松岡駒吉(読み)マツオカコマキチ

デジタル大辞泉 「松岡駒吉」の意味・読み・例文・類語

まつおか‐こまきち〔まつをか‐〕【松岡駒吉】

[1888~1958]労働運動家・政治家鳥取の生まれ。日本労働総同盟会長社会民衆党社会大衆党中央委員、第二次大戦後は日本労働組合総同盟会長、衆議院議長歴任

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精選版 日本国語大辞典 「松岡駒吉」の意味・読み・例文・類語

まつおか‐こまきち【松岡駒吉】

  1. 労働運動家。鳥取県出身。郵便夫などを経て、室蘭製鋼所入社。大正三年(一九一四友愛会に加入、以後日本労働総同盟会長、社会民衆党・社会大衆党幹部として活躍。第二次世界大戦後、日本労働組合総同盟を再建、会長となる。衆議院議長。明治二一~昭和三三年(一八八八‐一九五八

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20世紀日本人名事典 「松岡駒吉」の解説

松岡 駒吉
マツオカ コマキチ

大正・昭和期の労働運動家,政治家 衆院議長(社会党);総同盟会長。



生年
明治21(1888)年4月8日

没年
昭和33(1958)年8月14日

出生地
鳥取県岩美郡岩美町

学歴〔年〕
岩井高小〔明治35年〕卒

経歴
15歳で舞鶴海軍工廠の旋盤工となったあと、室蘭の日本製鋼所に移って総同盟の前身の友愛会室蘭支部長となってから労働運動一筋に。大正7年には本部主事となったが、骨の髄まで反共に徹した労使協調主義クリスチャンで、12年には共産主義グループとの対立から主事を辞任する。その後15年に西尾末広らと社会民衆党を結成、さらに社会大衆党中央委員等を務めたあと、昭和7年に日本労働組合会議副議長、総同盟組合長となり、10年に日本労働総同盟が結成されると会長に就任した。15年に政府が労働組合を産業報国会に統合したとき、これに抵抗して自ら総同盟を解体、世捨て人同様になった。戦後間もなく全国単一組織の労働組合結成を呼びかけ、21年の再建総同盟(日本労働組合総同盟)発足と同時に会長に就任。一方、戦後の社会党の結成に参加し、21年から衆院議員に当選6回。この間、22年に片山内閣が成立したあと、22年から24年まで、憲政史上ただ1人の社会党出身の衆院議長を務めた。

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「松岡駒吉」の解説

松岡 駒吉
マツオカ コマキチ


肩書
衆院議長(社会党),総同盟会長

生年月日
明治21年4月8日

出生地
鳥取県岩美郡岩美町

学歴
岩井高小〔明治35年〕卒

経歴
15歳で舞鶴海軍工廠の旋盤工となったあと、室蘭の日本製鋼所に移って総同盟の前身の友愛会室蘭支部長となってから労働運動一筋に。大正7年には本部主事となったが、骨の髄まで反共に徹した労使協調主義のクリスチャンで、12年には共産主義グループとの対立から主事を辞任する。その後15年に西尾末広らと社会民衆党を結成、さらに社会大衆党中央委員等をつとめたあと、昭和7年に日本労働組合会議副議長、総同盟組合長となり、10年に日本労働総同盟が結成されると会長に就任した。15年に政府が労働組合を産業報国会に統合したとき、これに抵抗して自ら総同盟を解体、世捨て人同様になった。戦後間もなく全国単一組織の労働組合結成を呼びかけ、21年の再建総同盟(日本労働組合総同盟)発足と同時に会長に就任。一方、戦後の社会党の結成に参加し、21年から衆院議員に当選6回。この間、22年に片山内閣が成立したあと、22年から24年まで、憲政史上ただ1人の社会党出身の衆院議長を務めた。

没年月日
昭和33年8月14日

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改訂新版 世界大百科事典 「松岡駒吉」の意味・わかりやすい解説

松岡駒吉 (まつおかこまきち)
生没年:1888-1958(明治21-昭和33)

労働運動家,政治家。鳥取県に生まれる。高等小学校卒業後,舞鶴海軍工厰など各地を転々とするが,室蘭製鋼所当時,キリスト教社会主義に共鳴し労働運動にかかわりはじめる。1914年友愛会に加入し,同室蘭支部幹事を経て本部に入り,32年に日本労働総同盟会長となる(この時期,社会大衆党,社会民衆党の幹部も歴任)。いわゆるインテリの指導者と異なり現実的な立場をとりつづけたとの評価のある一方,共産主義者をはじめとする左派には厳しい態度をとった。また産業報国運動への参加には消極的立場をとり菊川忠雄らとたもとを分かった。第2次大戦直後から労働運動再建に着手,日本労働組合総同盟(総同盟)会長となり,46年から衆議院議員当選6回。第1回から第4回国会まで衆議院議長,その後,総同盟,日本社会党の顧問を務めた。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松岡駒吉」の意味・わかりやすい解説

松岡駒吉
まつおかこまきち
(1888―1958)

労働運動家、政治家。明治21年4月8日鳥取県生まれ。高等小学校卒業。舞鶴(まいづる)海軍工廠(こうしょう)を経て1910年(明治43)室蘭(むろらん)の日本製鋼所に入職。1914年(大正3)友愛会に入会し、1917年実務的手腕を評価され本部入りして翌1918年主事に就任。以後、日本労働総同盟第一次分裂では左派除名を推進するなど右派の中心人物として「健実なる労働組合主義」、労資協調路線の確立に努め、1932年(昭和7)総同盟会長、1935年日本労働組合会議議長など労働運動界のトップ・リーダーの位置に座った。日中戦争開始後は銃後協力を掲げるが、産業報国運動には抵抗した。第二次世界大戦後ただちに組合再建に乗り出し、1946年(昭和21)総同盟および全繊同盟会長となる。また日本社会党結成大会で議長を務め、1946年総選挙以来当選6回(東京2区)、新憲法下の初代衆議院議長に就任した(1947~1949)。右派社会党顧問などを歴任し、昭和33年8月14日没。

[荒川章二]

『中村菊男著『松岡駒吉伝』(1963・経済往来社)』『総同盟五十年史刊行委員会編・刊『総同盟五十年史』全3巻(1964~1968)』

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百科事典マイペディア 「松岡駒吉」の意味・わかりやすい解説

松岡駒吉【まつおかこまきち】

労働運動家,政治家。鳥取県生れ。1914年友愛会入会。1917年友愛会大阪連合会を組織,1932年―1940年日本労働総同盟会長。1945年日本社会党結成に参画。1946年日本労働組合総同盟を結成,会長に就任,1947年以降衆議院議員。第1〜4国会で衆議院議長。
→関連項目全日本労働総同盟

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松岡駒吉」の意味・わかりやすい解説

松岡駒吉
まつおかこまきち

[生]1888.4.8. 鳥取,岩美
[没]1958.8.14. 東京
政治家,労働運動家。 1914年友愛会に入り,室蘭支部長となり,のち友愛会を日本労働総同盟に脱皮させ,同会長。「健全なる組合主義」を唱え,第2次世界大戦前の労働運動界の中心人物となった。第2次世界大戦後は,日本労働組合総同盟を再建し会長に就任,かつ日本社会党の結成にも参加。 46年衆議院議員,翌年の片山哲内閣成立時には衆議院議長となった。社会党では西尾末広とともに右派の長老として実力をふるったが,健康もすぐれず,その後の労働運動にはほとんど影響力をもたなかった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松岡駒吉」の解説

松岡駒吉 まつおか-こまきち

1888-1958 大正-昭和時代の労働運動家,政治家。
明治21年4月8日生まれ。大正3年友愛会(のち日本労働総同盟)に加入,昭和7年鈴木文治のあとをうけて会長となる。11年全日本労働総同盟の結成で会長。20年社会党結成大会の議長をつとめる。また労働組合運動再建の中心となり,21年日本労働組合総同盟会長。同年衆議院議員(当選6回)。22年衆議院議長。昭和33年8月14日死去。70歳。鳥取県出身。

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367日誕生日大事典 「松岡駒吉」の解説

松岡 駒吉 (まつおか こまきち)

生年月日:1888年4月8日
大正時代;昭和時代の労働運動家;政治家。衆議院議長;総同盟会長
1958年没

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