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(武田光一)
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「ちんなんぴん」ともいう。中国、清(しん)代中期の画家。江戸時代、長崎に来航し、いわゆる長崎派花鳥画の源となり、わが国の花鳥画に大きな影響を残した。名は詮(せん)、字(あざな)は衡之(こうし)、南蘋は号。浙江(せっこう)省呉興県の出身。浙江の花鳥・動物専門の職業画家で、1731年(享保16)12月から33年9月まで長崎に滞在し、その作品を残したため、南蘋画はわが国に多い。またその間、地元の熊斐(ゆうひ)をはじめ日本の画家を指導した。画風は明(みん)代の花鳥画の系統を引き、西洋画の写実的技法が加わったものである。中国では文人画家偏重から顧みられなかったが、その技量には優れたものがあり、日本では熊斐門下の鶴亭(かくてい)によって京坂に、同門宋紫石(そうしせき)によって江戸に彼の花鳥画風が伝えられ、その写実表現が日本の絵画界全体に及ぼした影響は少なくない。
[星山晋也]
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…字は南蘋,あるいは衡之ともいう。衡斎と号したが,日本では沈南蘋しんなんぴん∥ちんなんぴんの名で広く親しまれている。浙江省の湖州の出身,あるいは徳清の人とも伝えられる。…
…江戸時代の長崎における諸画派の総称。長崎は鎖国体制下における唯一の通商貿易港であったから,絵画などでも中国やオランダから新様式が流入した。この特殊な港町にさまざまな画派が興ったのであり,そこに様式上の共通性が見られるわけではない。それらはほぼ次のような流派に大別される。(1)黄檗(おうばく)派は,黄檗宗の中国僧によって伝えられた写実的な高僧肖像画を学び,喜多元規らの肖像画家を生んだ(黄檗美術)。(2)漢画派は,1644年(正保1)に来朝した黄檗僧逸然(1600か01‐68)を祖とし,河村若芝(1629か38‐1707),渡辺秀石(1639‐1707)らが謹厳な北宗画風の絵を描き,秀石は唐絵目利職につくなど,長崎派の主流となった。…
…字は南蘋,あるいは衡之ともいう。衡斎と号したが,日本では沈南蘋しんなんぴん∥ちんなんぴんの名で広く親しまれている。浙江省の湖州の出身,あるいは徳清の人とも伝えられる。…
※「沈南蘋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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