東京出身の作曲家。1908年東京音楽学校本科を卒業。続いて母校で教鞭をとるかたわら,文部省が行った邦楽の調査研究にもたずさわる。18年,弘田竜太郎,大和田愛羅ら同窓の音楽家とともに〈如月社〉を結成し,西欧の音楽を受容しつつ新しい日本音楽を創造する方向を探る。この探求は,やがて尺八の吉田晴風や箏の宮城道雄と組んでの新日本音楽運動へと発展する。同時に山田耕筰や中山晋平らとともに大正から昭和にかけての童謡運動に深く身を投じ,《金の船》《童話》などの雑誌に多くの作品を発表した。主要作品は,おとぎ歌劇《月の国》(1909),ピアノ曲《数え唄バリエーション》(1910),童謡の《めえめえ小山羊》《汽車ポッポ》《七つの子》《十五夜お月さん》など。作品集に金田一春彦編《本居長世作品選集》(1982),また詳細な評伝に金田一春彦著《十五夜お月さん 本居長世 人と作品》(1983)がある。
執筆者:後藤 暢子
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…保守的な邦楽界は冷淡だったが,文化人,評論家,洋楽作曲家の注目を浴び,しだいに各界人士の支持・後援を得るにいたる。20年洋楽系の本居長世との合同作品発表会の際に吉田の発案で〈新日本音楽〉と銘打ったが,以来これが宮城,吉田らの新作活動の通称となった。23年以来宮城は初世中尾都山とも提携,帯同して各地を巡演,都山流の組織により宮城曲は全国的に普及する。…
※「本居長世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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