一般的な意味での軍国主義は、軍事にかかわる諸問題や価値が政治・経済・教育・文化などの諸領域において強い影響力をもち、政治・行政レベルでは軍事第一主義の思想が最優先される政治社会体制を意味する。ミリタリズムともいう。
[纐纈 厚]
軍国主義では、軍隊の充実が国家発展の原動力として考えられ、軍人は国家の中核的存在として尊敬の対象とされる。たとえば、古代ギリシアの都市国家スパルタ、古代ローマ帝国、フランコ独裁時のスペイン、帝政期のドイツ、満州事変から敗戦に至るまでの日本などが、ミリタリズムを基調とする政治支配が行われた典型事例といえる。
現代においても第三世界に多くみられるように、軍人が政治支配を続けるか、あるいは政策決定過程に大きな影響力を維持している国家が少なくない。これらの諸国では軍人支配への不満が噴出する場合がときおりみられ、また、国内民主化を求めて民衆の抗議行動が起きている。その場合、軍事力による恫喝(どうかつ)や弾圧によって、そうした動きを封じようとする傾向が強い。軍事政権は国内引き締め策のため、対外危機をあおり、ときには戦争に訴えて軍事政権の延命を図るなど強権的手法による政治スタイルを採用する。このような好戦的な外交姿勢と強権政治の採用が軍国主義の大きな特徴である。軍国主義を基調とする政治体制は民衆に基盤をもたない傾向が強いこともあって、軍部は一部の特権的な資本家や有力な高級官僚との癒着を深め、軍産官一体化による政治支配体制を敷くことになる。そこから民意と乖離(かいり)した政治運営が行われ、民衆不在の政治が強行される結果として政治腐敗が横行する。こうして強権政治による政治手法は表面的な堅固さとは裏腹に、内部ではつねに諸矛盾が蓄積される結果、内部から一気に崩壊する可能性と危険性を伴う。
[纐纈 厚]
そこで注意すべきは、軍国主義が強大な軍事力や軍事機構の存在自体を示すものではなく、軍事力という物理的な存在を背景にしつつ、軍事的な価値観が政策決定過程の場や人々の思想・精神のなかで大きな比重を占めることを意味することである。つまり、巨大な軍事力の存在がなくとも、軍国主義的な発想や着想がつねに指向され、評価されるような社会や意識のあり方を含めて軍国主義と指摘できよう。その意味で軍国主義とは政治制度、政治構造、政治意識、政治思想などの諸分野にかかわるレベルで検証の対象とされるべき問題である。それゆえ、軍国主義の問題はけっして過去の問題としてあるばかりでなく、優れて現代政治を考察するうえで不可欠な問題としてある。同時に軍国主義研究の今日的な意味を求めるとすれば、すでにベルクハーンVolker Rolf Berghahn(1938― )が指摘したように、軍国主義そのものの現象形態や機能に分析の対象を置くのではなく、むしろ軍国主義を発生させる社会秩序の性格や構造の厳密な分析にこそ注意を向けるべきであろう。そのことによって初めて現代の軍国主義の本質と特徴が的確に把握されるはずである。
それでは軍国主義の概念はいつごろ発生したのであろうか。世界史の観点からすれば、確かに軍国主義が支配する政治体制と認定できるものは古代の世界史からみいだすことが可能だとしても、概念としての軍国主義の用語が使用され始めたのはそれほど古いものではない。すなわち、近世イギリスのクロムウェルが行った独裁政治の時代に軍事権力の優位性を示す用語として使用され始めたのが最初とされる。名誉革命(1688)を経て、イギリスの民主主義や議会主義が確立し、政党内閣制が成立する過程で、それまでの常備軍を権力基盤として絶対的な権力を振るい続けた国王の優位性自体も同時に崩れていった。文民権力の優位性が明らかになっていく過程で、近代イギリス国家が成立していったのである。その意味からすれば、近代イギリスは軍国主義を克服するところから出発しており、以後原則として文民による政治運営が行われてきた。
[纐纈 厚]
世界史において軍国主義体制を敷いたもっとも典型的な事例として、古代ギリシアの都市国家スパルタがまずあげられる。スパルタでは都市国家間で行われた覇権争奪戦において軍事力への依存を強める過程で、いきおい軍国主義が国是となっていった。それは諸列強の間にあって、国家防衛を求める方法として軍国主義体制を採用せざるをえない背景があったのである。同様に古代ローマ帝国では帝国防衛と帝国経営を同時的に達成する手段として強大な軍事力の養成を国是とし、軍事力によって獲得された広大な領土を軍事力によって防衛するという連関構造のなかで、最終的には軍国主義体制に帰結する政策を採用するところとなった。
近代の世界史において、軍国主義の代表例としてかならず俎上(そじょう)にあげられてきたプロイセンでは、1861年の軍制改革によって軍事に関する一切の権限が皇帝に集中された結果、皇帝を頂点とする完全な軍国主義体制が築かれ、皇帝が軍隊指揮権(統帥権)を完全に掌中に収めることになった。以後、プロイセンでは皇帝の統帥権を利用しながら軍部が急速に政治権力を確保するところとなり、その勢いのなかで宿敵フランスとの戦争に勝利し、ドイツ帝国として発展していく推進役を担うことになる。成長著しかったドイツ帝国も第一次世界大戦で敗北するや、その反動でワイマール憲法と称された民主的な憲法体制のなかで軍隊も解体され、軍国主義も清算を迫られることになった。しかし、1920年代後半から本格化する世界恐慌の嵐のなかで、ドイツではふたたび軍国主義の芽が現れ、とくにナチス党を率いたヒトラーが政権についた1930年代初頭以降には、ナチス党主導の軍国主義体制がドイツを支配した。ドイツ国防軍は当初これに距離を置こうとしたが、最終的にはナチス党の統制下に入る。ヒトラーのドイツは政党主導の軍国主義という側面ゆえに、多くのドイツ民衆の支持を獲得することに成功し、第二次世界大戦に突入する大きな背景をなした。イタリアのムッソリーニも、ヒトラーよりも一足早く1922年の「ローマ進軍」によって政権を獲得していたが、その政治手法はヒトラーとほぼ同様であった。
第二次世界大戦は、一面において日本をも含めて、ドイツおよびイタリアという軍国主義あるいはファシズム国家群と、アメリカおよびイギリスを中心とする民主主義あるいはリベラリズム国家群との世界の主導権争奪を目的とした世界戦争であった。この戦争に軍国主義国家群が敗北した結果、軍国主義はしばらく後退を余儀なくされ、同時に国際社会における反戦平和運動の高揚によって軍国主義の芽は完全に摘み取られたはずであった。しかし、長きにわたる第二次世界大戦後の米ソ冷戦体制の時代における熾烈(しれつ)な体制選択の争いのなかで、第三世界諸国の軍国主義化が顕在化し、それが独裁的・権威主義的な政治体制を生み出した。
ソ連邦解体を契機とする冷戦体制終焉(しゅうえん)後において、国際社会に宿る貧困、暴力、抑圧などを原因とする諸矛盾が噴出し、「9.11同時多発テロ事件」(2001年9月)に象徴されるテロリズムを招くに至る。その一方では、正義の名のもとに対テロリズム戦争の頻発という新たな危機の時代を迎え、一頭地を抜く軍事力をもつアメリカが、対アフガニスタン戦争(2001年10月)やイラク侵攻(2003年3月)などの事例で具現されたように、民主主義や自由の擁護を標榜(ひょうぼう)しながらも、本質的には軍国主義的な体質を発揮するような深刻な事態となっている。アメリカに限らず、安全保障を名目とする各国の軍国主義的な対応ぶりが、今後いっそう懸念される。
[纐纈 厚]
日本もプロイセンの軍制改革に倣い、1878年(明治11)の参謀本部設置により統帥権独立制が導入された結果、政治権力による軍事権力の統制は困難となり、日清・日露戦争での勝利によって事実上の軍部が成立していく。その過程で軍国主義思想が肯定感をもって国民に受容されていき、軍国主義国家としての体質を強めていくことになる。さらに、第一次世界大戦では連合国側にたって勝利国となり、軍事権力の勢いはとどまるところを知らなかったが、大戦後の国際社会における反戦平和気運の高揚と国内における大正デモクラシー運動に支えられた政党政治の時代を迎えるや、国民の間には反軍国主義の意識が生み出されることになる。こうした国内外の気運を一掃する目的で、軍部は1931年(昭和6)9月に満州事変を引き起こし、おりからの経済不況も手伝って国内は事変以後、ふたたび軍国主義気運が横溢(おういつ)し始める。そうしたなか、1932年5月には急進派青年将校たちにより首相犬養毅(いぬかいつよし)が暗殺され(五・一五事件)、政党政治に幕が下ろされた。その後、1936年2月には大規模な軍隊反乱(二・二六事件)が起こり、軍国主義への道が一気に加速され、その翌年には日中全面戦争が開始された。以後日本は、準戦時体制から戦時体制へと移行する過程で軍国主義体制一色となっていった。
その場合、日本の軍国主義の展開は、ドイツやイタリアで具現されたように民衆の圧倒的な支持を背景として成立した、いうならば「下からの軍国主義」とは異なり、テロリズム、戦争、反乱など暴力によって民衆の不安をかき立てることで「上からの軍国主義」を強要する形をとった。そのような方式は、今日における有事法制の問題にも連続している。すなわち、中国脅威論からソ連脅威論、そして、昨今の北朝鮮脅威論と続く、恣意(しい)的な脅威の設定による国民の不安感を背景とした軍事法制定の動きのなかにも、新たな装いを凝らした軍国主義の思想が脈打っているようにも思われる。
[纐纈 厚]
各国の軍国主義の比較史研究を続けているベルクハーンは、その著作『軍国主義と政軍関係』(1986)で、フランスの啓蒙(けいもう)思想家モンテスキューの代表作『法の精神』(1748)における、肥大化する性質をもつ常備軍の危険性と、その維持拡大に必要な財政負担の増大、国家と市民から孤立する軍を中核とする軍国主義の問題点を指摘した。さらに、ドイツの哲学者カントやフィヒテも、軍の存在自体が平和と経済的繁栄にとって有害であると論じた。フィヒテは、1806年のナポレオンのドイツ侵攻にあたって有名な「ドイツ国民に告ぐ」(1808)の演説を行い、そこでは軍人ナポレオンが君臨する軍事国家フランスへの強い不信と警戒心とが示されていた。このようにミリタリズムの概念は17世紀後半から18世紀にかけ、ヨーロッパにおける近代国家の成立と前後して派生したと指摘できる。
その後、ミリタリズムの体系的な概念が漸次できあがっていったわけではなく、そのほぼ同義語として「軍事国家Militärstaat」「軍の支配Militärherrschaft」「軍事型社会militant type of society」などの用語が用いられた。そこに盛り込まれた概念は一律ではなく、一般化していえば、文民あるいは市民が主体となるべき国家にあって、非文民たる軍人が国家権力の中枢に座り、戦争を国家発展の原動力と位置づけたり、軍事力という国家暴力によって政治を運営しようとする政策全体を意味するものであった。そのなかでとくに重要だと思われるのは、軍国主義が支配した絶対主義の時代と決別して、市民=文民が政治主体としての役割を担う過程で、多くの犠牲を払いつつ、軍国主義の危険性が解消されていった事実である。いいかえるならば、市民=文民が政治主体としての位置を獲得することが民主主義の獲得とすれば、まさに民主主義は軍国主義を溶解する決め手であった。その意味で1937年に大著『軍国主義の歴史――文民と軍人』を著したアメリカの歴史学者ファークツAlfred Vagts(1892―1986)が、その著作において軍国主義の対置概念を平和主義pacifismではなく、文民主義civilianismとしたことの意味は重要であろう。すなわち、軍国主義の対置概念として文民主義を提唱することで、逆に軍国主義が市民=文民を政治主体とする民主主義と相矛盾するもの、共存不可能なものであるとする定義が明確にされていたのである。それは市民主体の政治体制の実現と、個人の自由と平等の理念を追究して登場してきた民主主義との絡みで、軍国主義のもつ意味を考える必要性を指摘したものといえる。
[纐纈 厚]
近代から現代に至るまでさまざまな軍国主義論が展開されているが、そのなかでマルクス主義者のリープクネヒトは、『軍国主義論』(1906)で、また、ローザ・ルクセンブルクは『資本蓄積論』(1913)などの論文や著作で軍国主義批判の理論を展開している。とくにルクセンブルクは、軍国主義が資本主義の拡大と発展のために後進地域でさまざまな収奪を行う点を強調した。さらにベルクハーンの指摘に従えば、軍国主義は剰余価値の実現の卓越した手段として機能し、またそこでは軍需産業が剰余価値の生産と資本蓄積のために徹底して活用されるという。軍需産業が資本主義の発展のなかで剰余価値の生産と資本蓄積のために実際どこまで有効であるかは厳密な経済分析が必要だとしても、軍国主義が資本主義に内在する本質的な特性であり、軍国主義が資本主義の主要な一側面であるとの指摘は今日においても有効性を失っていない。ルクセンブルクはそれを「資本主義的軍国主義」という概念でとらえようとした。
一方、アメリカではラスウェルが日米開戦の年の1941年に「兵営国家と暴力の専門家The Garrison State and Specialists on Violence」と題する著名な論文を発表し、今後の社会では暴力の専門家が最強の集団を形成する結果、いわゆる「兵営国家garrison state」と称すべき国家が出現するのではないかと警告していた。ラスウェルの指摘は直接的にはナチス・ドイツをモデルとしたものだが、ナチス崩壊後は軍事国家ソ連に向けられることになり、同時に自国アメリカにも巨大化する軍産複合体が存在するゆえに、アメリカもある種の「兵営国家」であると指摘することになった。この「兵営国家」とされたものこそ、現代における軍国主義国家といってよい。それゆえ、冷戦の時代にアメリカではハンチントンが、このような軍国主義の特質をもち始めたアメリカの軍事権力の肥大化を抑制するため、政治権力との協調関係を構築していく理論として政軍関係論civil-military relationsを提起している。また、アメリカのスミスLouis Smith(1905―1994)は現代民主主義が民衆を動員する手法としても機能する面に着目し、民主主義に内在する軍国主義的な性質を『軍事力と民主主義』(1951)に著した。さらに、イギリスでもエジャートンDavid Edgerton(1959― )が「リベラル・ミリタリズム」の概念を提起し、リベラリズムとミリタリズムとの接合の危険性を説いている。このように、現代社会においても依然として新たなミリタリズムの思潮が脈々と受け継がれており、新たな軍国主義の脅威の下にあって、さらなる軍国主義論の展開が急務となっている。
[纐纈 厚]
『L・スミス著、佐上武弘訳『軍事力と民主主義』(1954・法政大学出版局)』▽『G・リッター著、西村貞二訳『ドイツのミリタリズム』(1963・未来社)』▽『ファークツ著、望田幸男・天野真宏訳『軍国主義の歴史Ⅰ~Ⅳ』(1973、1974・福村出版)』▽『井上清著『新版 日本の軍国主義Ⅰ~Ⅳ』(1975~1977・現代評論社)』▽『サミュエル・ハンチントン著、市川良一訳『軍人と国家』上下(1978、1979・原書房)』▽『藤原彰著『戦後史と日本軍国主義』(1982・新日本出版社)』▽『ゲルハルト・リッター著、新庄宗雅訳・刊『政治と軍事――ドイツのミリタリズムの問題』(1985)』▽『フォルカー・R・ベルクハーン著、三宅正樹訳『軍国主義と政軍関係――国際的論争の歴史』(1991・南窓社)』▽『アルフレート・ファークツ著、望田幸男訳『ミリタリズムの歴史――文民と軍人』(1994・福村出版)』▽『フィヒテ著、石原達二訳『ドイツ国民に告ぐ』(1999・玉川大学出版部)』▽『ローザ・ルクセンブルク著、太田哲男訳『資本蓄積論』新訳増補版(2001・同時代社)』▽『三宅正樹著『政軍関係研究』(2001・葦書房)』▽『サミュエル・ハンチントン著、山本暎子訳『引き裂かれる世界』(2002・ダイヤモンド社)』▽『モンテスキュー著、野田良之ほか訳『法の精神』上中下(岩波文庫)』
国家と社会において軍人や軍隊が特権的・優越的な地位を有し,戦争を肯定する立場から政治,経済,教育,文化など国民生活のあらゆる領域を軍事化しようとする思想ないし体制をいう。ただし,この言葉は,本来,フランスの第二帝政とドイツ第二帝政に対する共和主義者や社会主義者の批判のなかから生まれ,第1次大戦と第2次大戦において,連合国の側がそれぞれ当時のドイツ第二帝政と大日本帝国に対抗するための宣伝戦のなかで,〈軍国主義打倒〉という文脈で用いるという経過を経て,社会科学の世界に入りこんだものである。その意味で,この言葉には政治的・宣伝的な色彩がつきまとうので批判的・限定的な使用が求められるともいえるが,他方では,それ以降の世界史の展開のなかで,〈軍国主義〉のさまざまな新しい発現形態にも目が向けられねばならなくなってきている。
第二帝政期のドイツや第2次大戦前の日本を典型とする近代軍国主義の古典的な事例においては,フランス革命やアメリカ独立革命から生まれた〈国民軍〉の場合とは対照的に,本来は絶対主義の常備軍のなかで生まれた身分制的軍事思想(騎士道的名誉観念,好戦的英雄主義,血統の尊重,軍旗,軍刀,軍服,階級章,勲章などに対する異常なまでの崇拝,生産労働や商業への蔑視)が徴兵制によって生まれる大衆軍隊の内部に浸透し,支配した。また同時に,在郷軍人会や青少年団などの半官半民的団体や右翼団体が軍国主義思想を宣伝普及し,国民教育の体系のなかで軍事訓練や軍国思想が注入され,軍需資本家が経済界をリードした。そのなかで,ドイツでは参謀総長モルトケが〈戦争がなかったら世界は物質主義へと転落してしまうであろう〉と説き,日本の〈陸軍パンフレット〉(1934)が〈たたかひは創造の父,文化の母である〉と讃えた(陸軍パンフレット事件)。そして,こうした風潮が一般大衆のあいだでも受け入れられたことの背景には,立身出世の道をふさがれた都市の下層民や貧困にあえぐ下層農民にとって,軍隊が唯一の社会的上昇や生活確保の場であるといった社会的状況があった。
第2次大戦後の世界においては,一般に先進諸国では,前述のような前近代的・身分制的な軍事思想に基づく軍国主義は不可能になった。社会の基本的な民主化の前進と科学技術の高度な発展がそれを時代遅れにしてしまったといえる。しかし他方では,アメリカのアイゼンハワー大統領の指摘(1961)以来有名になった軍産複合体の発展が,軍事費の増大と軍備の拡大,その頂点としての核戦争の脅威を恒常化し,その結果,軍事的観点からの〈安全の確保〉という発想の呪縛が市民生活を拘束するにいたっている。また文民の軍事専門家が〈安全保障〉問題に大きな役割を果たすようになるなかで,こうした〈国防インテリ〉に,かつての優れた軍人のあいだにみられた自制心や責任感や職業倫理が備わっているかどうか,という問題が出てきている(現代型の潜在的軍国主義)。他方,今日の発展途上国にはさまざまの形での軍部独裁政権が生まれている。そのなかには,その実質において一種の近代化推進独裁といえるものも多く,軍部独裁のゆえに軍国主義とすることは必ずしも正しくないが,これらの発展途上国の紛争が新しい〈兵営国家〉を生み出す危険性も小さくない。
→軍事化
執筆者:山口 定
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国家において軍事的な事象を最優先と考える思想に対する批判的呼称。たとえば国民全体を軍隊化するように,軍隊の組織原理の社会への浸透の主張,軍人を社会で最も尊重すべき人とする考え方や,国家への軍事的奉仕を国民の最も価値ある行動とする考え方などがある。多くは急速に軍事力を整備し,政治外交的手段として軍事力を多用すると認識される国家を批判する場合に用いられる。近代では19世紀から第1次大戦までのドイツに対しておもに用いられたが,ナチス・ドイツや十五年戦争期の日本にも用いられ,著名な例としては,太平洋戦争末期に連合国が日本の降伏を促したポツダム宣言がある。
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…軍事化militarizationという概念が,軍国主義militarismと区別されて使われることが多くなったのは,1970年代以降であり,とくに平和研究peace researchの分野においてである。軍事化という場合に,単に軍事力や軍事費の増大を指すこともあるが,より広く,社会(国際社会を含む)における価値配分の方法・様式として強権・物理的強制力に依拠する度合が高まる傾向や過程を指す概念として用いるほうが有用である。…
※「軍国主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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