説経《苅萱(かるかや)》に出てくる幼い主人公の名。《苅萱》のもとになる話は,中世の高野山の蓮華谷や往生院谷あたりの〈萱堂(かやんどう)〉に住む聖(ひじり)の間に生まれたもので,それが後に謡曲の《苅萱》と説経に分かれて展開したものである。説経《苅萱》の世界は,筑紫6ヵ国の所領と家族を捨てて,東山黒谷から高野山へのがれた苅萱を追って,御台所(みだいどころ)と石童丸が還俗を迫る話である。御台所と姉の千代鶴姫は死に,石童丸は父と対面しながらも,真実の父とは知らずに別れ,高野と善光寺で別々に往生するところで終わっている。石童丸については,石童の名が,石堂,石御堂,石塔といって全国に地名の多いところから考えると,石堂(辻堂)を拠点とする聖に関係する名で,塚と死者の埋葬を営む聖との深い交渉の中から生じたものであろう。なお説経《苅萱》の伝承を今日まで残し,苅萱道心と石童丸の親子地蔵をまつる寺が善光寺周辺に二つある。苅萱山寂照院西光寺と苅萱堂往生寺という。西光寺の所在が妻科村石堂(現,長野市北石堂町)西光寺となっているのは,石堂に拠る聖と幼い主人公の因縁がしのばれる一つの証しである。高野山の萱堂聖や,善光寺周辺の石堂の聖の間で語られた話を統合したものに時宗化した高野聖の存在が考えられるが,彼らは高野山と善光寺を往還しながら説経《苅萱》の成立に深く関与したことはまちがいない。父が苅萱であることを生涯知らずに終わり,母や姉の死を見とどけて荼毘(だび)にするなど,《苅萱》の主題である家族の解体と死に最後まで立ち会ったのが石童丸であった。
→苅萱堂
執筆者:岩崎 武夫
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前近代に広く知られた伝説上の人物。筑前(ちくぜん)(福岡県)苅萱(かるかや)の庄(しょう)松浦(まつら)の党総領、加藤左衛門繁氏(しげうじ)の子。13歳のときに、出家していた父の苅萱道心(どうしん)を高野山(こうやさん)に訪ねたが、父はわが子と知りながら名のらずに別れる。のちに石童丸は母や姉と死別してから高野山に登り、苅萱の弟子となって道念坊と称したが、ついに親子の名のりはせず、父子ともに同時刻に往生を遂げ、信濃(しなの)善光寺の親子地蔵として祀(まつ)られる。
この説話は、もとは説教(唱導)であり、それを広めたのは高野聖(こうやひじり)であった。『善光寺親子地蔵縁起』から謡曲『苅萱』を経て、説経浄瑠璃(じょうるり)『かるかや』が生まれ、そこから数種類の説経浄瑠璃が生じ、やがて並木宗輔(そうすけ)・丈輔(じょうすけ)作の浄瑠璃『苅萱桑門筑紫いえづと(かるかやどうしんつくしのいえづと)』(1735・豊竹座初演)ができて、石童丸の名はあまねく知られるようになった。また、1806年(文化3)には曲亭馬琴の読本(よみほん)『石堂丸苅萱物語』まで刊行され、歌舞伎(かぶき)や新内節、琵琶唄(びわうた)でも有名になった。
[関山和夫]
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…増加する門弟を組織して1908年には一水会を発足させ活躍したので,この一派は錦心流と呼称されるようになった。《石童丸》ほか多数の作品の創作があり,その教習および演奏によって全国的なレベルで隆盛し,御前演奏をもつとめた。他の邦楽ジャンルや美術,文芸その他にも実践的に通暁しており,そのために伝統的語法を十分に尊重しながら新しい芸術表現を追求する方法ができたといえる。…
…この話は最初,高野山の蓮華谷や往生院谷にあった萱堂(かやんどう)に住まう高野聖(ひじり)の間で醸成されたもので,のちに旅を生活の場とする説経師の手に渡り,今日に伝わる形に成長した。主人公苅萱とその子石童丸の別れ,妻や姉娘千代鶴の死など,家族の崩壊と離散を語る内容は,ひとしお哀切の思いが強い。生涯を旅に生きねばならなかった漂泊民の内面の決意が,苅萱に託され,家や家族への愛の断念という姿をとって表現されているといえよう。…
※「石童丸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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