18世紀のスペインの政治家。本名セノン・デ・ソモデビーリャ・イ・ベンゴエチェアZenón de Somodevilla y Bengoechea。スペイン北東部アレサンコAlesancoの出身。家柄や、18歳で海軍省入りするまでの経歴は不明。スペイン継承戦争(1701~14)の末に締結されたユトレヒト条約で、スペインはイタリアでの領土をいったんは放棄したものの、ただちにこれの回復を外交目標に据え、エンセナダはこの政策遂行に多大の功績をあげた。この功績により1736年に、当時ナポリ王だった後のカルロス3世から爵位を授与され、以後、フェルナンド6世およびカルロス3世の2代にわたって重臣の一人として活躍した。海軍の強化、土地台帳の作成とこれに基づく税制の合理化、財政再建、農業振興に向けての道路と運河の建設など、スペイン・ブルボン朝が掲げる改革路線を強力に推進した。
しかし、当時のスペインの政治と社会に圧倒的な影響をもっていたイエズス会の処遇をめぐって、王権至上主義の立場から同会の追放を意図するカルロス3世と対立、1766年に発生したエスキラーチェの乱に加担したかどで宮廷を追われ、その政治生命を終えた。
[小林一宏]
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スペインの政治家。18歳で海軍省へ入る。1736年に侯爵。43年には,大蔵,海軍,インディアスの大臣職を兼任し,内政を改革,科学とともに工業,農業,公共事業の発展をもたらした。しかし,反英・親仏の外交姿勢に固執したこと,カルロス3世のイエズス会士追放に反対したことにより,計2度の亡命生活を余儀なくされた。
執筆者:鈴木 昭一
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