性の原理に基づき一定の場所への女性の立入りを禁止する習俗。〈…きんぜい〉ともいう。女性に関する宗教的タブーは多種多様であるが,一時的・限定的なタブーと永続的・恒常的なタブーとに大別できる。前者は特定の時間や場において一時的に認められるもので,神祭や正月行事などハレ(晴)の機会に女性に課される禁忌と,出産,妊娠,月経など女性特有の生理現象に伴う禁忌とがある。後者の場合は時間に制約されずつねに女性を排除すべき対象としており,これには,いうまでもなく若者組,僧侶など男性に限られる集団や組織,漁業や狩猟の習俗に認められるように男女間の労働内容の差が明確にされ,男性の労働とされるものへの女性参加が禁止されているものと,社寺や山岳など一定の聖域に女性の立入りを禁ずるものとがある。このうち,これまで女人禁制の習俗として注目されてきたのは,単に性の差にとどまらず女性を穢れ(けがれ)の多いもの,不浄なものと考える不浄観と結びついて,神祭への女性参加を禁止する習俗や,社寺,山岳などが結界(けつかい)を設けて女性の立入りを禁止する習俗であった。しかしながら,女性を不浄とする観念を本来的なものとみることには疑問がある。沖縄の神祭においては女性が中心となり,むしろ男性の方が神事の中核から排除されていること,また古代の祭祀では女性が神の妻,巫者として神意をはかり神の言葉を伝えてきたことがうかがわれることなどから,女性の不浄観に基づく禁制は後世に始まったものと考えられる。この点は,穢=不浄とする観念が原初的なものではなく,本来危機的状況を示すだけであった穢に不浄観が加わったものとされていることと符合する。
女人禁制習俗の成立については,まず男性優位の社会・観念が確立し,女性の地位が相対的に低下したこと,また神意を伝えるという女性の宗教的な役割が形骸化したこと,さらに女性を不浄なものと説く仏教の解説などが結びついて成立したといえる。仏教では,《法華経要解》に〈梵王は浄行なり,帝釈は少欲なり,魔王は堅固なり,輪王は大仁なり,仏は万徳なり,しかるに女人は染多く,欲多く,懦弱なり,妬害なり,煩悩具足して皆上に反す,故に五障と名付く〉とあり,最澄臨終の遺言に〈女人の輩は寺側に近づくことを得ざれば,何に況んや院内聖浄の地をや〉とあるように,女性を修行の妨げになる存在と位置づけ,結界を設けて女性の立入りを禁じてきた。こうした考え方はとくに聖浄を重んじ苦行を旨とする山岳修行者に受け入れられ,修験道の隆盛や山岳信仰の発展とともに広く普及したのである。修行の霊場とされる各地の山岳では,女人堂(によにんどう)が設置され,それより奥への女人の立入りを禁止してきた。このことは大峰の都藍尼(とらんに),白山の融の姥(とおるのうば),立山の止宇呂(とうろ)に代表されるように,禁制を犯して立ち入ろうとした女性が石と化した伝説(老女化石譚)を生みだし,また高野山の石童丸(いしどうまる)の伝説はよく知られたものとなっている。しかし,女人禁制を示す女人堂や姥石,比丘尼石などが山岳の中腹以下に設けられていることから,女人禁制ではなくむしろ足腰の弱い女性を誘致するために設けられたものであろうとする見解もある。寺院や山岳の女人禁制は1872年(明治5)の布告第98号によって制度的には廃止されたが,大峰山,高野山をはじめとする霊山では後々まで女人禁制を堅持してきた。一方,女人禁制・女人不浄観を前提として,逆に女人往生を説く教理が成立し,中世に形成された浄土宗・浄土真宗など新仏教が教線を拡大してきたことも注目される。
神祭,神事への女性参加を禁止する習俗も一般的である。これも仏教的女性不浄観の影響によっていっそう強められたものであるが,基本的には神事に際して神の意を伝えるという女性の役割が形式化し,巫者が男性神職の補助者にすぎなくなったように,女性の地位の低下に起因する。今日でも,古い歴史を有する名社,大社や宮座(みやざ)組織をとる祭祀などでは女人禁制,女性に関するタブーが強くあらわれている。しかし,たとえば宮座が中世以降に成立し,それが地域社会全体の組織や観念が反映されているところをみれば,神事における女人禁制の習俗も男性優位の社会組織・観念が反映されたものと理解することができ,それは出産,月経に伴う血の穢の不浄観が強まることによって一般化したといえる。沖縄の神祭のほか,西日本の沿岸部では女性が正月の若水汲み(わかみずくみ)(若水)をする習俗が認められる。こうした例は,女性不浄観や神祭への女性禁止が本来的なものではなく,社会全体のなかにおける女性の立場と深く関係していることを物語っている。また農耕民と比較して漁民,狩猟民の間で特に血の忌,女性に関するタブーが顕著に認められることも注目されるが,漁民の場合,家船や磯漁では女性に関するタブーがさほど認められないのに対して,沿岸・遠洋漁業に顕著にあらわれていることからすると,女性に関するタブーは男女間の労働内容の相違に基づく社会全体の女性観,海・山に対する観念(他界観)などと密接な関りをもつといえよう。
執筆者:宮本 袈裟雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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霊場にて一定の地域以外に女人の入るのを禁止していること。女人結界ともいい、女人は修行者の心を乱すからという。高野山(こうやさん)、比叡(ひえい)山などがよく知られている。ほかに結界を設けた全国の霊山は相当の数に上っていた。若干の例をあげると、近畿では大和(やまと)の大峰(おおみね)山が著名であり、この地方での男子は、ここに参らないと一人前の男とされないという。四国では石鎚(いしづち)山、九州では英彦(ひこ)山、中国では大山(だいせん)、北陸では白山(はくさん)・立山(たてやま)、東北では羽黒山、関東・中部では日光男体(なんたい)山・富士山があった。このような霊山の女人禁制も明治以降しだいに緩和された。富士山も明治以後は、庚申(こうしん)の年のみ御縁年(ごえんねん)として女人の登山を許していた。また高野山のように女人堂を設けてそこまでは女子の修行者も行けるようにしたものもある。今日、女人結界となっていた霊場はほとんどが解放されている。ただ修行の道場として1年のうち若干の日数を女人禁制にする例はあるようである。女人とくに巫女(みこ)が、自分は普通の者と違って神に奉仕する者であるからといって、結界を破り登山したところ、その巫女が石と化してしまったという伝説が加賀(石川県)の白山などにある。
[大藤時彦]
カトリックの男子修道院には教会法の定める女人禁制(女子修道院では男子禁制)の禁域があり、他のキリスト教派にも同様の制度がある。イスラムには女性の行動を制限するパルダー慣行があるので女人禁制の必要はないが、他の制度的宗教では男性宗教者の宗教的禁欲維持上必要な女人禁制域を設定するのが一般的である。オセアニア各地の男子集会所(メンズ・ハウス)とアフリカのバントゥー系諸族に多い男子成人式用隔離小屋は未開社会の常設女人禁制域の好例だった。分業慣行に基づく男性の日常的活動の場を女人禁制とする慣習、または祭礼・通過儀礼・宗教行事に女性を参加させない(または離れた所から参加させ主要部分を女人禁制にする)慣習も前近代社会では一般的である。男子集会所を除く女人禁制慣行には女子修道院の禁域などの男子禁制慣行が対応することも多い。もっぱら男子が従事する狩猟、航海、戦闘に関し女人(とくに月経中の)禁制慣行が発達する例が多い。
[佐々木明]
(大迫秀樹 フリー編集者/2018年)
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…女人禁制の山岳霊場では,山ろくの女人結界地付近の堂が,登山礼拝を許されない女性たちの参籠の場となり,女人堂とよばれたが,名称や信仰形態は一様ではない。越中立山のふもとでは死者をむかえる姥をまつる姥堂,吉野大峰山の旧女人結界地には役行者(えんのぎようじや)の母をまつる母公(ははこ)堂があって,ここまでは女性の参詣が認められていた。…
※「女人禁制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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