出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都府木津川市の旧山城町にある真言宗の寺。《今昔物語集》には,昔観音信仰に傾倒した一少女が,食料としてとらえられた蟹を人より買い取り,生命を救ったが,後日大蛇に求婚される危難に遭った。少女は夜もすがら観音経を読み,その危機を逃れんとしたが,その時多くの蟹が現れて大蛇を倒し少女を救った。死んだ蛇や蟹の冥福を祈ってその地に建立したのが,この寺であるという。律令時代には当地は,蟹幡とか綺郷と呼ばれ,救った蟹が恩返ししたという伝承と結びついて,寺号となったのであろう。鎌倉時代に至って,この建立説話はますます有名になった。一時寺運が衰えていたが,1711年(正徳1)に智積院亮範が再興した。本堂は南面し,丈六の銅造釈迦如来座像を安置している。像高は240cmもあり,奈良・薬師寺金堂の薬師如来像とならぶ名作として著名である。奈良時代初期の製作と推定され,国宝に指定されている。
執筆者:堀池 春峰
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京都府木津川(きづがわ)市山城町綺田(やましろちょうかばた)にある寺。普門山(ふもんざん)と号し、紙幡寺(かむはたじ)とも称する。真言宗智山(ちさん)派に属する。寺伝によると、奈良時代以前、渡来人秦和賀(はたわか)の創建と伝えるが不詳。あるとき、観音信仰の深い娘が、村の子供らにとらえられた蟹を哀れに思い、もらい受けて山川に放してやった。のち娘が蛇に求婚されて困っているとき蟹が蛇を殺し、その恩に報いた。そこで娘の身代りとなって死んだ多くの蟹と、蛇のなきがらを葬り、その上に御堂を建てて観音像を祀(まつ)ったとの縁起により、蟹満寺と称するに至ったという。本堂に安置されている現本尊の釈迦如来(しゃかにょらい)像(国宝)は白鳳(はくほう)時代の作で、金銅坐像(ざぞう)、8尺8寸(約2.7メートル)の堂々たる尊像。観音堂に安置されている聖観音(しょうかんのん)像は木像金塗りの坐像で、平安後期の作。蟹満寺縁起に関する資料として、『法華験記(ほっけげんき)』『今昔(こんじゃく)物語』『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』『都名所図会』などがある。
[野村全宏]
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…正月にサワガニを門口にかけて守とする風習も強力な霊によって悪疫や災魔の侵入を防ぐ意味と見られる。さらに,《日本霊異記》や《今昔物語集》に見える蟹満寺の伝説はカニに恵みを与えた女性が蛇におそわれ死に(ひん)したとき,恩を受けたカニが集まって蛇の身体をはさみ,これをたおしたというもので,カニを霊ある動物と考え,また悪を避けるものと見ていた。しかし,他方で海浜の農民は田のあぜに穴をあけ作物を害するのでこれをきらっている。…
※「蟹満寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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