一般の人々に家財,衣服や商品などの動産を質草として主として小口消費資金を融通する庶民金融機関。1895年に〈質屋取締法〉が制定され,長い間取締りの基礎となっていたが,1950年に公布された〈質屋営業法〉によって取締法は廃止された。いずれも私営質屋の監督法規である。1927年公布の〈公益質屋法〉によって地方公共団体や社会福祉法人により質屋が営まれることになり公・私質屋が共存することになった。私営質屋の設立には行政官庁の許可が必要である。質権の対象となるのは動産であるから,比較的金額は小さく借りやすく,かつては利用者が多かった。形態は個人営業が大部分で,わずかに会社組織のものもある。貸出金額についての制限はないが,利息は〈出資の受入れ,預り金及び金利等の取締りに関する法律(出資法)〉(1954公布)の適用を受ける。同法による利息の最高限度は83年の改正により日歩10.96銭(年利40.004%)であるが,経過措置として施行日の83年11月1日から3年間は同20銭(同73%),その後同15銭(同54.75%)となっている。利息の計算期間は同法では15日となっているが,質屋の場合30日とされている。1954年には私営質屋の数は1万9170であったが,80年には9312と半減している。公益質屋は都道府県,市町村等の地方公共団体または社会福祉法人によって営まれ,流質期限が最低4ヵ月で,流質処分益は借入者に還元される等,借入者は私営質屋より優遇を受けている。1955年公益質屋は634あったが,80年には79と著しい減少となっている。質屋数のおびただしい減少は,社会保障,医療保険,生活年金,共済制度の完備もあるが,他方金融機関の消費者金融への進出や割賦販売制度,カード会社の充実発展,さらにサラリーマン金融の手軽で安易迅速な貸出しなど質屋利用の低下と,さらに質草が耐久消費財の大型化(電気冷蔵庫,電気洗濯機,テレビ,ステレオ)等によって保管や運搬に不便になったことが質屋から客の足を遠ざける理由となっている。現在では質屋は,その本来の業務のほかに商品販売や貸金業を併せ営むものが多くなっている。
執筆者:森 静朗
《宇津保物語》に〈佩き給ふ御佩刀(はかし)をしちに置かん〉とあるように,〈質〉の語は,すでに古代から存在しているが,その意味・用法については,現代のそれとは必ずしも一致しない。現在の質屋に相当するものが登場するのは,近世に入ってからと考えられ,それ以前については不詳である。
江戸時代の質屋は,三都(大坂,京都,江戸)を中心とする貨幣経済と技術文化の浸透が地方に展開するなかで,民衆生活を補完する短期動産金融業者である。18世紀江戸では2700軒,19世紀中ごろの大坂では2400軒の質屋が存在した。
幕府・藩は社会秩序維持と治安のために1642年(寛永19)の〈質屋仲間掟〉以来,質物金融の定法を幾度も布告した。盗品触書への対応策や人品に不相応の貴重品持参への心得から,置主・請人名前,住所寄留先・判形の確認,そして質営業の名前貸しや出店進出,取次人の強引な質物勧誘,現実の入質をしない置質,無断営業などの禁止に至るまで,細かな規定が示された。城下町では町奉行支配下で古着屋・古鉄屋・古道具屋などとともに〈八品商〉としてまとめられ,組合惣代と町名主の規制を受けた。近世後期から明治期には中古衣類の需要は非常に大きく,質屋と古着屋・呉服屋は三都を頂点に全国の消費を連結して網羅した。細民のこまごました安価な必需品から奢侈遊俠人層の物品に至るまで質屋は融通した。遊郭内には必ず遊金不足の顧客相手の質屋があった。1622年(元和8)には利子は相対(旧慣どおり)で質物価格評価の1/3は質屋利潤,2/3は質置主取分とされた。1701年(元禄14)の利息は金高に応じ年5割か5.2割,大坂では質草によって衣類月2分,道具類3分である。流質期限は江戸で8ヵ月,大坂で3ヵ月という。
近世豪商の系譜をみると,質屋あがりが意外に多い。伊勢松坂出身の三井家をはじめ,東北から九州まで進出した近江商人中井家,江戸や南部で活躍の小野組,大坂の十一屋羽間家,江戸に親子質網を敷設した大和屋浅古家など一例である。近世後期には都市農村を問わず豪商農が経営する親質が零細な子質から質物を取り資金を融通する元・下質関係が組織され,地域に根ざした取次人を活用する質物金融が盛んになった。質屋の息子だった西鶴の《日本永代蔵》《西鶴織留》《世間胸算用》には,勘定高い厳しさと相互依存の温かさの共存する質屋と質置主の人間的な関係が活写されている。
→質
執筆者:斉藤 博
西ヨーロッパにおける職業としての質屋の起源は中世にあり,徴利禁止法の適用を受けなかったユダヤ人を中心とする私的なもの,都市当局などの公的機関が救貧活動の一環として行ったもの,教会が主体となったものの三つの系譜が認められる。のちに質屋の看板として一般化する金色の三つ球は,イタリアのロンバルディア出身のユダヤ人の質屋が用いはじめたものであり,徴利行為に対する厳しい批判をうちだした1179年の第3ラテラノ公会議以後,ユダヤ人と質屋ないし高利貸のイメージとが重なりあっていったことを示している。ヨーロッパ各地の都市に成立したこの種の質屋では,年間20~100%以上という高率の利息を取ったこと,客筋が庶民というより,国王や貴族などの支配階級を主体としていたことなどが特徴であった。支配階級への融資は,取立て不能に陥る可能性がきわめて高かったことが,高利を不可避にしたと思われる。
第2の,都市当局による公営の質屋は,12世紀末にバイエルンの町フライジングで確認できるのをはじめ,1361年にロンドン,1473年にはフィレンツェ,1498年にニュルンベルクなどでみられた。しかし,この種の庶民金融は一般に短命で,いずれもたちまち破産した。これよりは,イタリアでフランシスコ会系の修道院が始めたモンテス・ピエタティスmontes(mons)pietatis(〈聖なる資金〉の意)のほうが,後世への影響が大きかった。喜捨や遺贈による資金をもとに無利子で,担保を取って少額の融資を行ったもので,15世紀後半から16世紀にかけて,イタリアや南ヨーロッパ一帯にひろく広がった。のちには4~12%程度の利子も取るようになり,ローマのそれのように大規模化して教皇や各国君主への融資を行った例もある。
しかし,質屋が圧倒的に成長したのは,近代産業社会においてである。近代の質屋の特徴は,顧客の中心が支配階級から都市下層民に移ったこと,ライセンス制が導入され,利子率の上限や質草の取扱い方--とくに質流れ期限--の規制などを含む法的措置が講じられたこと,それと関係して,盗品故買やユダヤ人のイメージと結びつけられてきた彼らの社会的地位が改善されたこと,などに求められる。産業革命の故郷となったイギリスでは,1756年に最高利子率を規定する法,85年には質屋登録法が成立し,1800年にはより包括的な質屋規制法が可決された。さらに72年の法令によって,現在に至るまでの質屋業の法的基礎が築かれた。1750年にはロンドンの大型質店は250軒を数えたが,1830年代には全国で1537軒,うち380軒がロンドンにあるという史料もある。51年の国勢調査では,全国で4367軒が数えられている。都市庶民が主要な客となるにつれて,質屋業は社会改良の対象とみられるようになり,盗品故買--質屋は古着屋を兼ねることが多かった--や貧民相手の詐欺行為,高利徴収などを理由に非難を受ける。その結果が上述の各種の法規制であったが,同時に,19世紀後半になると,全国質屋連盟National Pawnbrokers' Associationが結成されるなど,質屋の組織化もすすみ,みずからの社会的地位の向上を図った。なお中国の質屋については〈典当鋪〉の項を参照されたい。
→高利貸
執筆者:川北 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
もっぱら物品(動産)の「質物(しちもつ)」を担保として金銭貸付を行う業者。質物を物品に限り、その預託を「見返り」に金銭貸付をする業者の出現は鎌倉中期からで、当初「庫倉(くら)」とよばれ、室町期にはさらに発展して「土倉(どそう)」(どぐらとも)、「土蔵」と通称された。そして新興の酒屋にも貸金業を兼ねるものが多かったので、酒屋土倉と併称もされた。質物保管のため壮大堅固な倉庫の設営が必要であったからである。京洛(きょうらく)都市生活の発展の所産で、彼らの蓄財豪奢(ごうしゃ)ぶりは庶民の反感をも買い、ときには「土一揆(どいっき)」の抗争目標にさえなった。近世に入ると「質屋」の名称が一般化した。京坂・江戸をはじめ城下町の全国的発展に伴い、質屋はおもに都市下層民の生活資金調達融資の方途として重い役割を担うことになる。各地の城下には質屋仲間の結成が早くから行われ、種々の規制が加えられもした。1723年(享保8)の江戸質屋仲間2731、1699年(元禄12)の京都質屋628、幕末の大坂質屋2420という数字からも、近世庶民金融に占める質屋の地位は想像できよう。質屋の担保は衣類、装身具、家具など身近の生活用具で、もっぱら都市細民の生活資金調達にあてられ、扱う金額も少額ではあったが、それだけにまた簡便臨機の金融手段として活用された。しかも「流質」期限は比較的短く、そのうえ金利も割高で、質物の保管処分も貸し主の手にあるため、万般に質屋にとって有利な条件が多かった。「抵当なし」の「高利貸」と並んで、質屋が近世庶民金融の主役として働いたのも当然である。明治以後もなお質屋営業は久しく続き、都市下層民の手軽な融資方途として重要な役割を担ってきた。
[竹内利美]
質屋は主として自己資金を用いて、少額で短期の生計資金などを簡易迅速に貸し付けるので、古くから広く庶民によって利用されてきた。しかし、質物の保管設備を整える必要があること、雑多な質物の保管に手数がかかること、1口当りの貸付金額が零細であることなどから、その利息は割高となっている。また、元利金の返済なく一定期間を経過すると、質物は「質流れ」と称して処分され、元利金の弁済に充当されることになっている。
日本においては、質屋は古物商とともに盗品や遺失品捜査の拠点とみなされ、厳しい取締りの対象とされてきた。明治維新後、当初は府県別の取締規則が制定され、それに基づいて取締りが行われていたが、1884年(明治17)に質屋のみに適用される全国統一立法として質屋取締条例が制定され、取締りの強化が図られた。この条例による過酷な取締りによって検挙される質屋業者が相次ぎ、不況による営業不振から増加しつつあった質屋の廃業にいっそうの拍車をかけることになった。そのため同条例の改正運動が活発化し、1895年には同条例の厳しい質受けの禁止や警官の立入検査などの条項を修正し、罰則規定を緩和した質屋取締法が制定された。同法は、第二次世界大戦後に質屋営業法が制定されるまで、取締りの基礎とされた。また、1927年(昭和2)には、社会政策的な見地から公益質屋法が制定され、地方公共団体や社会福祉法人によって公益質屋が設立されて、公・私営の質屋が共存することとなった。
第二次世界大戦後の1950年(昭和25)に質屋取締法は廃止され、現行の質屋営業法が制定された。私営質屋を営業するには、同法に基づいて営業所の所在地の都道府県公安委員会の許可を受けなければならない。流質期限は質契約成立の日から3か月以上とされ、利息については「出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律」が適用されるが、質屋の場合は最高限度は1日当り0.3%とされており、月単位で計算されることになっている。
私営質屋は1958年の2万1539を、公益質屋は1939年の1142を頂点として、その後減少傾向を続け、1983年には私営質屋8715、公益質屋61となり、2007年(平成19)には私営質屋は3579まで減っている。また公益質屋の制度は2000年に廃止された。この質屋数の減少は、国民所得の向上、社会保障制度の充実とともに、金融機関のカード・ローンの普及やサラリーマン金融など手軽な個人向け金融の発達によって、質屋利用が低下したことによる。このため、最近では買取販売やインターネットのオンライン販売を行う質屋が多くみられるようになった。
[石野 典]
『渋谷隆一他著『日本の質屋』(1982・早稲田大学出版部)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
物件を担保としその占有権を得て金銭を貸すことを業とする金融機関。南北朝期から土倉(どそう)のうちに質屋といわれる者が現れたが,小口金融業者として庶民の間で一般化したのは近世である。幕府や領主は,質屋を通して紛失物調査と盗犯防止を行うため,早くから質屋株を設定して仲間を結成させ,冥加などを徴収した。1852年(嘉永5)江戸で2075人,大坂で1328人と,三都ではとくに多かったが,農村部でも55年(安政2)の武蔵国の例では1村平均2軒の質屋があった。質屋の利息や流質の期限は,貸金の多寡や地域・時代により異なるが,年2割・1年期限が多い。近代でも質屋の営業は隆盛で,公営の公益質屋も設立された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…利息をとって金銭を貸すこと,またそれを職業とする者。金融業者は古今東西,時と所とを問わず見られたものであるが,江戸時代には質屋のように担保の物品をとらずに金を貸借するのを素金(すがね)(素銀)と呼び,都市の細民に零細な素金を貸して高利をとる者も多かった。座頭金(ざとうがね)は鍼(はり),あんま,遊芸などを業とする盲人が行ったもので,一般の高利貸よりも利息が高く,取立てがきびしいことで知られた。…
…質物金融は,地域の社会関係が安定し庶民が貨幣経済の中で生活しはじめた所で盛んとなる。つまり質屋と質置主が顔見知りであるか,仲介者を通して信用がつくといった,せまい範囲の地域意識を必要とする。近世初期には京大坂や江戸,城下町・門前町で中世の継続として登場し,しだいに全国に広がった。…
… 他方,質権がその留置的作用を最も発揮するのは,生活用具のように占有を奪われることが主観的に苦痛を伴うものについてである。質権が消費信用における庶民のための金融制度として重要な機能を営みうるのもまさにこの分野においてであり,民法のほか,質屋営業法,公益質屋法等の法律により規律されている。しかし生産用具としての動産については,そもそも占有移転を要求することは不適当であり,また不動産質権は民法上も認められているが,質権者たる金融機関などによる不動産の収益は少なくとも今日では非現実的なものとなっている。…
…旧中国の質屋。典も当も日本でいう質の意味。…
…本来は文字通り土壁を持つ倉庫建築のことであったが,室町時代には質物を収める土倉によって象徴される金融業者のこと。質屋。土壁の倉庫は奈良時代の国衙や寺院の倉庫として見られたが,都市の中の建造物となるのは平安時代末期から鎌倉時代のことで,富裕な商人らがこれを作り,商品や財産を保管する場としていた。…
※「質屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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