片岡鉄兵(読み)カタオカテッペイ

デジタル大辞泉 「片岡鉄兵」の意味・読み・例文・類語

かたおか‐てっぺい〔かたをか‐〕【片岡鉄兵】

[1894~1944]小説家岡山の生まれ。新感覚派からプロレタリア文学転換。のちに検挙され転向してからは通俗小説を書いた。代表作綱の上の少女」「生ける人形」「朱と緑」など。

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精選版 日本国語大辞典 「片岡鉄兵」の意味・読み・例文・類語

かたおか‐てっぺい【片岡鉄兵】

  1. 小説家。岡山県生まれ。新感覚派からプロレタリア文学へ転換。のち転向して通俗小説を書く。著作「舌」「綾里村快挙録」「花嫁学校」など。明治二七~昭和一九年(一八九四‐一九四四

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20世紀日本人名事典 「片岡鉄兵」の解説

片岡 鉄兵
カタオカ テッペイ

昭和期の小説家



生年
明治27(1894)年2月2日

没年
昭和19(1944)年12月25日

出生地
岡山県苫田郡芳野村寺元

学歴〔年〕
津山中〔明治40年〕,慶応義塾大学仏文科予科〔大正3年〕中退

主な受賞名〔年〕
渡辺賞(第2回)〔昭和3年〕

経歴
中学時代から「文章世界」などに投稿する。大正7年帰郷して新聞記者など転々としたが、9年上京して作家生活に入り「女の背姿」などを発表する。13年「文芸時代創刊同人となり、新感覚派の作家として活躍するが、のちにプロレタリア文学に転じ、昭和3年労農党に入党する。5年大阪共産党事件で検挙され懲役2年に処せられたが、8年獄中で転向して下獄する。その間の3年に渡辺賞を受賞。出獄後は「花嫁学校」などの大衆小説を多く発表。代表作に「綱の上の少女」「生ける人形」「綾里村快挙録」「愛情の問題」などがある。

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改訂新版 世界大百科事典 「片岡鉄兵」の意味・わかりやすい解説

片岡鉄兵 (かたおかてっぺい)
生没年:1894-1944(明治27-昭和19)

小説家。岡山県生れ。慶応大学仏文科中退。小学校の代用教員,新聞記者生活などのかたわら創作に励み,1921年文壇的処女作〈舌〉を《人間》に発表し,以後作家生活に入る。24年,横光利一,川端康成らと同人誌《文芸時代》を創刊,既成文壇打倒を目ざし,新感覚派論客として花々しい活躍をはじめた。この時代の代表的小説集に《綱の上の少女》(1927)がある。激動の昭和のはじめに左傾し,旧労農党に入党。また全日本無産者芸術連盟(ナップ)に加わり,《生ける人形》(1928),《綾里村快挙録》(1929)で,プロレタリア作家としての力量を示す。のち検挙され転向,以後通俗小説に活路を見いだしたものの,晩年は総じて不遇であった。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「片岡鉄兵」の意味・わかりやすい解説

片岡鉄兵【かたおかてっぺい】

小説家。岡山県生れ。慶応大学中退。1924年横光利一らと同人雑誌《文芸時代》創刊,新感覚派の作家として活動。しだいにプロレタリア文学に転じ,ナップに加盟して《生ける人形》《綾里村快挙録》などを書いたが,のち転向。以後通俗小説を発表していたが,不遇に終わった。
→関連項目文芸時代

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「片岡鉄兵」の意味・わかりやすい解説

片岡鉄兵
かたおかてっぺい
(1894―1944)

小説家。岡山県に生まれる。中学時代は投書家として活躍。慶応義塾大学仏文科予科中退後、新聞社等を転々とする間に書いた『舌』が認められ、1921年(大正10)作家生活に入る。24年横光利一(よこみつりいち)らと『文芸時代』を創刊し、新感覚派の作家・論客として脚光を浴びる。軽快な新感覚的文体による『綱の上の少女』(1927)がこの期の代表作。27、28年(昭和2、3)ごろから左傾し、『綾里(あやさと)村快挙録』(1929)などのプロレタリア作品を発表するが、32年転向を表明し、以後は『朱と緑』(1936)などの大衆小説を書いた。

[高橋真理]

『『鉄兵傑作全集』全八巻(1936~37・非凡閣)』『『日本の文学79 名作集 三』(1974・中央公論社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「片岡鉄兵」の解説

片岡鉄兵 かたおか-てっぺい

1894-1944 大正-昭和時代前期の小説家。
明治27年2月2日生まれ。大正10年(1921)「舌」でみとめられ,13年横光利一らと「文芸時代」を創刊。新感覚派の作家として「綱の上の少女」などを発表。のちプロレタリア小説に転じたが,昭和5年検挙されて転向。出獄後は「朱と緑」「花嫁学校」など大衆小説を多作した。昭和19年12月25日死去。51歳。岡山県出身。慶応義塾中退。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「片岡鉄兵」の意味・わかりやすい解説

片岡鉄兵
かたおかてっぺい

[生]1894.2.2. 岡山,芳野
[没]1944.12.24. 和歌山,田辺
小説家。『文芸時代』同人。新感覚派時代の『綱の上の少女』 (1927) ,『小児病』 (28) から,プロレタリア文学に,さらに通俗小説へ転じて,『花嫁学校』 (35) ,『朱と緑』 (36) を発表した。

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367日誕生日大事典 「片岡鉄兵」の解説

片岡 鉄兵 (かたおか てっぺい)

生年月日:1894年2月2日
昭和時代の小説家;評論家
1944年没

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世界大百科事典(旧版)内の片岡鉄兵の言及

【プロレタリア映画】より

…この映画が,当時〈危険思想〉といわれた社会主義的イデオロギーにつらぬかれているということから,初めて〈イデオロギー映画〉あるいは〈傾向映画〉と呼ばれた。しかし,〈傾向映画〉ということばが真にジャーナリズムに乗るのは,プロレタリア作家,片岡鉄兵(1894‐1944)の新聞連載小説を映画化した内田吐夢監督の《生ける人形》(1929)がヒットしてからである。左翼思想といっても時流に乗った形式的なものであったと内田吐夢はのちに回顧しているが,地方から東京へ出てきて打算的な立身出世主義を処世哲学とする野心的な1人の青年が,生きている人形のように翻弄(ほんろう)される無残な姿を描いて,資本主義社会の巨大なからくりと冷酷さをあばいた映画であった。…

※「片岡鉄兵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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