日本大百科全書(ニッポニカ) 「エジプト文字」の意味・わかりやすい解説
エジプト文字
えじぷともじ
古代エジプトで使われた文字。聖刻文字、神官文字、民衆文字の3種がある。いちばん古いのが聖刻文字(ヒエログリフ)で、人体、鳥、獣、魚、その他自然界のものを絵として示した。この文字はすでに先王朝時代に生まれていたが、書記法が整ったのは第1王朝が始まってからである。その書記法は、音韻文字(アルファベット)と意味文字を組み合わせるということであり、同じ文字が場合によって音韻文字になり、また意味文字にもなった。音韻文字といっても1文字1音だけではなく、2音、3音を表すものがあった。また表記音韻には母音はなく、子音だけである。そこで今日のエジプト学者は、子音の間にeまたはoの音を補って発音している。聖刻文字の数は約700である。その書記法は日本の「漢字仮名交じり文」に近い。
この聖刻文字は筆記に手数がかかり、したがって多くの時間を要するので、早く書くための神官文字(ヒエラティック)が生まれた。この新しい文字は、絵を著しく簡略化したものである。聖刻文字が神殿、ピラミッド、墓、勅令などに一貫して用いられるのに対し、神官文字は行政上の文書、文学作品、書簡におもに用いられた。パピルス紙の普及とともに神官文字は多用された。ついでエジプト人は、それをさらに早く書くくふうをし、民衆文字(デモティック)をつくりだした。紀元前7世紀のことである。これは、神官文字の象形的な名残(なごり)をまったく捨てるとともに、文字のグループをまとめて記すという文字で、行政上の文書に主として用いられた。
前30年にエジプトがローマ領になってから、エジプト文字は著しく衰え、紀元後5世紀にビザンティン皇帝ユスティニアヌスの勅令によって神殿閉鎖が命ぜられたときをもって決定的に消えた。聖刻文字は1822年にフランスのシャンポリオンによって解読されたが、この鍵(かぎ)を与えたのは前2世紀の、聖刻文字、民衆文字、ギリシア文字で書かれたロゼッタ石の碑文である。
[酒井傳六]