日本大百科全書(ニッポニカ) 「かるた」の意味・わかりやすい解説
かるた
かるた / 歌留多
骨牌
室内遊戯具の一種。長方形の厚紙、獣骨、獣角、プラスチック製などの薄板に絵や文字、短歌などを書いたもの数十枚を一組とする。ポルトガル語のカルタcartaが語源であるが、古く中国から伝わった博打(ばくち)遊びの樗蒲(かりうち)(かりた・ちょぼ)からきたという説もある。日本のかるたは、日本古来の歌貝、歌がるた系統のものと、うんすんかるたを始祖とする西洋伝来の系統のものに大別できる。日本古来のかるたのうち歌貝は、平安・鎌倉時代の貝合(かいあわせ)、ひいてはその後の貝覆(かいおおい)(蛤(はまぐり)の左右の貝殻の裏に記された和歌の上下の句をあわせる遊び)の遊び方を踏襲しながら、後代には貝殻のかわりに将棋の駒形(こまがた)に切った厚紙を用い、それに和歌を書き、上の句にあわせて並べられた下の句をとる。江戸時代女性や子供の遊びとして行われた。
歌がるたは、歌貝から考案されたもので、最初は上流階級の遊びであったが、外来の西洋カルタの影響から形も歌貝の駒形から西洋カルタ式の長方形となり、そこから歌がるたの名称が用いられるようになった。文字のほかに絵札が加えられ江戸中期ころから正月の遊びになったらしい。遊び方にも競技の観念が強まり、上下100枚一組で行われたが、安永(あんえい)(1772~81)以後は藤原定家撰(ていかせん)の『小倉(おぐら)百人一首』(天智(てんじ)天皇から順徳(じゅんとく)天皇までの各時代の歌人百人の歌1首ずつを記したもの)に内容が一定され、現在もこれが用いられる。
順礼(じゅんれい)かるたは、歌貝系の歌がるたの一種で、江戸時代元禄(げんろく)年間(1688~1704)に流行した。当時の歌舞伎(かぶき)俳優の似顔を順礼姿に写し、西国三十三所の霊場巡りにつくったものである。また歌がるたの一つに、いろはがるたがあり、江戸中期以後に子供向きのものとしてつくられた。
西洋カルタ系にはうんすんかるた、天正(てんしょう)かるた、花かるた(花札)などがある。トランプもこれに含まれるが、本来は西洋カルタの切り札をさすことばである。それらのなかで、まず最初にうんすんかるたが渡来した。これを改変したものに天正かるたがあった。天正年間(1573~92)にできたといわれ、しばしば賭博(とばく)に用いられた。総札数48枚で、12か月になぞらえ一(ピン)から十二(キリ)まで各4枚ずつある。「ピンからキリまで」という文句は、これから出たとされる。この天正かるたから京製のけんねんじ(建仁寺)かるたなどができて、おもに京坂地方で用いられた。
花かるたは、花札、花合(はなあわせ)ともいい、天正かるたから生まれ、日本独特なものに改変されている。四季12か月の花の絵が描かれているので、この名がある。
[斎藤良輔]
『小高吉三郎著『日本の遊戯』(1943・羽田書店)』▽『斎藤良輔編『日本人形玩具辞典』(1968・東京堂出版)』