ヒエログリフ(聖刻文字)によって代表される古代エジプト文字のこと。ヒエログリフはシュメールの文字とともに世界最古の文字で,使用の上限は先史時代末期(前3200ころ)。文字の存在がエジプトの政治的・経済的・文化的発展を促進したことはいなめない。〈聖刻〉の名のごとく石面・木面に刻まれた例が多いが,しっくい壁やパピルスにも書かれた。象形文字,絵文字ともよばれるように,きわめて具象的であることで有名である。文字形成の素材は人体,人体の各部分,人の動作,動物(鳥,獣,魚,爬虫類,虫),植物,地形,天体,建造物,祭器,装身具,武器,農器具,道具,容器,食物など万般にわたり,基本的な文字の数は700余り。各文字は本来素材そのものを示すもの(表意文字)であったが,早くから音の転用による表音文字の働きをもするようになり,さらには〈頭音acrophony〉の活用によって24個のアルファベットが定められた。これは今日世界で広く用いられている各種アルファベットの遠い祖先である。語の表記法としては,表音文字のみによるものと,表意・表音両種文字の組合せとがあり,後者では表音文字が日本語のふりがなや送りがなのような役割を果たす。同音異義語を区別するために,しばしば語尾に〈決定詞determinative〉が置かれるが,これは発音とは関係ない。表意文字,表音文字,決定詞の3者の関係は流動的で,同じ文字が二つ以上の機能をもつことが少なくない。たとえばはnという音を示すだけの場合もあり,英語のof,for,toなどの意味をもつ前置詞の役目を果たすこともある。行文の書き方には右進行縦書き,左進行縦書き,右→左横書き,左→右横書きの4種がある。ヒエログリフは子音のみを表すので,外国語に移された神名,王名,地名や,コプト語からの類推による母音付加vocalizationの研究が進んでいるものの,この文字で綴られた語の発音を完全に復元することは不可能である。それゆえ欧米の学者たちも,たとえば,テーベの市神の名をAmon,Amen,Amunなどと綴って,一致を見ない。
ヒエログリフの絵画的性質からして,墓壁や神殿各部などに刻まれたり書かれたりした場合,その美術的・装飾的効果はつねに十分に配慮された(ちなみに今日の日本においても,この文字は模様としてよく用いられる)。またエジプト人は文字の神秘的な力を信じ,生命・安定などを意味する文字の形を陶製・金属製などの護符として用いた。ヒエログリフを漢字の楷書になぞらえるなら,行書にあたるものは〈ヒエラティックhieratic〉で,おもに木棺やパピルスに葦ペンと黒インキ(まれに赤インキ)を用いて書かれ,行文は通常右→左横書きであった。ヒエログリフとヒエラティックとはともに古期・中期・後期(または新期)エジプト語を記すのに用いられ,前者による碑銘には来世に関する書,神々の賛歌,王・高官の業績録などがあり,後者による文書には宗教書,文学作品,科学書などがある。末期のヒエラティック文書には宗教的なものが多かったので〈神官文字〉の名が生まれた。前7世紀ころから〈デモティックdemotic(民衆文字)〉が現れる。ヒエログリフの草書体ともいうべきもので,行文はおもにパピルスに右→左横書きに記され,内容には宗教的なものや文学的なものもあるが,法律上・商業上の契約に関するものが多い。そこに用いられている言語(デモティック語)は当時の日常語である。後3世紀ころからはコプト文字が用いられた。これはおもにギリシア語アルファベットを母体として作られたもので,十全ではないが母音も表記されている。行文はパピルスに左→右横書きに記され,内容的にはキリスト教関係のものが多い。この文字で記されたコプト語はギリシア語の影響を多分にうけており,上記エジプト諸語からだいぶ変化してきているが,エジプト語であることには変りがなく,エジプト語の伝統はこのコプト語によって近代にまで継承されてきた。それゆえヒエログリフの消滅(4世紀),デモティックの消滅(5世紀)をもってエジプト語が死語となったとは必ずしもいえないのであるが,ヒエログリフとコプト文字とはあまりにも字面(じづら)が異なっていたため,キルヒャーなどを例外とすれば,両者の表す言語の同一性が忘却されたことも事実である。
ヒエログリフはいわゆる文字の通念からはずれたものとして,その一つ一つが神秘的・象徴的な意味をもつものと考える風潮が一般的となった。そして,近・現代学者によってヒエログリフが再び文字として認識され,新たに解読されるにいたる契機となったのは,ナポレオンの部下将兵によって発掘されたロゼッタ・ストーンであった。この碑文は上・中・下段にそれぞれヒエログリフ,デモティック,ギリシア文字が刻まれており,ギリシア語部分がまず解読され,他の2文も同一の内容をもつという(正しい)想定のもとに,ヨーロッパの言語学者・東洋学者たちが解読を試みた。彼らによる多くの試行錯誤ののち,イギリスのT.ヤングがヒエログリフ解読への〈軌道〉にのせ,これら先覚者たちの成果をふまえて,フランスのシャンポリオンが真の成功をかちとった。彼の天才的なひらめきを助けたものは,コプト語をはじめとする諸言語の素養,古代エジプト語とコプト語との同一性の確認,エジプト史の深い理解,ロゼッタ・ストーンとフィラエ島出土の碑銘との比較研究などであった。ヒエログリフ解読についての,彼の最初の公式発表は,1822年9月29日パリの学士院におけるものであった。この発表に対する疑惑や反論もないわけではなかったが,ドイツのエジプト学者レプシウスCarl Richard Lepsiusの支持がシャンポリオンの成功を不動のものとした。今日エジプト文字の研究は国際的に広く行われている。
→エジプト語
執筆者:加藤 一朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
古代エジプトで使われた文字。聖刻文字、神官文字、民衆文字の3種がある。いちばん古いのが聖刻文字(ヒエログリフ)で、人体、鳥、獣、魚、その他自然界のものを絵として示した。この文字はすでに先王朝時代に生まれていたが、書記法が整ったのは第1王朝が始まってからである。その書記法は、音韻文字(アルファベット)と意味文字を組み合わせるということであり、同じ文字が場合によって音韻文字になり、また意味文字にもなった。音韻文字といっても1文字1音だけではなく、2音、3音を表すものがあった。また表記音韻には母音はなく、子音だけである。そこで今日のエジプト学者は、子音の間にeまたはoの音を補って発音している。聖刻文字の数は約700である。その書記法は日本の「漢字仮名交じり文」に近い。
この聖刻文字は筆記に手数がかかり、したがって多くの時間を要するので、早く書くための神官文字(ヒエラティック)が生まれた。この新しい文字は、絵を著しく簡略化したものである。聖刻文字が神殿、ピラミッド、墓、勅令などに一貫して用いられるのに対し、神官文字は行政上の文書、文学作品、書簡におもに用いられた。パピルス紙の普及とともに神官文字は多用された。ついでエジプト人は、それをさらに早く書くくふうをし、民衆文字(デモティック)をつくりだした。紀元前7世紀のことである。これは、神官文字の象形的な名残(なごり)をまったく捨てるとともに、文字のグループをまとめて記すという文字で、行政上の文書に主として用いられた。
前30年にエジプトがローマ領になってから、エジプト文字は著しく衰え、紀元後5世紀にビザンティン皇帝ユスティニアヌスの勅令によって神殿閉鎖が命ぜられたときをもって決定的に消えた。聖刻文字は1822年にフランスのシャンポリオンによって解読されたが、この鍵(かぎ)を与えたのは前2世紀の、聖刻文字、民衆文字、ギリシア文字で書かれたロゼッタ石の碑文である。
[酒井傳六]
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…古代エジプト文明のすべての分野を研究対象とする学問。歴史学の一分野に属するが,文献学・考古学とは特に密接な関係があり,宗教学・言語学・文学史・美術史・建築史・経済学・文化人類学・自然人類学・医学・生物学・天文学・数学・技術史など,人文・自然科学にまたがるさまざまな部門をも含んでいる。エジプト文明は文献や考古学的資料(遺跡,遺物)が豊富で多種類にわたるため,文明のはじまりから終末までの発展段階や類型を知ることができ,しかも文明の性格が伝統的・保守的であるため,他文明との影響関係の考察や比較が容易である。…
…象形文字は,漢字に限らない。古代エジプト文字すなわちヒエログリフ(聖刻文字)は典型的な象形文字であって,その装飾的字体は人,獣,鳥,ヘビ,器などの姿を如実に示している。メソポタミアの楔形(くさびがた)文字の原形も象形による文字であり,おそらくこのシュメール文字と関係のある原始エラム文字,またインダス文化の出土品にみられる原始インド文字(インド系文字),あるいは目下解読されつつあるクレタ文字,その影響と思われるヒッタイト文字など古代の原始的文字はみな象形文字である。…
※「エジプト文字」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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