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洋画、版画、彫刻、工芸、写真の美術団体。1928年(昭和3)国画創作協会第一部(日本画)は解散したが、26年から新設された第二部(洋画、工芸、彫刻)は存続し国画会と改称したのに始まる。旧会員の梅原龍三郎(りゅうざぶろう)、川島理一郎、富本憲吉、金子九平次(くへいじ)、山脇信徳(やまわきしんとく)のほかに河野通勢(つうせい)、椿貞雄(つばきさだお)らが加わり、29年4月、最初の展覧会を、旧国画創作協会第二部併設以来の回数を追って第4回展として開催した。その後31年に平塚運一が版画部を、39年に野島康三らが写真部を設置、同年彫刻部は解散したが、旧日本美術院彫刻部の山本豊一らによって結成されたグループが加わり63年(昭和38)に再組織された。現在毎年春に公募展を開催。
[佐伯英里子]
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…22年春陽会の創立に加わったが,25年岸田劉生とともに同会を退会し,同年国画創作協会の洋画部新設に際し同会に迎えられた。28年新たに国画会を結成以後,同会の中心となって活躍する。初期のルノアールの影響の顕著な作風から脱し,浮世絵や桃山美術,琳派など日本の伝統美術からも学びとった明快で豪華な,梅原様式とよばれる装飾的画風をこれ以降展開していった。…
…26年,梅原竜三郎,川島理一郎を迎えて洋画部(第2部)を設け,27年には富本憲吉,金子九平次を迎えて工芸部と彫刻部を設けたが,翌28年,第1部の日本画部は解散した。第2部は国画会と改称,高村光太郎,河野通勢,椿貞雄らを会員に加えて再出発した。その後国画会は版画部,写真部を設け,毎年春,公募展を開催し現在に及んでいる。…
※「国画会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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