東京都渋谷区の南部、JR渋谷駅を中心とする地区。かつて渋谷川の谷が入り江であったころ、海浜で塩谷の里といったこと、あるいは鎌倉時代に相模国(さがみのくに)の渋谷氏の所領であったことが地名の由来という。東の青山台地と西の南平台(なんぺいだい)などの台地の間に渋谷川の谷あいがあり、大山(おおやま)街道筋(すじ)の交通上の要地を占め、駅東方の宮益坂(みやますざか)は茶屋などの立場(たてば)(休息場)でにぎわった。その近くにある渋谷八幡(はちまん)は江戸八所八幡の一つで、渋谷重家(しげいえ)(生没年不詳)が当社に祈って金王丸(こんのうまる)とよぶ武勇で名をあげた男子を得たことから金王八幡ともよばれる。その付近が渋谷氏の城跡ともいわれ、古くから要地であったことがわかる。一方、西方の坂は道玄坂(どうげんざか)で、和田義盛(よしもり)の残党の道玄が山賊をはたらいた所という。現在も交通の要地で、JR山手(やまのて)線・埼京(さいきょう)線、東急電鉄東横線・田園都市線(旧、新玉川線)、京王電鉄井の頭線(いのかしらせん)、東京地下鉄銀座線・半蔵門線(はんぞうもんせん)・副都心線が通る。さらに首都高速道路と青山通りが並行して、また明治通りがJR山手線沿いに走り、日夜交通量が多い。
1930年(昭和5)前後、郊外電車が開通、さらに1938年に東京高速鉄道(現、東京地下鉄銀座線)が通じて郊外の住宅地と都心を結ぶターミナルとして急速に発展していった。1933年には東横デパート(東急百貨店東横店。2020年3月で営業を終了)の工事が始まり、1956年(昭和31)に東急文化会館ができるなど、東急系資本の果たした役割は大きい。なお、東急文化会館は2003年(平成15)閉鎖され、その跡地には2012年に渋谷ヒカリエが開業した。東急百貨店本店、東急プラザ渋谷のほか、西武百貨店渋谷店、渋谷パルコなどの大型小売店舗も進出し、渋谷駅周辺、とくに道玄坂方面は、新宿、池袋と並ぶ山手の副都心のショッピングとアミューズメントの街として繁栄している。2000年には帝都高速度交通営団(現、東京地下鉄。通称・東京メトロ)、東京急行電鉄(現、東急電鉄)、京王電鉄3社により駅に直結する複合施設(ホテル、事務所、店舗)である渋谷マークシティが開業した。ハチ公口の駅前広場にある忠犬ハチ公の銅像は、主人の死を知らずに11年間も主人の帰りを待ち続けたという場所に1934年建立、1948年再建され、渋谷のシンボルとして待ち合わせ場所となっている(1989年に数メートル西へ移動)。渋谷の東方には青山学院大学、聖心女子大学、国学院大学など学園地区がある。ハチ公の銅像から北方、NHK放送センター、国立代々木競技場(こくりつよよぎきょうぎじょう)、渋谷区総合庁舎に至る坂道は公園通りとよばれ、若者向けのファッションの街を形成。その東方には、JR山手線に沿って複合施設MIYASHITA PARK(ミヤシタパーク)(2020年開業)があり、渋谷区立宮下公園はその4階に位置している。
現在、行政上渋谷とよばれる地域は、東部の宮益坂側の1~4丁目の地区であり、西部の道玄坂側は道玄坂、宇田川町(うだがわちょう)、神南(じんなん)の各地区に分かれている。なおその外側に南平台町、松濤(しょうとう)などの高級住宅街がある。
[沢田 清]
渋谷駅にはJR線、東急線、京王線、東京地下鉄線が乗り入れるものの、鉄道会社それぞれが再開発を進めたうえ、JR山手線や国道246号により東西南北に分断され、混雑がひどく、乗換えや回遊がしづらいという難点があった。このため2012年1月に特定都市再生緊急整備地域に指定され、以後、2027年度の完成を目ざし、「100年に一度の大開発」といわれる駅ホームの移動や駅周辺の大規模再開発が進んでいる。
駅自体では、2013年3月に東急東横線渋谷駅が東口にある渋谷ヒカリエ地下へ移転し、東京地下鉄副都心線との相互直通運転を開始。これにより東急東横線から副都心線経由で西武有楽町(ゆうらくちょう)線・池袋(いけぶくろ)線、東武東上線までの直通運転が実現した。2020年(令和2)1月には、東京地下鉄銀座線渋谷駅ホームを東の明治通り直上まで移し、ほかの鉄道への乗換えを容易にした。2020年6月には、南側に遠く離れていたJR埼京線ホームをJR山手線ホームと並列の位置へ移動し、その後、JR渋谷駅ホームの改良工事も予定されている。
複合高層ビルの整備では、2017年に駅北部に渋谷キャスト(地上16階、地下2階)、2018年に東横線駅南に渋谷ストリーム(地上35階、地下4階)、東横線跡地に渋谷ブリッジ(地上7階)、2019年には駅西部に渋谷ソラスタ(地上21階、地下1階)、駅西口に渋谷フクラス(地上19階、地下5階)、JR駅直結の渋谷スクランブルスクエア東棟(地上47階、地下7階)などが相次ぎ開業した。2023年には駅南の桜丘(さくらがおか)口地区、2024年には駅東の渋谷二丁目17地区に再開発ビル、2027年度には東急百貨店東横店跡地に渋谷スクランブルスクエアの中央棟・西棟が完成する予定である。また各ビルをつなぐデッキなども整備される。
[編集部 2020年4月17日]
東京都区部の南西にある区。1932年(昭和7)豊多摩(とよたま)郡の渋谷、千駄谷(せんだがや)、代々幡(よよはた)の3町が合併して渋谷区となった。区名は、中心地の渋谷を採用した。山手台地(やまのてだいち)に属するが、渋谷川の谷が南へ流れ、深い侵食谷を形成している。渋谷川は、玉川上水の余水を四谷(よつや)の大木戸付近から導入、千駄ヶ谷、原宿(はらじゅく)、渋谷を経て港区へ流れる。江戸時代、農業の灌漑(かんがい)用水に利用された。
台地面は、江戸時代は近郊農村のほか、武家屋敷地、寺社地にも利用された。そのなかで渋谷は大山街道沿いの立場(たてば)(休息場)として発展、昭和初期から郊外電車が開通し、現在JR山手(やまのて)線・埼京(さいきょう)線のほか、東急電鉄東横線・田園都市線(旧、新玉川線)、京王電鉄井の頭線(いのかしらせん)、東京地下鉄銀座線・半蔵門線(はんぞうもんせん)が発着しており、副都心として繁華街を形成している。ほかに区内には東京地下鉄日比谷(ひびや)線・千代田線・副都心線、京王電鉄京王線、小田急電鉄小田原線、都営地下鉄大江戸線、首都高速道路3号渋谷線・4号新宿線・中央環状新宿線、国道20号・246号が通る。
北部の明治神宮は彦根(ひこね)藩主井伊家の下屋敷跡で皇室御料地であった所。明治天皇と昭憲皇太后が祀(まつ)られている。内苑(ないえん)はとくにショウブが美しい。その西方は、かつての代々木(よよぎ)練兵場で、徳川好敏(とくがわよしとし)が大尉のとき日本最初の飛行を試みた所である。1964年(昭和39)の東京オリンピックで選手村に使用されたのち、都立代々木公園となっている。その南にNHK放送センター、国立代々木競技場があり、東方の原宿(はらじゅく)はケヤキ並木の美しい表参道(おもてさんどう)で、付近は若者のファッションの街を形成、東郷神社(とうごうじんじゃ)がその一隅にある。千駄ヶ谷は外苑(がいえん)、新宿御苑(ぎょえん)の一部を含み閑静な住宅街をなす。北西部は京王電鉄京王線および小田急電鉄沿線の住宅地であり、小田急電鉄代々木上原駅からは東京地下鉄千代田線が接続する。一方、南端の恵比寿(えびす)はビール会社の名が駅名・地名となった所で、ビール工場跡は再開発され、恵比寿ガーデンプレイスとなっている。南東の渋谷・広尾地区は青山学院大学、国学院大学、聖心女子大学などの学園地区で、日本赤十字社医療センターもある。北西の大山(おおやま)町には1938年建設のモスク(イスラム教寺院)があったが、老朽化のため1986年に取り壊された。しかし、再建の願いが強く、2000年(平成12)同地に新モスク「東京ジャーミイ」が開堂した。産業では卸、小売、飲食店などの商業が盛んである。面積15.11平方キロメートル、人口24万3883(2020)。
[沢田 清]
『『渋谷区史』(1952・渋谷区)』▽『『新修渋谷区史』全3巻(1966・渋谷区)』
現渋谷区の中央部から南部にかけての地域名称。江戸時代には上渋谷村・中渋谷村・下渋谷村などのほか、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都渋谷区の地名。副都心の一つとして知られる。渋谷の地名のおこりは明らかでないが,かつて海岸であったころ塩谷と呼ばれていたのが渋谷となったという説,12世紀に相模国の渋谷氏の所領があったためという説などがある。江戸時代には,江戸からの放射路である大山街道(矢倉沢往還)が渋谷村を通り,武蔵野台地を刻む古川上流の渋谷川の谷をはさんで,江戸寄りの東側に富士見坂(現,宮益坂),西側に道玄坂の町屋ができ,街道集落としてにぎわった。江戸時代後期には江戸市街地の末端に位置し,周囲に大名下屋敷が多かった。
明治時代になると,周辺,特に青山方面の大名屋敷が荒れ地となったが,東京府の奨励で開墾が進み,桑や茶が植えられて〈渋谷茶〉の名が生まれたほどである。1885年に後の山手線である品川鉄道が開通し,同年渋谷駅ができてから,東京西郊としては新宿に次ぐ発展をみせた。青山学院,国学院,日本赤十字社病院(現,日本赤十字社医療センター)などが,都心から広い土地を求めて移転してきた。昭和初期,渋谷には国電(現,JR)山手線,東横電鉄(現,東急電鉄)東横線,玉川線,帝都電鉄(現,京王電鉄)井の頭線,地下鉄,市電,バスの路線が集中し,1934年には,ターミナル・デパートである東横百貨店が完成した。同年,駅前広場に忠犬ハチ公の銅像が建ち,駅から道玄坂方面にかけての繁華街は新宿と並んで活況を呈した。
第2次大戦によって渋谷一帯も大きな被害を受けたが,戦後は渋谷駅を中心にマーケット,飲食店街が急成長し,丹羽文雄の小説で有名になった〈恋文横丁〉も出現した。その後も鉄道・バス交通の一大拠点として,また郊外に延びる私鉄沿線の高級住宅地と結びついた商業地区として発展を続けた。64年の東京オリンピック開催によって渋谷の様相は大きく変わった。アメリカ軍のワシントン・ハイツ(旧,代々木練兵場跡)に国立代々木競技場,選手村がつくられ,選手村跡は後に代々木公園となり,NHK放送センター,オリンピック記念青少年総合センターが設けられた。渋谷駅周辺から代々木競技場へ向かう公園通りにかけてはデパートや劇場の進出も盛んで,近くの原宿,青山のファッション街とも関連して若者の街としてにぎわっている。
行政上の渋谷区は,1932年に成立し,当時の東京市35区の一つとなった。47年の区の再編成でもその範囲は変わっていない。
執筆者:正井 泰夫
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