サンスクリット名Vaiśravaṇaを写したもので多聞天とも訳す。古代インド神話中のクベラ(Kuvera,俱尾羅)が仏教にとり入れられた。拘毘羅(くびら)毘沙門と称されることもある。四天王の一尊として北方をつかさどり,また財宝富貴をも守るといわれる。密教においては十二天の一尊であり,やはり北方に位置される。形像は,甲冑を着る武神像で,左手の掌上に宝塔をのせ,右手に宝棒を持ち2邪鬼の上に乗る姿が一般的である。四天王の一尊として造られた像は立像であり,単独に造像された場合に両脇侍として吉祥天と善膩師(ぜんにし)童子が加えられることが多い。脇侍像がある例は高知雪蹊寺の像が著名である。なお,異形の像としては西域の兜跋(とばつ)国に化現した像を写したと伝える兜跋毘沙門天があり,空海請来の伝承がある教王護国寺(東寺)像(唐時代,国宝)が日本におけるこの系統の手本となった。また日本では持国天とともに二天王の一つとして造像されることも多い。
執筆者:関口 正之
毘沙門天は,仏教で護法神として説かれ,八大薬叉大将,二十八使者を眷属として従える。護国護法の神として崇敬され,中国唐代の西蕃の入寇(にゆうこう)に際して,不空三蔵がこの神に祈願したところ,霊験があらわれ敵を退けることができたという。日本でも,平安時代,王城守護のために平安京羅城門上に,同京の北方鎮護のために鞍馬寺に,それぞれ毘沙門天が安置された。また大和朝護孫子寺(通称信貴山)の本尊毘沙門天は,平安末期の《信貴山縁起絵巻》の霊験譚によってことに著名である。楠木正成もこの本尊の申し子といわれる。福富財富の神としても尊崇を集め,《宇治拾遺物語》には越前国の伊良縁(いらえ)の世恒の霊験譚を載せる。のち七福神の一としてあつく信仰された。
執筆者:和多 秀乗
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仏教の護法神。サンスクリット語バイシュラバナVaiśravanaを吠室囉末拏などと音写し、転じて毘沙門天となる。多聞(たもん)天、遍聞(へんもん)天とも称する。インドのベーダ時代からの神で、ヒンドゥー教ではクベーラkuberaの異名をもつ。もとは暗黒界の悪霊の主であったが、ヒンドゥー教では財宝、福徳をつかさどる神となり、夜叉(やしゃ)、羅刹(らせつ)を率い、帝釈(たいしゃく)天に属して北方を守護する神とされていた。仏教では四天王の一尊で須弥山(しゅみせん)の北方に住し、多数の夜叉を眷属(けんぞく)として閻浮提(えんぶだい)州の北方を守る護法の善神とされた。その形像は甲冑(かっちゅう)を身に着け、憤怒(ふんぬ)の相をし、左手に宝塔を捧(ささ)げ、右手に宝棒または鉾(ほこ)を執(と)り、二夜叉(鬼)の上に座る。また十二天の一とされるが、わが国では単独としても古来から信仰された。信貴山(しぎさん)(朝護孫子寺(ちょうごそんしじ))では毘沙門天を本尊としており、楠木正成(くすのきまさしげ)はその申し子として幼名を多聞丸と称するなど、武将の信仰が厚かった。また平安時代には、王城鎮護のため北方に建てられた鞍馬(くらま)寺に左手をかざした毘沙門天像を安置したり、さらに東寺(教王護国寺)の兜跋(とばつ)毘沙門天像のように密教において特別の彫像も現れるに至った。後世、武将形のまま七福神の一つに数えられ、福徳を授ける神として民間に信仰された。
[江口正尊]
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…元三大師は天台宗良源上人のことで,正月の厄払いの機能をもっており,正月の縁日は人口に膾炙(かいしや)している。七福神の一つ毘沙門天は,1月,5月,9月の最初の寅の日が縁日,とくに正月の初寅の縁日が知られる。大黒天は年に6回ある甲子(きのえね)の日で,とくに11月の縁日が重んじられた。…
…インドの叙事詩やプラーナでは,この山はシバŚiva神の住居として,その麓にあるマーナサ湖とともにしばしば登場する。また,世界の四守護神の一つで,北方をつかさどるクベーラKubera神(別名バイシュラバナVaiśravaṇa,毘沙門天(びしやもんてん))の宮殿もこの山にあるといわれる。仏教の宇宙論におけるスメールSumeru山(須弥山(しゆみせん))がこの山と同一視されることもしばしばある。…
…唐僧鑑真の高弟の鑑禎が770年(宝亀1)夢告によって開いたとも,また造東寺長官の藤原伊勢人が796年(延暦15)に創建したともいう。本尊は毘沙門天。北方の王城鎮護の寺として公武の信仰あつく,はじめ真言宗,平安末から天台宗に転じ,その後は延暦寺の末寺。…
…福徳をもたらす神として信仰される7神。えびす(夷,恵比須),大黒天,毘沙門天(びしやもんてん),布袋(ほてい),福禄寿,寿老人,弁才天の7神をいうが,近世には福禄寿と寿老人が同一神とされ,吉祥天もしくは猩々(しようじよう)が加えられていたこともある。福徳授与の信仰は,狂言の《夷大黒》《夷毘沙門》などにもみられ,室町時代にはすでに都市や商業の発展にともなって広まっていたものと思われる。…
…須弥山(しゆみせん)の中腹にある四天王天(または四大王天,四王天)の四方に住んで仏法を守護する4体の護法神。四大天王,四王,護世四王ともいう。東方に持国天(提頭頼吒(だいずらた)の訳),南方に増長天(毘楼勒叉(びるろくしや)),西方に広目天(毘楼博叉(びるばくしや)),北方に多聞天(毘沙門)が位置する。《増一阿含経(ぞういちあごんきよう)》や《阿育王経(あいくおうきよう)》には,四天王が釈尊のもとに現れて帰依したことや,釈尊の涅槃(ねはん)の後に仏法を守護することを釈尊から託されたことを記し,《金光明最勝王経》には,四天王が釈尊に対し本経を信奉する人々とその国家を守護することを誓ったことが説かれている。…
…12の天部は四方(東西南北)と四維(南東,南西,北西,北東)の8方と上方,下方の10方位に配置される十尊と日天(につてん),月天(がつてん)である。すなわち,帝釈天(たいしやくてん)(東),火天(かてん)(南東),閻魔天(えんまてん)(南),羅刹天(らせつてん)(南西),水天(すいてん)(西,バルナ),風天(ふうてん)(北西),毘沙門天(びしやもんてん)(北),伊舎那天(いしやなてん)(北東),梵天(ぼんてん)(上),地天(ちてん)(下),日天,月天となる。十二天像は画像で表現される。…
…西域の兜跋国に出現したと伝える,特異な形式の毘沙門天像に対する名称。兜跋国とはトゥルファン(吐魯蕃)であるともいわれるが諸説がある。…
…《弁慶物語》などでも,弁慶は太刀,飾りの黄金細工,鎧(よろい)などを五条吉内左衛門,七条堀河の四郎左衛門,三条の小鍛冶に作らせていて,炭焼・鍛冶の集団の中で伝承されたとする金売吉次伝説との交流を思わせる。 鍛冶の集団は毘沙門天(びしやもんてん)を信仰していたから,《義経記》の中で鞍馬(くらま)寺が大きな比重を占めるのも,鍛冶の集団の中で伝承され成長した物語が《義経記》の中に流れ込んだためとも考えられる。また,山伏と鍛冶との交流も考えられるが,問題はそれらの個々の伝承者を離れて,弁慶が典型的な民間の英雄として,その像がどのような種類の想像力によって生成されたかを解明することであろう。…
…形が怪奇なのとかまれるとはれて激痛があるので恐れられる。ハガチ,ムカゼなどの方言があり,天部の一つである毘沙門天の使わしめという信仰があって,これを尊敬する寺(鞍馬寺)や地方がある。また関東では赤城山の神がムカデの姿であると伝えられ,赤城神社の鳥居にはこの虫が彫刻されている。…
※「毘沙門天」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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