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ローマ皇帝。在位69-79年。フラウィウス朝の創始者。ローマ北東サビニ地方レアテの生れ。父親は徴税請負人であった。有能な軍人で,67年にネロ帝によりユダヤ反乱鎮定の総司令官に任じられ,その平定半ばでネロが死に,69年後継者争いの中で東方諸軍団は彼を皇帝に推挙,彼はユダヤの鎮圧を長子ティトゥスに託し,一方彼の部下がイタリアで政敵を倒した後,ローマに入り皇帝となる。彼はネロ以後の内乱で破綻に瀕した財政の再建と威信回復に力を尽くし,また辺境の防衛体制強化を図る一方,有能な属州民の元老院議員への登用やローマ,ラテン市民権付与など,属州のローマ化を推進した。彼はその出身である中産階級特有のまじめさと厳格さをもってこれらの政策を遂行した結果,帝国の財政は好転し,コロセウムや神殿が建設され,体制は再び安定した。死後神格化され,帝位は長子ティトゥスが継いだ。
執筆者:島 創平
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ローマ皇帝(在位69~79)。騎士身分の父と元老院議員の妹を母として、サビニ地方レアーテに生まれる。コンスル、アフリカ総督を経て、67年ユダヤの反乱鎮圧の総司令官に任命された。68年ネロ帝の死後、ガルバ、オトーが相次いで倒され、ウィテリウスが帝位につくに及び、アレクサンドリアの軍団により皇帝に推戴(すいたい)された。ドナウ川方面の軍団をローマに進軍させ、ウィテリウスを倒し、元老院から承認された。彼は、内乱のために炎上したカピトリヌス神殿の再建やコロセウムなどの建設を行い、帝国は秩序と繁栄を回復した。息子ティトゥスとドミティアヌスを後継者と定め、フラウィウス朝を開いた。
[市川雅俊]
9~79(在位69~79)
ローマ皇帝。総督としてユダヤの反乱を鎮圧していたとき,ネロ帝が倒され,帝国の混乱のなかで,配下の軍団によって皇帝に推された。内乱に勝利して秩序を再建し,帝国の繁栄を回復した。帝位は二人の息子に順次に引き継がれた。
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…69‐96年。ネロ帝の死によるユリウス・クラウディウス朝の断絶に続く内乱を収拾したフラウィウス家のウェスパシアヌス(在位69‐79)は元首に迎えられ,その治世には法制が整えられ,官僚制も進展した。彼の後を継いだ長子ティトゥス(在位79‐81)は善政をしいて〈人類の寵児〉とたたえられたが,次子ドミティアヌス(在位81‐96)は恐怖政治に傾いたので,反感をかい暗殺された。…
…この一連の事件は,皇帝がローマ以外の地で,しかも属州駐屯の軍隊の意思で擁立されることを示したが,彼らは元老院による承認を必要とするということは認めていた。しかし結局ユダヤ戦争を戦っていたウェスパシアヌスが部下の軍隊とパンノニア軍に擁立されて正式に帝位に就いた。彼はエルサレムを攻略し,他方四帝並立のすきに蜂起していたライン地方のキウィリスGaius Julius Civilisの反乱,ガリアのクラッシクスJulius Classicusの独立運動も破砕された。…
※「ウェスパシアヌス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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