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イワン[4世] イワン

百科事典マイペディアの解説

イワン[4世]【イワン】

モスクワ大公,ロシア皇帝(在位1533年―1584年)。1547年に親政を始め,特別議会やオプリチニナ制度で大貴族を圧迫し,帝権の強化を図った。カザンアストラハンを征服し,バルト海への出口を求めて1558年リボニア戦争を起こした。
→関連項目ストロガノフ[家]セルギエフ・ポサドのトロイツェ・セルギー大修道院の建造物群偽ドミトリー[1世]モスクワ大公国リューリク朝ロシア

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世界大百科事典 第2版の解説

イワン[4世]【Ivan IV Vasil’evich】

1530‐84
モスクワ大公。在位1533‐84年。ロシア史上最も強力かつ個性的な君主の一人で,イワン雷帝と呼ばれる。多くの歴史家や芸術家(A.K.トルストイレーピンエイゼンシテイン)にとりあげられているが,1626年のモスクワ大火で記録の大半が焼失しているため,その生涯や人柄,政治的役割には不明の個所が多い。ワシーリー3世の子で3歳で即位し,1546年までは政権をめぐる有力貴族(ボヤーレ)の陰謀のなかで暮らしたが,府主教マカーリーからビザンティン風のキリスト教君主の理念を学び,47年そのすすめで正式にツァーリの称号をとった。

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世界大百科事典内のイワン[4世]の言及

【オプリチニナ】より

…原義は14~15世紀にモスクワ大公家の成員に分与された特別所領を指すが,普通は1565‐72年に設定された皇帝直轄領とそれに属する軍隊などの諸制度およびその間の分権的勢力の一掃を目指すイワン4世の政策を総称する。イワン4世は困難なリボニア戦争,側近との衝突,大貴族への懲罰と彼らの反抗に直面して,1565年退位をもって国民を脅迫し,非常大権を得たうえで,特別の領域,軍隊,財政,行政をもつオプリチニナを創設した。…

【クルプスキー】より

…ロシアの貴族。当初イワン4世の寵をうけ,〈選抜者会議〉の一員として,また軍事指導者の一人として活躍。1556年大貴族に任じられた。…

【皇帝】より

…ここから,ゲルマン語では,たとえば現代ドイツ語のカイザーKaiserが,スラブ語でも,たとえば現代ロシア語のツァーリtsar’が生まれた。tsar’称号もまた,imperator称号と同じく中世でビザンティン帝国のbasileus称号と等置されたが,そのtsar’称号を,920年代にはブルガリア人シメオン1世が(先行ブルガリア人支配者の称号khan=汗にかわって),1346年の戴冠式にはセルビア人ステファン・ドゥシャンが(kralj称号にかえて),1547年の戴冠式にはロシア人イワン4世が(先行支配者たちが最初に帯びていたknyaz’(公)称号,のちに帯びるようになったvelikii knyaz’(大公)称号の代りに),それぞれとなえたのは,いずれも,ビザンティン帝国の標榜する世界皇帝理念に対するみずからの態度表明としてであった。なお近代では,ピョートル大帝が,tsar’称号を廃して,代りに西方のimperatorを公式称号に採用したけれども,tsar’称号は依然として民間で存続した。…

【モスクワ・ロシア】より

…国号はモスクワ大公国ウラジーミル大公国内でのモスクワ公国の発展をうけて,モスクワ大公イワン3世は〈北東ロシア〉(ウラジーミル大公国とノブゴロド)の政治的統一に向かい,〈タタールのくびき〉にも終止符を打った。また,イワン3世は〈ルスカヤ・プラウダ〉後,最初の全国的な〈裁判法規集(スジェブニク)〉を1497年に編纂した。…

※「イワン[4世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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