石童丸(読み)イシドウマル

デジタル大辞泉 「石童丸」の意味・読み・例文・類語

いしどうまる【石童丸】

苅萱かるかや伝説中の人物出家した父の苅萱道心を母とともに高野山に訪ねる。

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精選版 日本国語大辞典 「石童丸」の意味・読み・例文・類語

いしどうまる いしダウまる【石童丸】

[一] 和歌山県高野山の苅萱(かるかや)堂や、長野市安楽山の往生寺縁起などに伝わる人物。「苅萱堂縁起」によると一二世紀後半の人で、筑前(福岡県)苅萱の武士加藤繁氏の子。出家して苅萱道心となった父を、母と共に高野山にたずねるが、父は名乗りをせずに別れる。母に死別したのち再び高野山に登り苅萱の弟子となる。
[二] 説経節苅萱(かるかや)」の別名。作者未詳。江戸初期成る。
[三] 琵琶歌曲説経節「苅萱」に取材し、二種類ある。薩摩琵琶では、明治中期に四竈訥治(しかまとつじ)作歌、吉水経和作曲。後に永田錦心が改良。錦心流の代表曲。筑前琵琶では、初代橘旭翁(一八四八‐一九一九)が薩摩琵琶に新しく節づけしたもの。橘流奥伝の一つ。

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改訂新版 世界大百科事典 「石童丸」の意味・わかりやすい解説

石童丸 (いしどうまる)

説経《苅萱(かるかや)》に出てくる幼い主人公の名。《苅萱》のもとになる話は,中世の高野山の蓮華谷や往生院谷あたりの〈萱堂(かやんどう)〉に住む聖(ひじり)の間に生まれたもので,それが後に謡曲の《苅萱》と説経に分かれて展開したものである。説経《苅萱》の世界は,筑紫6ヵ国の所領と家族を捨てて,東山黒谷から高野山へのがれた苅萱を追って,御台所(みだいどころ)と石童丸が還俗を迫る話である。御台所と姉の千代鶴姫は死に,石童丸は父と対面しながらも,真実の父とは知らずに別れ,高野と善光寺で別々に往生するところで終わっている。石童丸については,石童の名が,石堂,石御堂,石塔といって全国に地名の多いところから考えると,石堂(辻堂)を拠点とする聖に関係する名で,塚と死者の埋葬を営む聖との深い交渉の中から生じたものであろう。なお説経《苅萱》の伝承を今日まで残し,苅萱道心と石童丸の親子地蔵をまつる寺が善光寺周辺に二つある。苅萱山寂照院西光寺と苅萱堂往生寺という。西光寺の所在が妻科村石堂(現,長野市北石堂町)西光寺となっているのは,石堂に拠る聖と幼い主人公の因縁がしのばれる一つの証しである。高野山の萱堂聖や,善光寺周辺の石堂の聖の間で語られた話を統合したものに時宗化した高野聖の存在が考えられるが,彼らは高野山と善光寺を往還しながら説経《苅萱》の成立に深く関与したことはまちがいない。父が苅萱であることを生涯知らずに終わり,母や姉の死を見とどけて荼毘(だび)にするなど,《苅萱》の主題である家族の解体と死に最後まで立ち会ったのが石童丸であった。
苅萱堂
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石童丸」の意味・わかりやすい解説

石童丸
いしどうまる

前近代に広く知られた伝説上の人物。筑前(ちくぜん)(福岡県)苅萱(かるかや)の庄(しょう)松浦(まつら)の党総領、加藤左衛門繁氏(しげうじ)の子。13歳のときに、出家していた父の苅萱道心(どうしん)を高野山(こうやさん)に訪ねたが、父はわが子と知りながら名のらずに別れる。のちに石童丸は母や姉と死別してから高野山に登り、苅萱の弟子となって道念坊と称したが、ついに親子の名のりはせず、父子ともに同時刻に往生を遂げ、信濃(しなの)善光寺の親子地蔵として祀(まつ)られる。

 この説話は、もとは説教(唱導)であり、それを広めたのは高野聖(こうやひじり)であった。『善光寺親子地蔵縁起』から謡曲『苅萱』を経て、説経浄瑠璃(じょうるり)『かるかや』が生まれ、そこから数種類の説経浄瑠璃が生じ、やがて並木宗輔(そうすけ)・丈輔(じょうすけ)作の浄瑠璃『苅萱桑門筑紫いえづと(かるかやどうしんつくしのいえづと)』(1735・豊竹座初演)ができて、石童丸の名はあまねく知られるようになった。また、1806年(文化3)には曲亭馬琴の読本(よみほん)『石堂丸苅萱物語』まで刊行され、歌舞伎(かぶき)や新内節、琵琶唄(びわうた)でも有名になった。

[関山和夫]

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百科事典マイペディア 「石童丸」の意味・わかりやすい解説

石童丸【いしどうまる】

説経節《苅萱(かるかや)》の幼い主人公の名。父の苅萱は無常を感じて出家,高野山に登って法師となった。石童丸と母,姉は父を慕って高野山に行くが,女人禁制のため石童丸一人山に登る。父はわが子と知りつつも名乗らず,帰らせる。やがて母,姉は死に,石童丸と苅萱は善光寺と高野で別々に往生する。原話の成立には高野聖の関与が考えられる。謡曲,浄瑠璃,新内などに扱われる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石童丸」の解説

石童丸 いしどうまる

説経節「苅萱(かるかや)」に登場する人物。
父は筑前(ちくぜん)(福岡県)苅萱荘の領主加藤左衛門繁氏。法然にしたがい出家した父(苅萱道心)を高野山にたずねる。父はわが子と知りつつ親と名のらず,石童丸は母と姉に死別したのち父の弟子となる。のち石童丸は高野山で,父は信濃(しなの)善光寺で同時に往生したという。この説話は高野聖(こうやひじり)によりひろめられた。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「石童丸」の解説

石童丸
(通称)
いしどうまる

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
添削筑紫𨏍
初演
天保1.3(江戸・河原崎座)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石童丸」の意味・わかりやすい解説

石童丸
いしどうまる

苅萱」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の石童丸の言及

【苅萱】より

…この話は最初,高野山の蓮華谷や往生院谷にあった萱堂(かやんどう)に住まう高野聖(ひじり)の間で醸成されたもので,のちに旅を生活の場とする説経師の手に渡り,今日に伝わる形に成長した。主人公苅萱とその子石童丸の別れ,妻や姉娘千代鶴の死など,家族の崩壊と離散を語る内容は,ひとしお哀切の思いが強い。生涯を旅に生きねばならなかった漂泊民の内面の決意が,苅萱に託され,家や家族への愛の断念という姿をとって表現されているといえよう。…

※「石童丸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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