改訂新版 世界大百科事典 「カニ」の意味・わかりやすい解説
カニ (蟹)
crab
甲殻綱十脚目短尾亜目Brachyuraに属する節足動物の通称。長尾類(エビ類),異尾類(ヤドカリ類)に対応して短尾類と呼ばれる。十脚目の細分に関しては研究者の間で異論があり,エビ類の多くを遊泳亜目,エビ類のうちのイセエビ類やザリガニ類およびヤドカリ類とカニ類をまとめて歩行亜目とする分け方もある。これに従えば,エビ,ヤドカリ,カニという分け方は単に便宜的なものにすぎない。しかし,一般には受け入れられやすく,遊泳類,歩行類という分け方では,いわゆるエビ類が二つに分けられてしまうため感覚的に抵抗感がある。比較形態学的な考え方に立てば,例えば下等なカニ類とされるアサヒガニやカイカムリ類では雌の生殖孔がヤドカリ類やエビ類と同様に第2歩脚の底節に開口し,胸甲に開口する真のカニ類とは明らかに異なる。言い換えれば,“カニ類”という一つの群は一般的な外形からはまとまりがあるが,系統学的には受け入れがたい面がある。
形態と機能
カニ類は十脚目の中で形態,生態とももっとも変化に富んでいる。頭胸甲は1枚の甲で覆われているが,その形態は造形的に可能なあらゆる変異が見られるといっても過言ではない。甲面は完全に滑らかで光沢のあるものから,多くの甲域に細分され,大小の粒,とげ,棘毛(きよくもう),羽状毛などに覆われるものまで著しく変化に富む。甲域は内臓諸器官の位置を示しており,胃域,心域,腸域,鰓域(さいいき)などと呼ばれるが,その形状は分類学上のとくに重要な特徴である。付属肢は他の甲殻類と同様で,頭部付属肢は第1,2触角,大顎(だいがく),第1,2小顎であるが,エビ類などと違って第2触角の退化傾向が著しく,単なる短いひげとして残っているにすぎず,触角本来の働きはしない。大顎,第1,2小顎は口器の一部になっている。胸部付属肢は口器に加わる第1~3顎脚(がつきやく),はさみ脚,第1~4歩脚の8対である。口器の形態は先方にとがっている場合と四角形の場合があり,口を閉じる第3顎脚の形態は系統学的にも重要な意味をもっている。はさみ脚は捕食,採餌,闘争,防御などに使われる。はさみの形態は食性などと密接な関係があり,ワタリガニ類のように鋭い歯をもつ捕食型から,多くのスナガニ類のようにスプーン状にへこんでいるものまで多様である。一般的に雄のはさみ脚が大きく,そのうえ,左右の大きさを異にすることも多いが,シオマネキ類の雄のように極端に大きさが異なるのは例外的である。テナガコブシガニ,タカアシガニ,エンコウガニなどでは,雄の二次性徴としてはさみ脚が異常に巨大化するが,これは雄としての単なる象徴ではなく,交尾の際に雌を抱きかかえるのに有効である。4対の歩脚は一般に単純な棒状であるが,最後の1~2対が泳ぐためや砂に潜るため,あるいは他の目的のために変形していることも少なくない。腹部の筋肉は退化していて,体の下側に折りたたまれており,エビ類のような運動器官としての用はなさない。雄の腹部は幅が狭く,種によっては数節が融合しているが,雌の場合はほとんど例外なく7節からなり幅広い。腹肢は雄では2対あり,大部分の種では第1腹肢が長くて交尾器となり,第2腹肢は短くて補助器官として働くが,少数の種では第2腹肢が糸状に長い。交尾器は変異が少なく,とくに第1腹肢は重要な分類の目安になる。雌には腹肢が4対あり,いずれも内肢と外肢に枝分かれし,内肢の毛に卵が付着する。雄の生殖孔は第4歩脚の底節に開口するが,雌の生殖孔は真のカニ類では第2歩脚のある胸甲に開口する。
分類
世界で約5000種,そのうち日本からは1000種あまりが記録されている。分類学的にはアサヒガニ群(アサヒガニ類),カイカムリ群(カイカムリ類),ホモラ群(ミズヒキガニ,ホモラ類),尖口群(カラッパ,コブシガニ,ヘイケガニ類),尖頭群(クモガニ,ヒシガニ類),ヒゲガニ群(イチョウガニ,ヒゲガニ類),方頭群(オウギガニ,ワタリガニ,イワガニ,スナガニ類),サンゴヤドリガニ群(サンゴヤドリガニ類)に分けられる。多くの種は一般に甲幅1~5cmであるが,歩脚が長いクモガニ型と短いオウギガニ型がある。最小の種は日本産のマメガニダマシで,甲幅2.8mm,はさみ脚を広げても1cmほどであるが,最大の種は日本特産のタカアシガニで,甲幅30cm,雄がはさみ脚を広げると3mを超える。なお甲幅だけではオーストラリアオオガニが60cmで最大。
生態
カニ類は一般に温帯から熱帯にかけての潮間帯,サンゴ礁,大陸棚に多いが,河口やその付近の湿地,淡水域,深海にすむ種もかなりの数にのぼる。多くは単独生活者であるが,他の動物と共生,寄生関係にある種も少なくなく,その場合はむしろカニ類が他の動物を利用するものであるが,寄生を受ける例もかなりある。動きのにぶい種は岩の割れ目に潜り込むだけでなく,カイメンや群体ボヤを背負ったり,海藻を積極的につけてカムフラージュしたり,イソギンチャクをつけて防御したりする。また,体の形態そのものが周囲の岩や海藻の擬態となっていることも多く,そのうえ,擬死などの習性をもつものもある。
カニ類中でもっとも視覚が鋭いといわれるのがスナガニ類で,その運動法は典型的な横ばいである。歩脚の幅が広く,各節は一平面での屈伸だけが可能で,そのうえ,各歩脚が前後に接近しているため,左右への動きがもっとも自然なのである。水中を活発に泳ぐワタリガニ類においても,遊泳脚の構造は歩脚と基本的に同様であるため“横泳ぎ”である。歩脚の体壁への関節はわずかながら回転運動が可能で,前後あるいは斜めにも少しは歩くことができる。歩脚の断面が丸いクモガニ類やコブシガニ類は前にも斜めにも歩くことができるが,いずれも動きが遅い。アサヒガニやキンセンガニ類の歩脚もワタリガニ類の遊泳脚のように平板状であるが,これらはむしろ後ずさりして砂に潜るのに使われる。
発生
カニ類はノープリウス幼生期を卵内で過ごし,ゾエア幼生で孵化(ふか)するのが一般的であるが,淡水生活に適応しているサワガニ類のみは稚ガニが孵化する直接発生である。ゾエア幼生は1本ずつの額棘(がつきよく)と背棘,左右に1本ずつの側棘を備えるのが典型的体制であるが,それぞれの有無は種によって異なる。ゾエア幼生は走光性を示しながら,顎脚の遊泳毛と腹部の屈伸運動によって活発に遊泳する。種ごとにほぼ一定の2~5回の脱皮の後にカニ型のメガロパ幼生となり,続く脱皮によって稚ガニに変態して底生生活に移る。直接発生のサワガニ類は卵が大きく,そのかわり50個内外であるが,海産の大型カニ類では100万個にのぼる。雌ガニは卵を約1ヵ月間抱き,とくに河口域にすむアカテガニなどは月の周期(満月か新月の日没と満潮が重なる時刻)に合わせて放卵する。
成長は脱皮によって行われるが,幼時には数週間の間隔で,成長すると小型種で年に2~3回,大型種で1回程度である。甲の後端と腹部の間の縫合線が破れ,新しい軟らかい体が後方に抜け出る。水分を吸収して大きくなるが,体の部分によって硬化する速さが異なる。イワガニなどでは完全に元の硬さに戻るのに約1ヵ月かかる。この間がカニ類にとって外敵に襲われやすい危険な時期で,脱皮のときに,自切したはさみ脚や歩脚が再生する。
自切
石などが落ちて脚が傷つけられたりすると,付け根近くの基節と底節の間にある特定の脱落面で脚を切り落として体液の流出を防ぐ。これは防護自切と呼ばれるが,一方,外敵に脚をつかまれたときに切り落として逃げるのが逃避自切である。いずれにしても,脱落面に再生芽ができ,数回の脱皮の後に原形に復する。成体ではさみ脚の大きさが異なる場合,大きいほうを失うと反対側が代償的に大きくなるが,シオマネキ類の雄の場合は別で,再生によって左右の大小が逆転することはない。
産業
日本で産業的に漁獲対象とされているのはズワイガニ(ベニズワイガニを含む),ケガニ,ガザミだけであるが,地方的に食用とされる種は数多い。ガザミは養殖が試みられているが,稚ガニが共食いするため,クルマエビのような完全養殖は産業的には成立しがたく,現在では放流によって天然種苗を補っている。
執筆者:武田 正倫
日本における食用史と民俗
縄文時代から日本人がカニを食べていたのはいうまでもない。《古事記》には応神天皇の食膳に〈角鹿(つぬが)(敦賀)のカニ〉が供されたことが見え,《万葉集》にはこれも天皇に進めるため,ニレの樹皮をつきこんだ塩汁をぬってカニを干物にするという歌がある。こうした塩干品と塩辛が多かったのではないかと思われるが,《延喜式》に摂津の贄(にえ)として見える擁劔は,あるいはゆでただけのものであったかもしれない。擁劔は〈かざめ〉で,いまのガザミである。《和名抄》では擁劔は〈亀貝類〉に分類されており,そこにはほかに蟹,石蟹などのほか,寄居子と書いて〈かみな〉と読むものが見られる。これは〈がうな〉ともいい,ヤドカリである。ヤドカリは室町末期までは貴人の食膳にのぼっていたのだが,どういうものか江戸時代に入るとまったく姿を見せない。理由はまだわからないが,食品として忌避されるようになったようである。
執筆者:鈴木 晋一 食物としてエビと並称され美味であるが縁起物として祝膳に上ることはない。甲羅を脱いで再生することから奄美・沖縄地方には出産時にこれをはわせて幼児の成育を願う習俗があり,またその甲羅の模様が人の顔に似ていることから怨念ある死者の再来とも説明された。平家蟹が水没した平氏の霊の生まれかわりとされ,武文蟹も同じくこの名の死者の姿と説かれる。正月にサワガニを門口にかけて守とする風習も強力な霊によって悪疫や災魔の侵入を防ぐ意味と見られる。さらに,《日本霊異記》や《今昔物語集》に見える蟹満寺の伝説はカニに恵みを与えた女性が蛇におそわれ死に瀕(ひん)したとき,恩を受けたカニが集まって蛇の身体をはさみ,これをたおしたというもので,カニを霊ある動物と考え,また悪を避けるものと見ていた。しかし,他方で海浜の農民は田のあぜに穴をあけ作物を害するのでこれをきらっている。
執筆者:千葉 徳爾
西欧における伝承
西欧の占星術には〈巨蟹宮〉としてカニが登場する。その属性は水,支配星は月であるため,女性的性格,あるいは女性の生理の象徴とされる。同じく水を属性とするサソリ(天蝎宮)と対比されたため,太陽が巨蟹宮を通過するとカニはサソリに変身するとか,カニは蛇やサソリのかみ傷をなおすなどの俗信が生じた。太陽が巨蟹宮に入ると夏至になることから,カニは夏の到来,さらにこれ以後日が短くなるために〈死〉を暗示するイメージを伴うようにもなった。なお,癌を英語でキャンサーcancer(カニの意)と呼ぶのは,その患部がゴツゴツとしてカニの甲を思わせるためであろう。ギリシア神話では,ヘラクレスと闘う水蛇ヒュドラ(干ばつの象徴)に加勢し,英雄のかかとを挟んだ動物カルキノスKarkinosとして登場する。このカニは英雄に殺されるが,ヘラクレスを憎むヘラにより天に運ばれかに座とされたといわれる。
執筆者:荒俣 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報