具体美術協会(読み)ぐたいびじゅつきょうかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「具体美術協会」の意味・わかりやすい解説

具体美術協会
ぐたいびじゅつきょうかい

前衛美術団体。1954年(昭和29)12月、もと二科会内の前衛グループ九室会のメンバーであった吉原治良(よしはらじろう)を中心に、嶋本昭三(しまもとしょうぞう)(1928―2013)、山崎つる子(1925―2019)、正延正俊(まさのぶまさとし)(1911―1995)、吉原通雄(みちお)(1933―1996)、上前智祐(うえまえちゆう)(1920―2018)、吉田稔郎(としお)(1928―1997)、東貞美(あずまさだみ)(1927― )ら15名によって結成され、翌1955年新制作協会の白髪一雄(しらがかずお)、村上三郎、金山明(1924―2006)、田中敦子(あつこ)らが参加、7月芦屋(あしや)川畔で野外実験展を催した。同年10月東京で具体美術第1回展を開催、以後1968年まで21回行い、その間アンフォルメルのミシェル・タピエMichel Tapié(1909―1987)などとも交流をもち、海外展を催すなど活発な活動を続けたが、1972年2月吉原治良が他界し、同年3月解散した。

[佐伯英里子]

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改訂新版 世界大百科事典 「具体美術協会」の意味・わかりやすい解説

具体美術協会 (ぐたいびじゅつきょうかい)

吉原治良(1905-72)を軸に1954年12月,芦屋市で関西の若手作家を中心に設立された美術家団体。吉原の〈具体美術宣言〉(1956)に言うように,人間と物質との直接的なかかわりから新たな美術を志向するものだった。展覧会,野外展,舞台展などさまざまな形態で発表活動を行うとともに,機関誌《具体》(1955-65,計14号)を刊行。世界的にみても,カプローフルクサスの活動以前にハプニングなどの形式を創造し,金山明,村上三郎,田中敦子,白髪一雄(しらがかずお),嶋本昭三,元永定正,吉原通雄らの初期の重要な活動によって,ネオ・ダダなど日本の反芸術的動向の先駆けの役割を果たした。57年のM.タピエの来日などを機に,反芸術的傾向からアンフォルメル絵画へと変貌する。団体としては,62年9月大阪・中之島に〈グタイピナコテカ(具体美術館)〉を開設し,また65年ころからはキネティックな立体作品を作る若手作家を送り出したりしたが,72年吉原治良の没後に解散した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「具体美術協会」の意味・わかりやすい解説

具体美術協会
ぐたいびじゅつきょうかい

吉原治良,吉田稔郎,嶋本昭三などによって 1954年7月に結成された前衛美術集団。翌 55年1月の機関紙『具体』の創刊を機に,白髪一雄,田中敦子,村上三郎,金山明が合流して,活発な活動を開始。読売アンデパンダン展や「具体美術協会展」,野外展や舞台展などを開催した。その作品は,初期にはパフォーマンス色の強いもの (当時はアクションと呼ばれた) や,丸太,泥,布,水,廃品などをほぼそのままの形で提出するもの,表現行為の極限的な縮小など,特異なものが多かったが,57年に来日したフランスの評論家 M.タピエに見いだされて以後,海外へ紹介されると同時に急速にアンフォルメル的な抽象画の方向へ収束していった。 58年以降も具体美術協会は継続したが,実質的には 55~57年までの3年間の活動が最も華々しいものであった。 72年吉原の死とともに解散。当初はほとんど評価されなかったが,その後の日本の前衛美術のあらゆる局面を内包していた点で,今日では高く再評価されている。国内では 86年の「具体-行為と絵画」展 (兵庫県立近代美術館) ,海外では「前衛芸術の日本 1910-1970」展 (パリ,ポンピドゥー・センター) がその代表例である。

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百科事典マイペディア 「具体美術協会」の意味・わかりやすい解説

具体美術協会【ぐたいびじゅつきょうかい】

1954年大阪で吉原治良を中心に結成された美術グループ。伝統的な絵画や彫刻といったジャンルでなく,身体によるパフォーマンスやさまざまな日用品を素材とした制作を提唱。吉原の〈今までやってなかったことをやれ〉という提言のもと,表現の新しい次元を開拓し,1950年代の日本における最も先鋭的な動向を示した。その後は1957年のM.タピエ来日などを機に,アンフォルメル絵画の傾向が強まった。1972年吉原の死去とともに解散。
→関連項目芦屋市立美術博物館メール・アート

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世界大百科事典(旧版)内の具体美術協会の言及

【ハプニング】より

…これは実際には,ハプニングのきわめて早い例で,このときの学生であったカプローは,そこから,〈日常と芸術との境目をあいまいにする〉ことを学んだのである。日本では,50年代前半に具体美術協会が野外や舞台で偶発的なアクションをくりひろげており,ハプニングの先駆例として評価されている。 60年代には,C.オルデンバーグ,ジム・ダイン,レッド・グルームス,ラモンテ・ヤング,小野洋子,ナムジュン・パイクら,フルクサスのメンバーをはじめとする多彩な芸術家がニューヨークその他でハプニングを発表し,ヨーロッパではJ.J.ルベル,W.フォステル,J.ボイスらの試みがあった。…

※「具体美術協会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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