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ウル Ullr

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウル
Ullr

北欧神話の神。トルとシフの息子。スカジの夫。弓とスキーに熟達しており,姿の美しさで有名。オーディンがいない間は,彼の代理をつとめた。巨人シアジの娘スカジは,父の仇を討つためにアスガルズに行くが,神々のとりなしでその決意を翻し,神ニヨルズと結婚して神々の仲間となった。しかし,スカジが北風や雪や氷,おおかみの叫びなどに満ちた山国育ちであったのに対し,夫ニヨルズは海辺の育ちで,2人はうまく折合わず結局別れてしまう。スカジはしばらく1人で暮したが寂しさに耐えきれず,再びこの冬の神ウルと結婚した。

ウル
Ur

イラクの首都バグダードの南東約 300kmに位置するシュメールの古代都市。旧約聖書の『創世記』にあるアブラハムの故郷「カルデア人のウル」として知られる。現名はムカイヤル。レナード・ウーリーらにより 1922~34年に発掘された。前4500年頃にはすでに居住者がいたと考えられるが,大洪水後のウル第1王朝(前2650~前2400)時代(→初期王朝時代)にはメソポタミア南部一帯の首都となった。当時のウルの豊かさは,金銀財宝および殉死を伴った一連の荘厳な王墓の発掘によって明らかになった。セム系のアッカドの王サルゴン(在位前2350頃~前2300頃)時代およびグティ人による侵入の時代のあとにウル=ナンムによりウル第3王朝(前2130頃~前2021)が創始され,再度シュメール全土の首都となった。しかしエラム人(→エラム)の侵略を受けてウル第3王朝は滅亡,その後政治の中心がバビロンへ移行したことにより,重要性を失った。ウル=ナンムが建立したジッグラト(高さ約 12m,底面積 2944〈64×46〉m2)はウルの守護神である月神ナンナ(アッカド語シン)に捧げられたもので,ウル第1王朝時代のジッグラトの上に建てられ,後代のジッグラト形式のもととなった。新バビロニア時代の最後の王ナボニドスにより修復され,メソポタミアに現存するジッグラトのなかでは最も良好な状態を保っていることで知られている。2016年,同じくメソポタミアの古代都市遺跡であるウルクエリドゥ,および生物多様性の顕著なチグリス川ユーフラテス川下流の 4ヵ所の湿地帯とともに,「イラク南部のアフワール:生物多様性保護区とメソポタミア都市群の残存する景観」として世界遺産の複合遺産に登録された。

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デジタル大辞泉の解説

ウル(Ur)

イラク南部にあるシュメール人の古代都市の遺跡。ユーフラテス川の下流にあり、前3000~2000年に栄えた。20世紀になって王墓などが発掘された。

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百科事典マイペディアの解説

ウル

ユーフラテス川左岸下流にある古代バビロニアの主都の遺跡。前4千年紀初めに彩文土器をもつ原始文明があり,大洪水で洗い去られたが,約500年後復活し,都市国家をつくった。
→関連項目エリドゥキシュ殉葬鉄器墳墓ホール

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世界大百科事典 第2版の解説

ウル【Uru】

南アメリカ西部,チチカカ湖およびその周辺の中央アンデス高地に住む少数民族。ウロ,ウノ,オチョマとも呼ばれる。言語的には,中央アンデス高地の大民族であるケチュア族やアイマラ族とは関係のないウル・チパヤ語系と考えられている。しかし,現在はウル語を話す者はほとんどなく,近接して住むアイマラ族の影響でアイマラ語を話すのがふつうである。また,アイマラ族との結婚などにより,その社会や文化もアイマラ化が進んでいる。

ウル【Ur】

メソポタミア最南部,シュメールの地に存在した古代都市。現在名テル・アルムカイヤルTell al‐Muqayyar。旧約聖書には〈カルデア人のウル〉と記され,またアブラハムの家郷であった。遺跡は19世紀中葉に発見,1922年より34年まで大英博物館,ペンシルベニア大学博物館によって発掘(指揮C.L.ウーリー)され,同時に発掘された近隣のアルウバイドとともに先史時代ウバイド期に関する重要な材料を提供した。

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大辞林 第三版の解説

ウル【Ur】

イラク南部、ユーフラテス川下流にあったシュメール人の都市遺跡。紀元前3000年には都市国家として栄え、前2000年に全バビロニアを支配した。一九世紀に遺跡が発見され、1919年以来ウーリーらにより王墓などが発掘された。現存する最大規模のジッグラトは高さが約21メートルの三層で、頂部に月神ナンナルの神殿を持つ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ウル
うる
Ur

古代メソポタミア南部の都市。現在のイラク南部、バグダード南東約350キロメートルにある遺跡で、テル・ムカイヤル(瀝青(れきせい)の丘)とよばれている。『旧約聖書』には「カルデアのウル」と記され、アブラハムの故郷とある。ウルクと同様、長い歴史をもったシュメールの都市で、1854年大英博物館の委嘱でこの丘を調査したイギリス領事のテーラーJohn George Taylorは、碑文により『旧約聖書』のカルデアのウルであることを確認した。その後1918年にトムソンReginald Campbell Thompson(1876―1941)が、1918~1919年にホールHenry Reginald Holland Hall(1873―1930)がそれぞれ発掘を試みたが、いずれも試掘程度にすぎず、本格的な発掘は1922~1934年、ウーリー卿(きょう)が大英博物館およびペンシルベニア大学博物館の合同探検隊を指揮して行われた。1923~1924年には、ウルの北西約6.4キロメートルの地点にあるアル・ウバイド(エル・オベイド)の丘でホールの残した発掘を再開し、彩色土器を特徴とするいわゆるウバイド文化を明らかにした。ここで発見されたニンフルサッグ神殿の礎石には「ウルの王メス・アンネパッダの息子にしてウルの王アアンネパッダ」の名が刻まれていた。後代の王朝表で、メス・アンネパッダ(天神アンの選んだ英雄)は、ウル第1王朝(前2500ころ~前2400ころ)の最初の王としてすでに知られていた王であり、神話的とみなされてきた王朝と王の歴史的存在が実証された。その結果、年代の決定とメソポタミア美術史における出土遺物の位置づけが得られることになった。[吉川 守]

ウルの王墓

1927~1929年にはウルで「王墓」が発見され、その豪華な出土品と多数の人間、ウシの殉葬(じゅんそう)によって世界の注目を集めた。殉葬を伴った王墓は円筒印章によりアバルギ王のものと推定された。メスカラムドゥッグや、王妃シュブ・アドなどの墓から出土した遺物には有名な「ウルのスタンダード」、黄金の兜(かぶと)、黄金の鉢、大杯、銀製の舟模型、象眼(ぞうがん)された遊戯盤と駒(こま)、貝細工の飾板をもつ竪琴(たてごと)、金、ラピスラズリ、銀、貝殻、赤い石などの多色配合でつくられた灌木(かんぼく)に後ろ足で立つ牡羊(おひつじ)像、牡牛頭部その他多数があり、いずれも高度な技術の発達を示す精巧なもので美術的な逸品である。建築様式は最古のドーム、アーチが採用され、シュメール文化の特徴となるプラノ・コンベックスれんがplano-convex brick(上面が盛り上がった曲面をなすれんが)が初めて使用されている。アバルギ王墓にみられた殉葬については、このような習慣がシュメールの他の遺跡や文献で知られていないため、その解釈は未解決のまま残されている。[吉川 守]

ウルの歴史

ウル第1王朝は、5王、170年で滅亡する。ウルはその後サルゴン朝、グティウム朝の支配を受けるが、ウルナンム王がふたたびバビロニアを統一し、ウル第3王朝(前2060ころ~前1950ころ)を樹立した。ウルナンムは世界最古のシュメール法典の制定者として有名であるが、属州制による統治方式を採用し、属州内の主要都市には王の代理(シャグッブagub)を置き、官僚組織による集権的専制王国を建設した。第3王朝は5王(ウルナンム、シュルギ、アマル・シン、シュ・シン、イビ・シン)によって統治されるが、その末期にはエラム人の反乱と侵攻を受け、またセム系遊牧民族アムル人の侵略を受けて滅亡する。バビロン第1王朝の7代の王サムス・イルナはその治世11年にウルとウルクの城壁を破壊し、荒れるにまかせた。新バビロニア時代になるとウルはふたたび復活し、ネブカドネザル2世はウルの神殿、ジッグラトを再建した。その後ウルの名はほとんど記録には現れず、紀元前4世紀ごろにはれんがの散乱する廃墟(はいきょ)と化したと推定される。[吉川 守]
 ウルの遺跡は、2016年、「イラク南部のアフワル:生物多様性保護区とメソポタミア都市群の残存景観」の一つとして、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産の複合遺産に登録された(世界複合遺産)。[編集部]
『ウーリー著、瀬田貞二・大塚雄三訳『ウル』(1958・みすず書房)』

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世界大百科事典内のウルの言及

【シュメール美術】より

…本項では歴史の流れを考慮し,アッカド美術をも記述に含める。 シュメール美術の作品例は,ウルク期(前3800ころ‐前3000ころ)のころからのものが知られている。この時期にメソポタミア南部の都市ウルクでは,聖域エアンナEannaに神殿複合体が造営された。…

【神殿】より

…有力な都市ではそこにジッグラトが建てられた。ジッグラトは日乾煉瓦造のテラスを積み重ねた階段状の構築物で,完成された形式をもつ現存最古の実例はウルにあり,底面約62m×43m,高さ約20mの3層の塔であった。〈バベルの塔〉の伝説の原型になったと考えられるバビロンのジッグラトは,底面約90m×90m,高さ約90mの7層の塔であったと伝えられ,いずれもその頂上には一部屋の神室が建っていたと考えられる。…

※「ウル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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