大山綱良(読み)おおやまつなよし

改訂新版 世界大百科事典 「大山綱良」の意味・わかりやすい解説

大山綱良 (おおやまつなよし)
生没年:1825-77(文政8-明治10)

幕末維新期の薩摩藩士,鹿児島県初代県令。薩摩藩士横山善助の次男で大山家を継ぐ。格之助と称した。1859年(安政6),誠忠組のメンバーが藩主島津忠義に血誓の請書を出した署名48人の一人で,寺田屋事件では,島津久光の命で志士鎮圧にあたり,また,倒幕運動で活躍した。戊辰戦争では奥羽鎮撫総督府参謀となる。69年(明治2)の藩政改革では監察局総裁,ついで鹿児島県大参事,権令を経て74年県令。75年の地方官会議では民会の設置を批判し,金禄公債発行に際しては鹿児島士族への特別措置を認めさせた。専断で県費を私学校費に流用し,私学校幹部を県官に任用,77年の西南戦争では西郷軍側に立った。西郷軍敗北後,官位剝奪,長崎で処刑された。
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朝日日本歴史人物事典 「大山綱良」の解説

大山綱良

没年:明治10.9.30(1877)
生年:文政8.11.16(1825.12.25)
幕末の薩摩藩士,初代鹿児島県令。樺山善助の次男に生まれ,大山家の養子になる。通称格之助,正円。茶坊主から立身。薩摩独自の剣術示現流の名手西郷隆盛,大久保利通らの精忠組に属して重きをなしたが,文久2(1862)年の伏見寺田屋騒動では島津久光の命に従い同志上意討ちした。翌3年の薩英戦争では軍賦役を勤め,以後も薩藩有力者として活躍,王政復古政変のため長州藩軍の上京工作に大久保と共に尽力。戊辰戦争では奥羽鎮撫参謀に任じ奥羽各地に転戦して東北諸藩鎮定に軍功あり,明治2(1869)年賞典禄800石を下賜された。4年8月鹿児島県大参事,7年同県令。征韓論政変(1873)で敗北した西郷隆盛らが帰郷して私学校を経営し中央政府への抵抗の構えをとると,県令として私学校党を全面的に支持,西南戦争でも西郷・私学校党と行動を共にしたため,10年3月官位を剥奪され,9月長崎で斬刑に処せられた。<著作>『大山綱良日誌』

(福地惇)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大山綱良」の意味・わかりやすい解説

大山綱良
おおやまつなよし
(1825―1877)

幕末の志士、明治前期の官僚。文政(ぶんせい)8年11月6日薩摩(さつま)国(鹿児島県)に生まれる。通称は格之助、角右衛門など。示現流(じげんりゅう)剣術の達人で、1862年(文久2)の寺田屋事件の際に島津久光(しまづひさみつ)の命を受けて尊攘(そんじょう)派の有馬新七(ありましんしち)らを上意討ちした。その後、薩摩藩の倒幕運動で活躍。1868年(慶応4)の戊辰(ぼしん)戦争には征討大将軍嘉彰(よしあき)親王の軍事参謀、ついで奥羽鎮撫(おううちんぶ)総督府参謀として功績をあげ、賞典禄(ろく)800石を賜った。1871年(明治4)鹿児島県参事。1873年県権令。1874年県令に昇進。1877年の西南戦争に際して西郷軍を支援し、県の公金15万円を提供した。そのため同年(明治10)9月30日長崎において斬罪(ざんざい)に処せられた。

[毛利敏彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大山綱良」の意味・わかりやすい解説

大山綱良
おおやまつなよし

[生]文政8(1825).鹿児島
[没]1877.9.30. 長崎
幕末の薩摩藩士,初代鹿児島県令。薩摩藩の茶坊主出身で通称は格之助。戊辰戦争 (1868~69) では奥羽征討総督の参謀となる。鹿児島県令のとき,第1回地方官会議で民会開設に反対。保守的思想をもち,鹿児島の私学校援助者となった。西南戦争が起ると,西郷軍を積極的に援助し,県庁に炊出し所を設け,官費約 15万円を費やした。戦後,政府は勅使を派遣して彼を召喚し,神戸に伴って捕縛,投獄し,初めは東京,次いで長崎で臨時裁判に付し,斬罪の判決を下した。

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「大山綱良」の解説

大山 綱良
オオヤマ ツナヨシ


肩書
鹿児島県令

生年月日
文政8年11月16日(1825年)

経歴
明治4年鹿児島県大参事を経て、7年初代鹿児島県令となるが、西南戦争時には公金を西郷軍に拠出したため、10年官位を奪われて処刑された。

没年月日
明治10年9月30日

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大山綱良」の解説

大山綱良 おおやま-つなよし

1825-1877 幕末-明治時代の武士,官僚。
文政8年11月6日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。文久2年島津久光の命により藩の尊攘(そんじょう)激派をきる(寺田屋事件)。明治7年初代鹿児島県令。西南戦争では積極的に西郷隆盛を支援したため,明治10年9月30日長崎で処刑された。53歳。本姓は樺山。通称は熊次郎,正円,角右衛門,格之助。著作に「大山綱良日誌」。

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旺文社日本史事典 三訂版 「大山綱良」の解説

大山綱良
おおやまつなよし

1825〜77
明治初期の官僚。初代鹿児島県令
薩摩藩出身。戊辰 (ぼしん) 戦争には奥羽征討軍参謀として活躍。藩参事を経て鹿児島県令となったが,鹿児島の特殊性を主張して地租改正や秩禄処分も指示どおりには行わなかった。西南戦争に際しては西郷隆盛を援助,乱後処刑された。

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367日誕生日大事典 「大山綱良」の解説

大山 綱良 (おおやま つなよし)

生年月日:1825年11月16日
江戸時代;明治時代の政治家;鹿児島県令
1877年没

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世界大百科事典(旧版)内の大山綱良の言及

【奥羽越列藩同盟】より

戊辰戦争に際し,東北・北陸諸藩が結んだ反薩長同盟。1868年(明治1)3月下旬,奥羽鎮撫総督九条道孝は,参謀大山綱良(つなよし),世良修蔵らとともに仙台に入り,東北諸藩に会津藩征討の命を発した。仙台藩と米沢藩は,会津藩の謝罪と寛典の斡旋を行い,閏4月11日,盛岡,二本松など14藩の重臣を仙台藩白石城に集め,総督府に列藩連署の嘆願書を提出した。…

※「大山綱良」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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