絵画,版画などの美術品を売買する商売,またその商人。絵画や版画のほかに彫刻,工芸も扱うものは美術商,古美術中心の商人は骨董(こつとう)商ともいう。美術品は,良質な素材,優秀な制作技術,独自の表現,良好な保存などの美的品質と,信仰,歴史的資料,権威や富の象徴,建築や身体の装飾,大衆的嗜好などの社会的需要が結びつくと,商品価値をおびる。
美術品の交易の歴史は古く,前2000年ころのエトルリアの墓から,エジプト,小アジア,フェニキア産の銀器,銅器,ガラス器が出土している。これは,すでに活発であった地中海経由の東方交易によるものである。前146年のコリントス陥落後,ローマの将軍はギリシア彫刻を買いあさり,カエサル,ブルトゥス,アントニウスらは大収集家となり,ギリシアの古典作品の模作が流行した。キケロは,友人のギリシアみやげの彫像が気に入らないため,商人のダマシップスに買いとらせたいと書いている。また,中国の絹織物や陶磁器がシルクロード経由でアラブ諸国やヨーロッパまで輸出され,ササン朝美術もヘレニズムやビザンティンの要素を吸収しながら,中国や日本まで達した。いずれにせよ,古代,中世のこのような交易の背後に美術品を取り扱う商人が存在したことはまちがいない。
ルネサンス期には,人文主義の影響で教皇,君主,富豪らが古代美術を収集したため,イタリアにはロッシ,パラ,ストラーダ,ストッピらの画商が出現する。聖ルカ組合(画家組合)が毎週金曜日に開く野外展兼市場では,ラファエロをはじめ当時の巨匠たちの作品が,古代美術と同等の値段を呼んだらしい。17世紀には,ルイ14世治下のパリに画商が簇生(そうせい)し,美術収集は富裕な市民にも浸透し,イタリアやオランダではイギリスやフランスの旅行者が美術品を買いあさった。1766年,ロンドンではジェームズ・クリスティJames Christie(1730-1803)が最初のオークションauction(競売)を開設し,やがてサザビー商会Sotherby'sもオークションを始め,両者のカタログは近世美術の貴重な索引となっている。
19世紀になると,公立美術館や美術展覧会が増加し,それまで芸術家のパトロンであった宮廷や教会に代わって,資本家,実業家による投資や投機のための収集がふえ,ジョルジュ・プティ,ウィルデンスタイン,セリグマン,ネードラーら有力画商が輩出した。とりわけ,バルビゾン派や印象派に無名時代から注目して顧客を説得したデュラン=リュエル商会,後期印象派の画家たちに親しまれた小画商〈タンギー親爺Le Père Tanguy〉(1825-94),保守的ながら兄の友人たちをとりあげたテオ・ファン・ゴッホThéo van Gogh(1854-91)らが,近代画商としてあげられる。
19世紀末以降,ボラールはセザンヌ,ゴッホ,マティス,マイヨールらの個展を続々と開き,豪華本の石版画集を刊行し,忘れられた過去の画家たちを発掘して,20世紀画商の典型となった。その後もピカソとキュビスムの作家を扱ったカーンワイラー,ベルリンに表現主義の拠点としての画廊と出版社〈嵐Sturm〉をつくり同名の雑誌を刊行したワルデンH.Walden,アメリカ現代美術の出発点となった写真家スティーグリッツの〈291〉画廊(ニューヨーク),第2次大戦中ニューヨークに〈今世紀画廊〉を設けて戦後の抽象表現主義を準備したペギー・グッゲンハイムPeggy Guggenheim(1898-1979),解放前後のパリでボルス,フォートリエ,デュビュッフェの個展を開いたドルーアンRené Drouin(1905-79)など,20世紀前半の芸術運動に果たした画商の役割は大きい。
第2次大戦後は美術家と購買層の大衆化に応じて,画商もニューヨークやパリでは300店を超えるようになり,マールバラMarlborough,マーグMaeght,ウィルデンスタインWildenstein,ドニーズ・ルネDenise Renéなど,数ヵ国,数都市に支店をもつ国際的画商も現れる。戦後の市場ではフランス中心を脱却して,表現主義,シュルレアリスム,現代アメリカ,エル・グレコ以下の16~17世紀スペイン,アフリカや先コロンビア期アメリカなどの美術の評価も高まった。前衛芸術の商品化につれて,アマとプロ,独創と模倣の区別があいまいになるうえに,資本の市場介入と操作,マスコミの市場への影響なども避けがたく,美的価値と商品価値の距離は芸術家自身にも測りがたい。
日本では,おかかえ職人の注文制作の歴史が長く,浮世絵の版元が絵草紙屋を兼ねるような形で画商が登場するのは江戸中期である。明治になると,旧公卿大名や神社仏閣が窮迫して秘蔵品を売り立て,来日欧米人がそれらを買いあさったため,古美術を扱う画商がふえた。他方,林忠正やビングは,ジャポニスム(日本趣味)興隆の気運にあった19世紀末パリに日本美術店を開いている。1907年,根津嘉一郎,馬越恭平,益田孝ら収集家の支援で,美術・骨董商が連合して東京美術俱楽部(クラブ)を結成する。その会員のうち山中商会は第2次大戦前パリ,ニューヨーク,北京に支店をもち,国際的にも知られた。東京美術俱楽部は東京のほか大阪,京都,名古屋,金沢に俱楽部をもち,入札競売のほか毎年〈五都展〉を開く。一方,洋画商の草分けは1910年,高村光太郎が開いた琅玕堂(ろうかんどう)で,大正初期に田中喜作の田中屋,川路柳虹の流逸荘,野島康三の兜屋がつづく。昭和初期に牧師出身の長谷川仁がはじめた日動画廊は,戦前は上海,戦後はパリをふくむ10都市以上に支店をもった。戦後ではまた,東京画廊,南画廊,南天子画廊など,前衛芸術を扱い国際交流にも熱心な画商の出現も注目される。これらの洋画商は日本洋画商協同組合(1958発足)のほかいくつかの交換会に属している。今日の画廊の大半は貸画廊で,現代美術の市場はまず狭く不安定で,税法の制約も大きい。オークション制の導入のため,64年,画商有志が共同で結成した日本美術品競売株式会社もある。
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執筆者:針生 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
美術品のうち、とくに絵画類を専門に売買する人。ヨーロッパ史をみると、画商が出現するのは資本主義の進展に伴っている。美術品の売買は古くからあったが、その大部分は、王侯、貴族、寺院の直接的な依頼、購入によるものであり、制作者との間を仲介する人間が必要となったのはルネサンス以降である。それも初めは、人と人の間をなにかととりもつ僧侶(そうりょ)の仕事であったり、画家自身の仕事であったりしたが、中世的なギルド組織の崩壊とともに、独自の職業として自立することとなった。画商、より広くいえば美術商の誕生は18世紀の中ごろで、ジェルサン、ルブラン、ラザール、デュボといった名前が知られている。彼らは少数の大ブルジョアを相手とし、骨董(こっとう)品を主とする商人だった。それ以前の16、17世紀から、あらゆる物品を扱う競売業者が美術品をも扱っていて、そのなかから、専門商が分化したと考えられているが、他方、画材店から転向した人も少なくない。
近代的な意味での画商、すなわち同時代の画家の作品をもっぱら商う職業が成立するのは19世紀中期であり、その最初の人として、パリのデュラン・リュエルやベルネーム・ジューヌがあげられる。彼らは、バルビゾン派、印象派、そして後期印象派と、相次いで登場する同世代の作品を世に送り出し、19世紀の末には経済的に成功した。その結果、多数の追随者を輩出させ、彼らの激烈な相互競争によって、美術市場が開け、人気作家の価格は高騰し、美術品の売買は完全に資本主義的な職業となった。現代美術の歴史は、画家と画商との複雑な関係史でもあり、ボラールとセザンヌ、カーンワイラーとピカソの例がそれである。
日本に美術商が発生したのは室町時代の末であり、江戸時代に入って町人階級の経済力の向上に伴い、文化への欲求が高まるとともに、後期には相当活発な美術市場が生まれている。近代的な形態での画商の発生は明治後期末で、1907年(明治40)に三井呉服店(現在の三越)が新美術部を設けたこと、また1910年に高村光太郎が東京・神田淡路(あわじ)町に日本最初の画廊琅玕洞(ろうかんどう)を開いたのが最初の例と考えられる。
[瀬木慎一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…一方,美術品収集と並行して,中世の百科全書的伝統に源を発する自然科学の分野における収集も,16~18世紀を通じて盛んであったが,時代が下るにつれてそれらは美術館と自然科学博物館に分化していった。
[17世紀以降]
17世紀の美術品収集の特徴としては,ことにオランダで画商が出現し,不特定の顧客層のために自国の芸術家による静物画,風景画などの小品を扱うようになったことが指摘できる。しかし,それとは別に,王侯貴族や高位聖職者,政治家による大規模な収集も相変わらずヨーロッパ各国で盛んであり,そうした収集に占める古代美術やイタリア美術の比重は,まだ大きかった。…
…逆に,ドメニコ・ベネツィアーノやウッチェロの作品を持ちえたことを神に感謝したといわれる,15~16世紀イタリアの詩人ルチェラーイG.Rucellaiの例もあげられるほどである。 このような関係は,基本的には近代・現代でも同様であるが,教会,宮廷,公共体といった大パトロンをしだいに失い,ブルジョアジー,画商,批評家たちと芸術家の関係が緊密化してくる18世紀以降になると,かえってパトロンの存在は重要になる。たとえば,ワトーの面倒を見たパリの銀行家クロザP.Crozat,印象派の作品を扱ったデュラン=リュエル商会や画商ボラール,あるいは建築家ガウディと信念を同じくして彼に多くの建築を任せたグエルGüell侯爵,キュビスムの画家を支援した画商カーンワイラーなどがあげられる。…
※「画商」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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