大崎八幡神社(読み)オオサキハチマンジンジャ

デジタル大辞泉 「大崎八幡神社」の意味・読み・例文・類語

おおさき‐はちまんじんじゃ〔おほさき‐〕【大崎八幡神社】

仙台市八幡町にある神社。祭神応神天皇仲哀天皇神功じんぐう皇后。現社殿は慶長12年(1607)に伊達政宗だてまさむねが建立。現存する最古の権現造りで、国宝。大崎八幡宮

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日本歴史地名大系 「大崎八幡神社」の解説

大崎八幡神社
おおさきはちまんじんじや

[現在地名]仙台市八幡四丁目

台原だいのはら段丘の延長上の丘陵、龍宝寺りゆうほうじ山頂に鎮座する。境内の広さは約一万四千四〇〇余坪で、境内には老杉巨樹が鬱蒼と茂る。明治四年(一八七一)村社に列し、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后の三神を祀る。別当寺は真言宗御室派の恵沢山龍宝寺。延暦二〇年(八〇一)坂上田村麻呂の奥州東征の際、胆沢いさわ(現岩手県)の八幡村に勧請した八幡宮を、室町期に陸奥五郡(遠田・志田・玉造・加美・黒川郡)を領有した大崎氏が遠田とおだ八幡やわた(現田尻町)に遷座し、社殿を造営し大崎八幡として厚く祀っていた(「封内風土記」など)。天正一八年(一五九〇)この地域が大崎氏から伊達氏の支配下になったのちも、伊達氏によって尊崇され、伊達政宗が居城を玉造郡岩出山いわでやま(現岩出山町)、仙台と移すに従い同社も慶長五年(一六〇〇)には岩出山へと移り、さらに仙台へ移る(同書)。政宗は城下北西の丘陵上に社殿の造営を計画し、慶長九年秋に着工(貞山公治家記録)、同一二年八月に落成している(貞山公治家記録引証記)。造営にあたった工人は大工棟梁山城の人梅村彦左衛門家次、その子梅村三十郎頼次、紀州の刑部左衛門国次であり、鍛冶は雅楽介吉定、画は佐久間左京が担当している(同書)

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改訂新版 世界大百科事典 「大崎八幡神社」の意味・わかりやすい解説

大崎八幡神社 (おおさきはちまんじんじゃ)

仙台市青葉区八幡に鎮座。応神天皇,仲哀天皇,神功皇后をまつる。もと旧奥州探題家大崎氏の総鎮守として,宮城県大崎市の旧田尻町八幡の地にあったもので,太閤仕置によって米沢から岩出山(宮城県大崎市)に移った伊達政宗が,新大崎領主としてこれを岩出山に勧請,さらにその仙台移転とともに1604年(慶長9)仙台城下に移した。米沢時代の鎮守成島八幡と合祀,成島の別当寺恵沢山竜宝寺をもってその別当寺とした。1月14日から翌朝にかけて行われるどんと祭が有名。
執筆者: 1607年完成の社殿は,いわゆる権現造で,本殿(桁行5間,梁間3間)とその前面にたつ拝殿(桁行7間,梁間3間)との間を石の間(桁行・梁間とも1間)で連結する。この形式では石の間が最も特徴的だが,同じく1607年に再建された北野天満宮が化粧屋根裏をそのままみせているのに対し,ここでは格天井を張っている。内外とも漆塗や彩色を施し,彫刻や装飾画を用い,各所に金具をうち,また屋根はこけら葺きで,拝殿の正面には千鳥破風,唐破風を設けるなど,華麗な桃山時代の特色をよく示している。なお拝殿前方の長床は割拝殿形式の建物で,屋根を入母屋造こけら葺きとし前後に軒唐破風をつける。寛文年間(1661-73)の建立である。
執筆者:

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事典・日本の観光資源 「大崎八幡神社」の解説

大崎八幡神社

(宮城県仙台市)
ふるさとみやぎ文化百選 建造物とまちなみ編」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大崎八幡神社の言及

【塩竈神社】より

…塩竈神社もその一環で,1607年(慶長12)社殿の新営が成った。このとき大崎八幡神社もともに竣功しており,おそらくこれに劣らぬ華麗を誇っていたと思われるが,この社殿は火災にあい,現社殿は4代綱村をうけて5代吉村の1704年(宝永1)成ったもの。志波彦神社を合祀,市内には御釜社がある。…

※「大崎八幡神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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