大鳥圭介(読み)オオトリケイスケ

デジタル大辞泉 「大鳥圭介」の意味・読み・例文・類語

おおとり‐けいすけ〔おほとり‐〕【大鳥圭介】

[1833~1911]江戸末期・明治初期の政治家兵庫の人。緒方洪庵・江川英竜らに蘭学兵学を学ぶ。戊辰ぼしん戦争五稜郭にこもったが降伏。のち清国・朝鮮公使として日清戦争前後外交工作を行った。枢密顧問官

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精選版 日本国語大辞典 「大鳥圭介」の意味・読み・例文・類語

おおとり‐けいすけ【大鳥圭介】

  1. 政治家。幕府の歩兵奉行となり、榎本武揚とともに箱館五稜郭にたてこもる。のち清国・朝鮮公使となり、日清戦争の外交工作にあたる。枢密顧問官。天保四~明治四四年(一八三三‐一九一一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大鳥圭介」の意味・わかりやすい解説

大鳥圭介
おおとりけいすけ
(1833―1911)

幕末から明治時代の外交官。天保(てんぽう)4年2月25日、播磨国(はりまのくに)(兵庫県)赤穂(あこう)の医師の長男に生まれる。岡山閑谷黌(しずたにこう)、大坂緒方洪庵(おがたこうあん)の適々斎塾(てきてきさいじゅく)に学ぶ。1854年(安政1)江戸に出て坪井忠益に入門、1857年江川英敏(ひでとし)(英龍(ひでたつ)の三男)の塾に入る。また幕府軍事顧問のフランス人ブリュネより兵学を学んだ。1866年(慶応2)開成所洋学教授として幕府に登用され、ついで歩兵頭並に就任して幕兵の洋式訓練にあたった。1868年(慶応4)鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦い後江戸にあって主戦論を主張、江戸開城を機に配下とともに脱走し、北関東、会津方面で抗戦、ついで榎本武揚(えのもとたけあき)とともに箱館(はこだて)で戦った。翌1869年(明治2)5月降伏、1872年まで獄中。出獄後政府に迎えられ、外債交渉で渡米、工部大学校長、元老院議官、1886年学習院院長を歴任したあと、1889年特命全権公使として清(しん)国に在勤、以後1894年まで対韓・清国との外交折衝を担当した。男爵。明治44年6月15日没。

[佐々木克]

『『幕末維新史料叢書9 幕末実戦史』(1969・新人物往来社)』『山崎有信著『大鳥圭介伝』(2010・マツノ書店)』


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改訂新版 世界大百科事典 「大鳥圭介」の意味・わかりやすい解説

大鳥圭介 (おおとりけいすけ)
生没年:1833-1911(天保4-明治44)

幕末の軍人,明治の政治家。播州赤穂の医師の子で1866年(慶応2)幕臣となった。諱(いみな)は純章,号は如風。漢学を備前の閑谷黌,蘭学を大坂の適塾に学び,さらに江戸に出て江川英敏の塾に身を寄せて幕府に推薦された。歩兵差図役頭取,歩兵頭と陸軍幹部の道を歩む。江戸開城を不満として幕兵を率いて脱走,宇都宮,会津に転戦,榎本武揚と合流して北海道に至った(五稜郭の戦)。69年(明治2)降伏入獄,72年出獄すると開拓使御用掛,大蔵小丞,陸軍省出仕,工部省出仕等を経て82年工部大学長に就任した。学習院長,華族女学校長も務める。89年特命全権公使として清国に駐在,93年朝鮮駐在公使を兼ねた。日清戦争の始まる前,病気帰国中だった圭介は命を帯びて朝鮮に急行,内政改革要求をつきつけて王宮に兵を入れ,開戦の口実をつくる役割を果たした。戦争が始まると任を解かれ帰国して枢密顧問官,1900年男爵となった。
執筆者:

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「大鳥圭介」の解説

大鳥 圭介
オオトリ ケイスケ


肩書
枢密顧問官,駐清国公使

別名
諱=純彰 号=如楓

生年月日
天保4年2月25日(1833年)

出生地
播磨国赤穂郡赤松村岩木(兵庫県)

経歴
緒方洪庵、江川太郎左衛門、中浜万次郎らにつき、蘭学、医学、砲術などを学ぶ、慶応2年幕臣となり開成所洋学教授。元治元年歩兵差図役頭取となり、フランス式の歩兵訓練にあたった。幕府倒壊に際して主戦論を唱え、五稜郭で榎本武揚らと新政府軍に抵抗、降伏後、東京で入獄。明治5年以降新政府に仕え、工部頭、工部大学長などを経て、22年駐清国公使となる。27年の東学院の乱に際して、韓国王に清国軍撤退、内政改革の実行を迫って日清戦争の端を作った。後、枢密顧問官。

没年月日
明治44年6月15日

家族
孫=大鳥 蘭三郎(慶大客員教授)

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百科事典マイペディア 「大鳥圭介」の意味・わかりやすい解説

大鳥圭介【おおとりけいすけ】

江戸末期〜明治初期の軍人,政治家,外交官。播磨(はりま)赤穂の医師の家に生まれ,緒方洪庵の適々斎塾を経て,江川太郎左衛門に師事。江川の推薦を得て幕臣となり,戊辰戦争では榎本武揚に従う。明治政府出仕後は開拓使御用掛,工部大学長,学習院長,華族女学校長などを歴任,1889年特命全権公使として清国に渡り,日清戦争前夜の外交工作を画策。
→関連項目五稜郭の戦適塾

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朝日日本歴史人物事典 「大鳥圭介」の解説

大鳥圭介

没年:明治44.6.15(1911)
生年:天保4.2.25(1833.4.14)
幕末の軍人,明治の官僚。名は純彰。如楓と号し,圭介は通称。播磨国(兵庫県)赤穂郡赤松村の医師小林直輔の子。岡山藩の閑谷黌で漢学を修め,嘉永5(1852)年,20歳で大坂の緒方洪庵に蘭学を学ぶ。安政1(1854)年,蘭方医坪井忠益 に入門,同4年伊豆韮山代官江川英敏塾で西洋兵学を修め,その推挙で江戸幕府鉄砲方付蘭書翻訳方出役となり,その後元治1(1864)年歩兵差図役勤方を拝命。のち同頭取,歩兵頭,歩兵奉行と幕府陸軍幹部の道を進む。鳥羽・伏見の戦(1868)で幕府軍が敗れて以降,主戦論の急先峰として江戸開城に異を唱え,旧幕兵を率いて関東,東北を転戦。榎本武揚軍と合流し,箱館の「蝦夷共和国」では陸軍奉行に推される。しかし,明治2(1869)年5月維新政府軍の総攻撃を受けて降伏(箱館戦争)。2年半の入獄を経,開拓使,大蔵少丞,工部技監,学習院長,特命全権清国駐箚公使,枢密顧問官を歴任。清国公使時には朝鮮駐箚公使をも兼ね,東学党の乱鎮圧に派遣された清国軍の撤兵と朝鮮の内政改革への日本の介入を主張。日清戦争への端を開いた。

(岩下哲典)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大鳥圭介」の解説

大鳥圭介 おおとり-けいすけ

1833-1911 幕末-明治時代の武士,外交官。
天保(てんぽう)4年2月25日生まれ。江戸の江川塾で兵学をまなび,幕府歩兵奉行となる。戊辰(ぼしん)戦争では榎本武揚(たけあき)にしたがい五稜郭で降伏。のち清(しん)(中国)公使となり,明治26年朝鮮駐在公使をかねて日清戦争の発端となる外交工作をおこなった。枢密顧問官。明治44年6月15日死去。79歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。本姓は小林。名は純彰。著作に「幕末実戦史」など。
【格言など】死のうと思えば,いつでも死ねる。今度は一番降参としゃれてみてはどうか(五稜郭落城に臨んで)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大鳥圭介」の解説

大鳥圭介
おおとりけいすけ

1833.2.25~1911.6.15

幕末期の幕臣,明治期の官僚政治家。播磨国生れ。幕府軍の近代化に従事し歩兵奉行となる。江戸開城に反対して関東・奥羽を転戦,蝦夷島政府陸軍奉行となるが五稜郭で降伏。出獄後,陸軍省をへて工部省で累進,1882年(明治15)元老院議官。この前後,工部大学校校長・学習院院長を務める。89年清国公使,94年朝鮮公使を兼務,日清開戦外交の一翼を担った。枢密顧問官。男爵。

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旺文社日本史事典 三訂版 「大鳥圭介」の解説

大鳥圭介
おおとりけいすけ

1833〜1911
明治時代の政治家・外交官
播州赤穂の生まれ。緒方洪庵・江川太郎左衛門らに蘭学・兵学を学び,江戸幕府の歩兵奉行となる。江戸開城に反対して脱走し五稜郭にたてこもったが降伏。のち許され,1889(明治22)年駐清公使となり,'93年駐韓公使を兼任,日清戦争直前の外交を担当した。

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世界大百科事典(旧版)内の大鳥圭介の言及

【五稜郭の戦】より

…新政府は蝦夷地に箱館府を設置し,松前藩などがこの警備に当たった。一方,旧幕府海軍副総裁榎本武揚は,1868年(明治1)8月19日,旧幕府軍艦8隻で旧幕臣やフランス人士官らとともに品川沖を脱し,途中仙台で前老中板倉勝静,同小笠原長行,前歩兵奉行大鳥圭介らを加え,総勢2800余人を乗せ,10月20日蝦夷地鷲ノ木(現,茅部郡森町)に上陸した。ついで箱館府知事清水谷公考を青森へ敗走させ,松前城を陥れ,藩主松前徳広を津軽へ逃走させた。…

※「大鳥圭介」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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