天皇誕生日の旧称。天長の語は《老子》の〈天は長く地は久し〉に由来し,すでに中国の皇帝もその誕辰の日を天長節と称していたが,日本では,775年(宝亀6)9月光仁天皇が,10月13日の誕辰の日を天長節と称し,その日百官に酺宴(ほえん)を賜い,天下諸寺の僧尼に経を読み仏道を行い,国家安泰,聖寿万歳の祈禱を行わしめ,あわせて殺生を禁断させると勅し,ついで同年10月13日初めて天長節が祝われたのが起源である。その4年後にも天長節を祝った記事が正史にあるが,以後永くすたれ,1868年(明治1)9月22日明治天皇の誕辰を天長節と称して復活した。この間,室町時代から江戸時代の記録に,天皇の誕生日に読経や内々の祝宴,祝品の贈答の行われたことがうかがえるが,宮中行事として内々天皇の誕辰が祝われていたにとどまり,国家的行事となったのは明治の復活以後である。ついで72年の太陽暦換算により9月22日を11月3日と定め,翌年1月従来の上巳,端午,七夕などの五節を廃し,神武天皇即位日(紀元節)とともに国民の祝日とした。1948年に天長節を天皇誕生日(現在は12月23日)と改めた。なお皇后の誕生日は地久節といった。
→祝祭日
執筆者:米田 雄介
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天皇の誕生日を祝った祝日。その起源は中国の唐代、748年(天宝7)にさかのぼり、玄宗皇帝が老子の「天地長久」の語に基づいて創始した。天地とともに天子の寿命の限りないことを希(ねが)うという意味で、日本では775年(宝亀6)光仁(こうにん)天皇が詔(みことのり)して、自らの誕生日を祝したという記録がある。1868年(明治1)古代の例に倣って復活し、73年紀元節とともに国家の祝日となった。当日宮中では祭儀と宴会が行われた。第二次世界大戦後は「天皇誕生日」と改称された。
[酒井信彦]
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天皇誕生日の旧称。1868年(明治元)8月制定。天皇代替りとともに変更され,明治は9月22日(改暦後は11月3日),大正は8月31日(夏休み中なので10月31日を代日),昭和は4月29日であった。四方拝(しほうはい)(元日)・紀元節・明治節とあわせて四大節とされ,官民あげて盛大な式典が催された。1948年(昭和23)7月制定の「国民の祝日」により,天皇誕生日となって存続している。
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…【山本 泰男】
[日本]
日本では古く《延喜式》に節会(せちえ)の制が規定され,なかでも元旦,白馬(あおうま),踏歌(とうか),端午(たんご),豊明(とよのあかり)の五節会が重く扱われた。武家時代には,人日(じんじつ),上巳(じようし),端午,七夕(たなばた),重陽(ちようよう)の五節句(節供)が重んじられたが,明治になって政府がまず天長節(孝明天皇誕生日。9月22日),1872年(明治5)神武天皇即位日(1月29日。…
※「天長節」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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