野坂昭如(読み)ノサカアキユキ

デジタル大辞泉 「野坂昭如」の意味・読み・例文・類語

のさか‐あきゆき【野坂昭如】

[1930~2015]小説家神奈川の生まれ。コント作家、CMソング作詞家を経て本格的執筆活動に入る。自らを「焼け跡闇市派」と呼び、戯作風の饒舌体じょうぜつたい戦争の悲惨さや人間の内面を描く。「アメリカひじき」「火垂ほたるの墓」で直木賞受賞。他に「エロ事師たち」「同心円」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「野坂昭如」の意味・わかりやすい解説

野坂昭如
のさかあきゆき
(1930―2015)

小説家。昭和5年10月10日、神奈川県鎌倉市生まれ。生後1年もしないうちに母を失い、神戸在住の母の妹夫婦(張満谷姓)の養子となる。神戸大空襲で養父が行方不明となり、疎開先で終戦を迎えるがまもなく幼い義妹(前年に張満谷家の養女となった)が死亡。この体験はのちに直木賞を受ける『火垂(ほた)るの墓』などのなかに、虚実ないまぜの形で織り込まれている。1947年(昭和22)、新潟県副知事であった実父に引き取られ、野坂姓にもどる。旧制新潟高校に入るが、1年ほどで退学。1950年、早稲田(わせだ)大学仏文科に入学。7年目に抹籍処分。このあたりから、CMソングの作詞家、ラジオやテレビの放送作家などとして活躍し始め、童謡「おもちゃのチャチャチャ」でレコード大賞作詞賞もとった。

 小説のデビューは、性にまつわる人間たちの悲喜劇を描いた『エロ事師たち』(1963)で、三島由紀夫吉行淳之介らの激賞を得た。1968年『アメリカひじき』『火垂るの墓』により直木賞受賞。前者は敗戦直後中学生だった男の占領軍に対する怯(おび)えや卑屈な体験・記憶を、戦後20余年経た時間のなかで身をもってありありと蘇らせられるドラマを、諧謔(かいぎゃく)に満ちた文体で描いたもの、後者は、終戦の年の9月、神戸三宮駅構内で栄養失調でのたれ死んだ戦災浮浪少年とその妹の死を描いたものである。そのころから焼跡闇市派(やけあとやみいちは)などと自称し、独特な饒舌(じょうぜつ)体で、既成の良識への反抗を江戸時代の戯作(げさく)者を思わせる文体で人気作家となり、『骨餓身峠死人葛(ほねがみとうげほとけかずら)』『真夜中のマリア』(ともに1969)などの代表作を生んでいった。

 1971年からは雑誌『婦人公論』に「戦争童話集」を連載、1975年に1冊にまとめた。第1話の、日本海軍の潜水艦と見誤られた1頭のクジラの悲劇をはじめ、全12話はすべて「昭和二十年、八月十五日」という冒頭をもつ。生々しい戦争の悲惨さを、非現実の童話的枠組みのうちに浮かび上がらせている。自伝的な小説もきわめて多いが、『一九四五・夏・神戸』(1976)、『人称代名詞』(1985)などが知られる。

 一方で、歌手やタレントとしてテレビなどにも多く出演、「マリリン・モンロー・ノー・リターン」「黒の舟歌」などのヒット曲もある。1972年、雑誌『面白半分』に永井荷風(かふう)作といわれる『四畳半襖(ふすま)の下張』を採録し、猥褻(わいせつ)に関する裁判の引き金を引いたことでも知られる。1983年、第二院クラブより参議院議員に当選したが、その数か月後、田中角栄(かくえい)の選挙区新潟3区から総選挙に挑戦して落選した。1987年、敬愛する三島由紀夫の実像に迫ろうとした力作赫奕(かくやく)たる逆光』を発表。これは三島の家系や生い立ちの秘密にふれようとするのみならず、それを通して野坂自身の生い立ちや半生についても暴く内容になっている。1995年(平成7)、『戦争童話集』がイラストレーター黒田征太郎(せいたろう)(1939― )の手により絵本になり、また黒田原画による全12話のアニメーション映画が1999年にかけて完成。毎年終戦記念日前後にNHKの衛星テレビで放映された。沖縄を語らなければ『戦争童話集』は終わらないという黒田の強い思いを受け、2001年、『戦争童話集 沖縄編』として新たに『ウミガメと少年』を刊行。『火垂るの墓』での問題意識を持続させた。

[高橋広満]

『『野坂昭如エッセイ集』第1~第7(1969~1974・中央公論社)』『『野坂昭如抒情作品集』(1975・朝日出版社)』『『四畳半色の濡衣:野坂昭如戯作』(1977・文芸春秋)』『『野坂昭如自選短編集』(1978・読売新聞社)』『『赫奕たる逆光――私説・三島由紀夫』(1987・文芸春秋)』『『絵本野坂昭如戦争童話集』1~6(1993・汐文社)』『『野坂昭如戦争童話集1 小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話』『野坂昭如戦争童話集2 凧になったお母さん』(1995・新潮社)』『『野坂昭如コレクション1 ベトナム姐ちゃん』『野坂昭如コレクション2 骨餓身峠死人葛』『野坂昭如コレクション3 エストリールの夏』(2000~2001・国書刊行会)』『野坂昭如・作、黒田征太郎・絵『ウミガメと少年――野坂昭如戦争童話集 沖縄編』(2001・講談社)』『『エロ事師たち』『真夜中のマリア』『アメリカひじき・火垂るの墓』(新潮文庫)』『『骨餓身峠死人葛』(中公文庫)』『『てろてろ』『一九四五・夏・神戸』『とむらい師たち』(講談社文庫)』『『人称代名詞』(講談社文芸文庫)』『『マリリン・モンロー・ノー・リターン』(文春文庫)』『野坂昭如著、遠丸立解説『人間図書館 野坂昭如――アドリブ自叙伝』(1994・日本図書センター)』『清水節治著『戦災孤児の神話――野坂昭如+戦後の作家たち』(1995・教育出版センター)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野坂昭如」の意味・わかりやすい解説

野坂昭如
のさかあきゆき

[生]1930.10.10. 神奈川,鎌倉
[没]2015.12.9. 東京
小説家。生母との死別後,神戸の親戚に養子として引き取られた。第2次世界大戦末期,1945年6月の大空襲で養父母を失い,妹とともに戦災孤児となった。妹が栄養失調で衰弱死したのち大阪,神戸,東京で放浪生活を送り,その間,食べ物欲しさから窃盗を働き少年院に収容された。思春期におけるこれらの体験が「焼け跡闇市派」としての原点となり,のちの直木賞受賞作である『火垂るの墓』(1967)と『アメリカひじき』(1967),および『一九四五・夏・神戸』(1976)につながる。1950年早稲田大学仏文科に入学したが,バーテンダー,闇屋などさまざまなアルバイトにのめり込んで中途退学。1955年三木鶏郎の冗談工房に入社,これを契機にコント,コマーシャルソング,テレビ台本などの分野で頭角を現し,1963年には童謡『おもちゃのチャチャチャ』で日本レコード大賞作詞賞を受賞。また「黒メガネのプレイボーイ」姿でマスコミをにぎわした。小説家としての第一作『エロ事師たち』(1966)は,戦後の性風俗の氾濫と退廃のなかにおける人間の極限の姿を,独特な長い話文体で描ききった作品で,三島由紀夫吉行淳之介らの絶賛を浴びた。その後も『本朝淫学事始』(1971)など,性を切り口にしながら社会や教育によって真の人間性がそこなわれてゆくことへの危惧を訴えた。一方で歌手,キックボクサーなどとしても活躍。1972年,雑誌『面白半分』に掲載された『四畳半襖の下張』にかかわる裁判で被告席に立った(→猥褻罪)。1983年には参議院議員通常選挙に立候補し当選,さらにロッキード事件に際して田中角栄の金権政治を批判し,同 1983年田中の地元から衆議院議員総選挙に立候補し落選した。2002年泉鏡花賞受賞。ほかの著作に『とむらい師たち』(1967),『骨我身峠死人葛』(1969),『死の器』(1973),『赫奕たる逆光――私説・三島由紀夫』(1987),『同心円』(1996,吉川英治文学賞)など。

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百科事典マイペディア 「野坂昭如」の意味・わかりやすい解説

野坂昭如【のさかあきゆき】

小説家。神奈川県生れ。第2次大戦中神戸で空襲にあい,養父を失う。織田作之助を読んで影響を受けた。戦後,実父に引き取られ,旧制新潟高校を経て早稲田大学仏文科中退。種々の職業を経て,1963年の《エロ事師たち》で三島由紀夫吉行淳之介らの絶賛を受ける。1967年《火垂(ほた)るの墓》《アメリカひじき》で直木賞。〈戦後闇市逃亡派〉を自称,したたかな生活力とユーモアとともに,アナーキーな反骨精神が特徴。
→関連項目山藤章二

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知恵蔵mini 「野坂昭如」の解説

野坂昭如

日本の作家。1930年、神奈川県生まれ。早稲田大学中退。63年に作家デビューし、同年、作詞した「おもちゃのチャチャチャ」で日本レコード大賞童謡賞を受賞。68年、自身の戦争体験を題材にした小説『火垂るの墓』『アメリカひじき』で直木賞を受賞。『火垂るの墓』は後にアニメ化された。72年に編集長を務めていた雑誌に掲載した永井荷風作とされる小説「四畳半襖の下張」を巡る裁判では、わいせつの概念について最高裁判所まで争い、注目を集めた。83年には参議院比例代表区で当選するが、金権政治を批判して辞職。同年の衆議院選挙に田中角栄元首相と同じ新潟3区から立候補するも落選した。97年に『同心円』で吉川英治文学賞を、2002年に『文壇』で泉鏡花文学賞を受賞。歌手としても知られ、テレビCMや討論番組に出演するなど幅広い分野で活躍した。2015年12月9日、心不全で死去。享年85。

(2015-12-11)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野坂昭如」の解説

野坂昭如 のさか-あきゆき

1930- 昭和後期-平成時代の小説家。
昭和5年10月10日生まれ。コント作家,CMソング作詞家として活躍。昭和38年人間の業(ごう)を戯作(げさく)風の文体で追究した「エロ事師たち」で評価される。43年「火垂(ほた)るの墓」「アメリカひじき」で直木賞。平成9年「同心円」で吉川英治文学賞。焼け跡闇市派を自称し,「四畳半襖(ふすま)の下張」裁判,参議院議員当選などでも話題をよんだ。神奈川県出身。早大中退。

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