解説

国権論 (こっけんろん)

明治前半期の政治思想用語。国権主義と同一に用いられる。国権とは国家の権力または国家の統治権を意味するが,明治維新後,〈民権〉の語とともに,これに対抗する形で登場した。また,内治派に対して国権派などとも使用された。民権論が,人民の権利や自由が保障されて初めて国家の権力が強化・伸張される,としたのに対して,国権論は,国家の権力が強化されてこそ人民の権利や自由が保たれる,と主張するものである。しかし,国権論と民権論は必ずしも図式的に明分した形で展開されたわけではなかった。福沢諭吉の初期の思想に見られるように,個人の独立自尊と国家の独立獲得への要求がバランスを保ち,また,自由民権論者たち自身の中にも国権論が内在していたように,民権と国権とが共存していたからである。加えて,国権論には人民の基本的権利を抑えるという対人民的側面とナショナリズムという対外的側面があった。さらに,対外の面では,国権論は国家の対外的自己主張の表明にほかならず,明治前半期にはその自己主張が対欧米と対アジア諸国の2方向に対してなされた。前者の場合,欧米諸国との間の不平等条約に表れていたように,国権回復・民族独立という悲願があり,その実現の一方策としての欧化姿勢(欧化主義)があった。後者の場合は,征韓論に始まるアジア諸国に対する国権行為が指摘できる。そして,この両者には,欧米諸国に対する国権回復の前提としてのアジアにおける強力国家日本の実現という連動性があった。このように,自由民権期には民権論と国権論とが併存していたが,民権運動の高まりの中では国内の民主革命(民権)に力が注がれて国権論への偏向に歯止めがかけられていたが,運動が衰退するにつれて,対外的な国権の要求が内国の民権の要求を圧倒して優勢化し,明治20年代に入ると,アジア諸国に対する国権行為は明確に対外侵略主義に転換をとげるに至った。そうした過程の中で,イギリス,フランスの民権主義の学風に対抗して,国権主義のドイツ学の積極的摂取がなされ,文字どおり《国権論》(シュルツェHermann Schulze著,木下周一訳,1882)という書物が刊行されたり,熊本国権党などの政治結社が生み出されていった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国権論」の意味・わかりやすい解説

国権論
こっけんろん

明治時代のナショナリズム思想で、国家独立の権利を主張する論。19世紀における欧米列強の東アジア侵略という国際環境のなかで、これら列強の圧力下で結ばれた不平等条約を改正し、国家の独立を維持することは明治期の国民的課題であったから、国権論は政府、民間を問わず広く支持された。自由民権運動は、国家間の対等独立は個人の自主独立によって基礎づけられるとの考えにたち、国家に対する個人・国民の自由権利の確立、つまり民権の確立こそ国権確保の前提であると主張した。これに対し明治政府は、富国強兵スローガンを掲げ、国家あっての個人との考えにたって、民権に対する国権の優位を主張した。民権運動の衰退に伴い国権優位論が高まり、内にあっては人権や自由を制限して国家権の拡大を当然とする国家主義、外に対しては国家の独立を超えて膨張主義、侵略主義を是認する強大国志向が喧伝(けんでん)されるようになった。

[松永昌三]

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百科事典マイペディア 「国権論」の意味・わかりやすい解説

国権論【こっけんろん】

明治前半期の政治思想用語。〈民権〉の対語で,国家の権力(国権)が強化されてこそ人民の権利・自由(民権)が保たれると主張。内政では人民の基本的権利抑制,対外的には欧米との不平等条約解消,征韓論などとして現れる。自由民権運動の衰退後,ドイツ国家主義思想が積極的に摂取され(1882年ドイツ学の《国権論》刊行),明治20年代以降アジアに対する対外侵略主義を擁護した。
→関連項目改進党国民新聞

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国権論」の意味・わかりやすい解説

国権論
こっけんろん

明治時代のナショナリズム思想で,国家の独立維持に価値をおく主張。明治初年以来,政府,民権運動いずれの側にも日本の国権を確立し,独立を保持するという目標が掲げられていた。しかし 1890年代に思想界は分極化し,民権論を切捨てて帝国主義的発展を主張する「国権論」が登場した。その唱道者は,徳富蘇峰山路愛山竹越与三郎上杉慎吉らであった。特に平民主義から転向した徳富蘇峰は,政党政治を否定し,軍事力の強化によって日本帝国主義の直面する困難な課題を解決せよと主張した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「国権論」の解説

国権論
こっけんろん

国家権力の強化と伸長,国威の確立と拡張を主張する政治理論。主として明治国家確立期に説かれた思想をさし,民権論に対抗する理論として,また征韓論に始まる一連の対朝鮮侵略論や軍備拡張論と連動して主張された。とくに明治10年代後半に民権運動が衰退すると,日本の開化・欧米化の認識とともに,対外的国権拡張の意識が増長し,大日本帝国憲法の発布や日清戦争を契機に,国権主義的ナショナリズムが台頭した。思想的には,皇室中心・君権至上主義的なものから,民族・文化の優秀性を説く国粋主義的なもの,国体の特異性を強調する日本主義的なものなど多様である。いずれも,天皇制国家の専制的国民支配と対外侵略を肯定し,鼓舞する役割をはたした。

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旺文社日本史事典 三訂版 「国権論」の解説

国権論
こっけんろん

明治前期から中期にかけての国家主義・民族主義的思想
19世紀後半の欧米列強の圧力のもとで近代国家として出発することになった後進国日本が独立の地位を保つためには,上からの富国強兵策を支持する側からも,下からの民権確立を主張する側でも,国権の確立・拡張が目標とされた。しかし自由民権運動の衰えとともに民権思想と対立する立場の国権(国家)主義思想が支配的となり,対外侵略戦争遂行に向かって動員されることになった。

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