翻訳|happening
1960年代に、アメリカを中心に、音楽や美術などの領域の芸術家たちが行った、偶然的な行為やできごとを呈示する芸術。さまざまな芸術ジャンルの要素を同時に含みながら、既成のどのジャンルにも分類されないという性質をもつ。現在ではパフォーマンスのなかの一つの特殊な傾向と考えられるようになっている。具体的には、無意味な言語を発声したり、バケツにくんだ水をもう一つのバケツに移したり、あるポーズで一定時間動かずにいたりする、あるいは、これらの対応関係をあらかじめ定めずに、同一会場内で同時進行させるなどの行為が行われる。固定した形をとらず、1回限りの偶然的なできごとであること、行為者が登場人物に扮(ふん)して演技をするのではないという点で、演劇や他のパフォーマンスから区別される。ホールや美術館の外の空間で行われることもあり、コンセプチュアル・アートconceptual artとも関係をもっている。
[庄野 進 2018年10月19日]
この原型は、1952年にジョン・ケージらによって行われた朗読、音楽、舞踊、映画とスライドの上映などが同時進行する催しであった。すなわち、自然や日常生活のなかで生ずるできごとのように、芸術家によって意図されたものではない、無目的的な、聴覚的、視覚的、運動感覚的なできごとの呈示が強調されたのである。
これはアメリカの芸術家たちに大きな影響を与えたが、こうした動きが本格的に展開されたのは1950年代末からで、ニューヨークが舞台となった。ケージに学んだカプローは、1959年に『六つの部分から成る18のハプニング』を行い、身体の動き、音響、スライド、カンバスに色彩を塗る行為などを呈示した。ハプニングの名称はこれに由来する。ほかにもブレクトGeorge Brecht(1926―2008)、ナム・ジュン・パイク、ハンセンAl Hansen(1927―1995)、ヒギンズDick Higgins(1938―1998)ら、ケージに学んだ芸術家たちを中心に、同様の催しが以後次々と行われた。これらの芸術家たちは、マチューナスGeorge Maciunas(1931―1978)を中心とした「フルクサス」Fluxusというグループを形成していった。オノ・ヨーコ(小野洋子)、ヤングらがグループの中心であったが、明確な組織体ではなく、ボイス、フィリウRobert Filliou(1926―1987)、フォステルWolf Vostell(1932―1998)、小杉武久(たけひさ)、靉嘔(あいおう)ら、ヨーロッパや日本の芸術家たちも深い関係をもっていた。ただし、グループの活動にはダダイズム的な傾向や表現的色彩の濃いものも多く、ハプニングだけが行われたわけではない。また、日本の赤瀬川原平(げんぺい)らの「ハイレッドセンター」もハプニング的な活動を行った。しかし、1970年代に入ると、この傾向は急速に影を潜めてしまった。
[庄野 進 2018年10月19日]
『C・トムキンズ著、中原佑介・高取利尚訳『花嫁と独身者たち』(1972・美術出版社)』▽『トーマス・ケライン、ジョン・ヘンドリックス編、ワタリウム美術館訳『フルクサス』(1994・クレオ)』▽『塩見允枝子著『フルクサスとは何か?――日常とアートを結びつけた人々』(2005・フィルムアート社)』▽『赤瀬川原平著『東京ミキサー計画――ハイレッド・センター直接行動の記録』(ちくま文庫)』
一回性の行為を中核とした表現形式を指す。〈偶発的なできごと〉を意味する日常的な英語であるが,1960年代,とくにアメリカの美術家たちが,表現の新しい領域として〈アクション〉に注目したとき,〈ハプニング〉は独特の響きをもつ美術用語となった。命名者はA.カプローで,1959年ニューヨークのルーベンReuben画廊で《六つの部分からなる18のハプニング》を発表したとき,この語が用いられた。三つの部屋で,光,映像,言葉,オブジェなどを伴って,多くの参加者がさまざまな行為を行った。この催しでは,ハプニングにおいて〈自発的な,起こるべくして起こる何か〉(カプロー)が重要視され,一回性の偶然や自発性が強調されたのである。
カプローのハプニングの淵源には,J.ポロックのアクション・ペインティングとJ.ケージの偶然性の音楽があった。キャンバスを床にひろげ,体ごと中に入って激しいアクションによって絵具を飛び散らせたポロックは,肉体と意識の交錯を生(なま)の時間の中にさらしつづけたわけであるが,ハプニングは,この描く行為自体をさらに積極的に,純粋に演じようとした。また,50年代はじめ,ブラック・マウンテン・カレッジで教えていたケージは,〈生活のすべてと同じように,偶然と気紛(きまぐ)れと変化と乱雑さとほんの瞬間的な美しさを伴った行為〉を音楽のイベントとして展開していた。これは実際には,ハプニングのきわめて早い例で,このときの学生であったカプローは,そこから,〈日常と芸術との境目をあいまいにする〉ことを学んだのである。日本では,50年代前半に具体美術協会が野外や舞台で偶発的なアクションをくりひろげており,ハプニングの先駆例として評価されている。
60年代には,C.オルデンバーグ,ジム・ダイン,レッド・グルームス,ラモンテ・ヤング,小野洋子,ナムジュン・パイクら,フルクサスのメンバーをはじめとする多彩な芸術家がニューヨークその他でハプニングを発表し,ヨーロッパではJ.J.ルベル,W.フォステル,J.ボイスらの試みがあった。日本でも,ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ,ハイレッド・センター(高松次郎,赤瀬川原平,中西夏之ら)などのグループや一柳慧(いちやなぎとし),小杉武久ら音楽家のハプニングが知られている。60年代末には,R.ラウシェンバーグらのEAT(イーエーテイー)(1969結成)が,テクノロジーとアクションを織りまぜた大がかりな催しを展開した。
ハプニングは60年代という破壊的・行動的な時代の産物であり,肉体信仰のロマンティシズムと管理社会への反抗精神に色濃く彩られていた。60年代末の大学闘争をきっかけとした〈異議申立て〉の世界的運動の中に,ハプニングは増幅拡大されて受け継がれ,消えていった。
80年代に使われはじめた〈パフォーマンス〉は,ハプニングと比べると,もっと醒(さ)めた,繰り返しうる淡々とした日常性に主眼がおかれ,L.アンダーソンに見られるように,ハイ・テクノロジーとエンターテイメントの要素が強調されているのが特色である。
→パフォーマンス
執筆者:東野 芳明
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…化合物はほとんどが酸化数IVであり,IIおよびIIIはハロゲン化物など少数が知られている。
[製法]
製錬原料のジルコンにはつねにハフニウムHfが少量含まれるが,ハフニウムは熱中性子吸収断面積が大きいため(110バーン),原子炉の燃料被覆材として使用するためには,ハフニウムの含有量は0.01%以下にする必要がある。まず鉱石を炭素とともにアーク炉で熱して還元し,ケイ素の大部分を二酸化ケイ素として除き炭化ジルコニウムとする。…
※「ハプニング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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