岡田三郎助(読み)オカダサブロウスケ

デジタル大辞泉 「岡田三郎助」の意味・読み・例文・類語

おかだ‐さぶろうすけ〔をかだサブラウすけ〕【岡田三郎助】

[1869~1939]洋画家。佐賀の生まれ。黒田清輝らに学び、のちフランスに留学し、ラファエルコラン師事外光派的作風の風景画と日本的情趣の装飾的女性像を描いた。また、舞台美術・図案・工芸の分野にも貢献。第1回の文化勲章受章

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精選版 日本国語大辞典 「岡田三郎助」の意味・読み・例文・類語

おかだ‐さぶろうすけ【岡田三郎助】

  1. 洋画家。佐賀県生まれ。黒田清輝らの影響を受け、白馬会創立参加東京美術学校教授。帝国芸術院会員。文化勲章受章。代表作あやめの衣」など。明治二~昭和一四年(一八六九‐一九三九

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20世紀日本人名事典 「岡田三郎助」の解説

岡田 三郎助
オカダ サブロウスケ

明治〜昭和期の洋画家



生年
明治2年1月12日(1869年)

没年
昭和14(1939)年9月23日

出生地
佐賀県佐賀市

旧姓(旧名)
石尾

別名
幼名=芳三郎

主な受賞名〔年〕
文化勲章(第1回)〔昭和12年〕

経歴
旧鍋島藩士石尾孝基の三男。18歳で岡田正蔵の養子となり、曽山幸彦の洋画塾に入門。のち堀江正幸、松室重剛に学んだ。明治26年にフランスから帰国した黒田清輝、久米桂一郎らの指導を受け、外光派風の明るい画風に変わった。29年27歳で東京美術学校西洋画科助教授となり、同年白馬会創立に参加。30年文部省留学生としてフランスに渡り、ラファエル・コランに師事、35年帰国、教授となった。37歳の時小山内薫の妹八千代と結婚。40年文展審査員、大正元年藤島武二と本郷洋画研究所を設立。8年帝国美術院会員、昭和5年文部省命で欧州出張、9年帝室技芸員、12年第1回文化勲章受章。代表作に「矢調べ」「初冬晩暉」「読書」「紫の調(某夫人の肖像)」「大隈伯夫人像」「ヨネ桃の林」「水浴の前」「あやめの衣」「山中湖畔」「伊豆山風景」「支邦絹の前」「編物」などがある。

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百科事典マイペディア 「岡田三郎助」の意味・わかりやすい解説

岡田三郎助【おかださぶろうすけ】

洋画家。佐賀県生れ。曾山幸彦に洋画を学び,黒田清輝久米桂一郎らから外光派の技法を学ぶ。1896年白馬会創立に参加。翌年渡仏してR.コランに師事,1902年東京美術学校教授となる。また藤島武二と本郷絵画研究所を設立。1937年第1回文化勲章。華麗な格調高い画風で知られ,代表作は《某婦人の肖像》《水浴の前》など。
→関連項目児島善三郎古沢岩美三岸節子

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改訂新版 世界大百科事典 「岡田三郎助」の意味・わかりやすい解説

岡田三郎助 (おかださぶろうすけ)
生没年:1869-1939(明治2-昭和14)

洋画家。佐賀市に生まれ,4歳のときに上京。東京の旧鍋島藩邸に寄寓し,邸内にあった百武兼行の滞欧作品をみて洋画家を志す。はじめ曾山幸彦の画塾で指導をうけ,後に同郷の久米桂一郎の紹介で黒田清輝を知り,白馬会の創設に参加。黒田の後継者の一人として,同時代の藤島武二とともに官展系洋画家の中心的な存在となる。1897年に渡仏し,パリでR.コランの指導をうけて厳格な画面構成と色彩の重要性を知る。1902年に帰国し,以後,東京美術学校教授として後進の指導にあたる。外柔内剛,温厚篤実の人であったと言われ,作品も性格を反映して温和で平明な印象をあたえるものが多い。作品主題の中心は裸婦ないし女性像で,繊細な描法と甘美な色彩をもつ。《あやめの衣》(1927),《坐裸婦》(1937)などは,色彩表現の巧者の一面をいかんなく発揮した代表作である。1937年第1回文化勲章を受章。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岡田三郎助」の意味・わかりやすい解説

岡田三郎助
おかださぶろうすけ

[生]明治2(1869).1.12. 佐賀
[没]1939.9.23. 東京
洋画家。鍋島藩士石尾孝基の三男で,1887年岡田家の養子となった。百武兼行の作品に出会って洋画家を志し,曾山幸彦に師事。次いで同郷の久米桂一郎より黒田清輝に紹介され,その指導を受けた。 95年第4回内国勧業博覧会で『初冬晩暉』が3等賞を獲得。翌年東京美術学校助教授となり白馬会の創立にも参加。 97年渡仏して R.コランに師事。 1902年帰国後は再び東京美術学校の教壇に立ち,また 12年藤島武二と本郷絵画研究所を設立した。 30年文部省の命でヨーロッパの美術,工芸を視察。画風は繊細な雅趣に富み,人物画,風景画を得意とした。文展の中心として活躍し,文展審査員,帝国美術院会員,帝室技芸員をつとめ,37年文化勲章を受章。主要作品『某夫人の肖像』 (1907,ブリヂスチン美術館) ,『水浴の前』 (16,同) ,『ヨネ桃の林』 (16) ,『あやめの衣』 (27,福富太郎コレクション) ,『婦人半身像』 (36,東京国立近代美術館) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡田三郎助」の意味・わかりやすい解説

岡田三郎助
おかださぶろうすけ
(1869―1939)

洋画家。明治2年1月12日佐賀県に生まれる。初め曽山幸彦(そやまゆきひこ)につき、のち黒田清輝(せいき)に外光派の技法を学ぶ。1896年(明治29)白馬会の創立に参加し、新設の東京美術学校西洋画科の助教授となる。翌年フランスに留学してラファエル・コランに師事、ヨーロッパ各国を見学して、1902年(明治35)帰国し東京美術学校教授となる。07年東京勧業博覧会で『某夫人像』が一等賞となり、また第1回文展から審査員を務める。12年、藤島武二(たけじ)と本郷洋画研究所を設立、のち帝国美術院会員、帝室技芸員となり、37年(昭和12)には第1回文化勲章を受けた。30年の第2回欧州旅行の目的は美術工芸の視察だったが、早くから工芸、図案などの発展に尽くしている。外光主義の風景画と、装飾的女性像に典雅な日本情趣を示した。代表作『ヨネ桃の林』『あやめの衣』『婦人半身像』ほか。昭和14年9月23日没。夫人の岡田八千代(小山内薫(おさないかおる)の妹)は小説家、劇作家として知られる。

[小倉忠夫]

『『現代日本の美術7 岡田三郎助他』(1975・集英社)』


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「岡田三郎助」の解説

岡田三郎助
おかださぶろうすけ

1869.1.12~1939.9.23

明治~昭和前期の洋画家。佐賀県出身。旧姓石尾。曾山幸彦・堀江正章,ついで天真道場で黒田清輝・久米桂一郎に学び,1896年(明治29)白馬会の創立に参加。97年渡仏し,ラファエル・コランに師事した。1902年東京美術学校教授,12年(大正元)本郷洋画研究所設立。19年帝国美術院会員となる。37年(昭和12)第1回文化勲章受章。作品「紫の調」「あやめの衣」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田三郎助」の解説

岡田三郎助 おかだ-さぶろうすけ

1869-1939 明治-昭和時代前期の洋画家。
明治2年1月12日生まれ。曾山幸彦,黒田清輝にまなぶ。明治30年からはフランスでコランに師事する。帰国後,東京美術学校(現東京芸大)教授。大正元年本郷洋画研究所を設立。帝国美術院会員。昭和12年第1回文化勲章。昭和14年9月23日死去。71歳。肥前佐賀出身。旧姓は石尾。幼名は芳三郎。代表作に「某夫人像」「読書」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「岡田三郎助」の解説

岡田三郎助
おかださぶろうすけ

1869〜1939
明治〜昭和期の洋画家
佐賀県の生まれ。黒田清輝に師事し近代西洋画の研究を深め,白馬会に参加。東京美術学校の助教授となり,フランスへ留学しラファエル=コランに学び,帰国後同校教授。日本画と油絵の統一を追究した。1937年,第1回文化勲章を受章。代表作に『某婦人の肖像』など。

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367日誕生日大事典 「岡田三郎助」の解説

岡田 三郎助 (おかだ さぶろうすけ)

生年月日:1869年1月12日
明治時代-昭和時代の洋画家。東京美術学校教授
1939年没

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世界大百科事典(旧版)内の岡田三郎助の言及

【印象主義】より

…この新風は,96年,東京美術学校に西洋画科が設けられて黒田がその主任となり,またそれまでの明治美術会に対して黒田を中心とする白馬会が結成されるに及んで大きな力となり,従来の旧派,脂(やに)派に対して,新派,紫派と呼ばれて,その後の日本洋画の中心的傾向となった。この傾向は,黒田の弟子の岡田三郎助,和田英作(1874‐1959),湯浅一郎(1868‐1931),中沢弘光(1874‐1964),藤島武二らに受け継がれ,青木繁も,一時印象派風の海浜風景を描いた。明治末年になると,南薫造(みなみくんぞう)(1883‐1950),有島生馬,山下新太郎(1881‐1966)らの新帰朝者たちによってさらに刺激が与えられ,明るい色彩,大きな筆触を特色とする印象派風の外光表現は,日本洋画の確固とした一つの流れとなった。…

※「岡田三郎助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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