イタリアの詩人。コモ近郊の貧しい絹織物商の家庭に生まれる。満足な教育が受けられなかったため,ミラノの親戚に引き取られてバルナバ修道会の学校へ通い,不本意ながらも聖職につく。1752年に,アルカディア派の影響の濃い約100編の詩からなる処女詩集《リパーノ・エウリピーノの詩選集》を発表し,一躍ミラノの文学界に名をはせる。翌53年にトラスフォルマーティ学会に入会。54年からはセルベローニ公爵家に個人教授として招かれる。文化の中心地ミラノにおけるこれらの経験を通じて,しだいにパリーニはアルカディア派の影響を脱し,当時ヨーロッパに広まっていた啓蒙主義に傾斜していくが,57年には,その最初の文学的表現として,散文詩《貴族に関する対話》を著した。この作品は,同じ墓地に埋葬された貴族と詩人の2人の死者が,貴族の特権をめぐって対話を重ねるうちに,人間の根源的な平等性を確認しあう結論に達するもので,その背景に流れる思想は,代表作《一日》に受け継がれていく。この代表作は,《早朝》(1763),《真昼時》(1765),《黄昏》《深夜》(ともに未完のまま1801刊)の全4部からなる長編詩で,家庭教師が教え子の若い貴族に一日の過ごし方を教え諭すという体裁をとりながら,貴族社会の虚無と腐敗と悪徳を明るみに出してみせた。アルカディア派から啓蒙主義を経て新古典主義にいたる18世紀後半のイタリアの文学思潮のなかで,パリーニの占める位置は大きい。
執筆者:鷲平 京子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イタリアの詩人。コモ近郊生まれ。貧しかったために、不本意ながらもミラノで聖職についた。1752年に発表した処女詩集『リパーノ・エウリピーノの詩選集』により、一躍ミラノの文学界に名を馳(は)せた。この作品はアルカディア派の影響を強く受けていたが、しだいにパリーニはその影響を脱して、当時ヨーロッパに広まっていた啓蒙(けいもう)主義に傾倒していき、57年に著した散文詩『貴族に関する対話』では、同じ墓地に埋葬された貴族と詩人の2人の死者が貴族の特権をめぐって語り合い、やがて人間の根源的な平等性を確認しあう。この思想は代表作『1日』――「早朝」(1763)、「真昼時」(1765)、「黄昏(たそがれ)」「深夜」(ともに未完のまま1801年刊)の四部構成の長編詩――に受け継がれ、家庭教師が貴族の若者に1日の過ごし方を教える体裁をとりながら、貴族社会の虚無と腐敗と悪徳とを明るみに出してみせた。
[鷲平京子]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…スズ箔の円筒は,その後蠟を塗った蠟管に改良された。一方,円筒形レコードに対して,円盤型のレコードを開発したのはバーリナーEmile Berliner(1851‐1929)で1887年のことである。その功績は,レコードを円盤とすることにより,スタンパーという金属製のレコード原盤を用いた大量生産を可能としたことであろう。…
※「パリーニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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