楠瀬喜多 (くすのせきた)
生没年:1836-1920(天保7-大正9)
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楠瀬喜多【くすのせきた】
自由民権運動家。高知県生まれ。日本最初の婦人参政権要求者といわれる。高知藩の剣道指南役であった夫に死別した頃より立志社演説会を傍聴するようになり,河野広中ら民権活動家と交友。女戸主として納税していたにもかかわらず,1878年の高知県区会議員選挙で投票を拒否されたため税金を滞納,県庁に抗議文を出し,内務省にまで意見書を提出して〈民権ばあさん〉の異名をうけた。
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楠瀬喜多
没年:大正9.10.18(1920)
生年:天保7.9.9(1836.10.18)
明治期の民権運動支援者。高知城下に生まれた。明治7(1874)年,夫に先立たれてのち,寡婦で通した。立志社の民権運動に共感して支援,10年代初頭には全国から有力な民権運動家が板垣退助らを訪ねて高知に滞在したが,後年有名になった河野広中,杉田定一,頭山満ら多くの民権運動家を親身になって世話し,「民権ばあさん」の愛称を得た。潮江村要法寺で念仏三昧の余生を送ったという。
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楠瀬喜多 くすのせ-きた
1836-1920 明治時代の自由民権運動家。
天保(てんぽう)7年9月9日生まれ。土佐高知藩剣術指南役の楠瀬実と結婚し,明治7年死別。10年代の高知で板垣退助らの民権運動に共鳴して,立志社を支援。河野広中(ひろなか),頭山満(とうやま-みつる)らの活動家からしたわれ,「民権ばあさん」とよばれた。大正9年10月18日死去。85歳。土佐(高知県)出身。
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