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キャメロン

百科事典マイペディアの解説

キャメロン

映画監督。カナダに生まれ,米国で育つ。大学中退後R.コーマンのもとで働き,パニック映画《殺人魚・フライングキラー》(1981年)でデビュー。A.シュワルツェネッガーをスターダムにのしあげた第2作《ターミネーター》(1984年)で人気監督となる。その後も《エイリアン2》(1986年),深海を舞台にした《アビス》(1989年),《ターミネーター2》(1991年),《トゥルーライズ》(1994年)などを発表。《タイタニック》(1997年)で,同年アカデミー賞で史上最多の11部門受賞。大型スペクタクル作品は,常に話題を呼んでいる。探検家としても知られている。
→関連項目押井守

キャメロン

英国の写真家スコットランド高官を父に,インドのカルカッタコルカタ)で生まれる。英国に移住後,48歳の誕生日に娘からカメラを贈られたのがきっかけで,写真を始める。テニソンカーライルら知合いの作家,画家をモデルとしたクローズアップの人物写真は,長い露光時間でわずかにぶれ,その焦点のずれによって柔らかなテクスチャーをもつ独特のポートレートとなっている。神話や聖書から題材をとった寓意的な作品もある。晩年セイロンで過ごし,同地で没した。

キャメロン

イギリスの政治家。2010年5月,イギリス首相に就任した。ロンドンに生まれる。エリザベス2世の遠縁の血筋。イートン校からオックスフォード大学で,哲学,政治学などを学ぶ。2001年,保守党から下院議員に当選。2005年,2期目の当選を果たす。2005年12月の党首選で,議員経験の最も少ない党首としてピット[小](ウイリアム・ピット)以来といわれる保守党党首に選ばれる。就任後,保守党を中道寄りに修正,財政再建を掲げて,2010年5月の総選挙で,第一党の位置を労働党から奪還した。しかし,過半数獲得は成らず,第三党の自由民主党との連立によってキャメロン内閣を発足させた。1812年のジェンキソン以来,就任時の年齢が最も若い首相である。GDPの10%をはるかに超す財政赤字を削減するために,公務員削減,子ども手当カット,消費税増税(2.5%上げ,20%)と緊縮策を次々と打ち出した。2011年8月,有色人種への警察官の差別的な対応からロンドンで若者の大規模な暴動が発生,若者の失業率や格差社会の増大が深刻化していることを突きつけられた。欧州信用不安ソブリンリスクでは,EUが提起している財政規律の強化を義務づける協定には参加拒否を表明,拒否権を発動し,独自路線を採ることを明瞭にした。EU脱退問題について,イギリス世論は二分しており,キャメロン首相は,2013年1月,反EUの世論に配慮して,2015年の次期総選挙で自らの政権が継続した場合,EU脱退の賛否を問う国民投票を2017年末までに行うと発表した。2012年10月には,スコットランドの独立を問う住民投票を実施する合意書に署名。投票は2014年9月に実施され,賛成44.7%,反対55.3%で否決された。任期後半に入って野党労働党は党勢回復傾向にあり,各種世論調査でも労働党が第一党の支持率を確保している。2013年8月,シリアの化学兵器使用疑惑を巡り,イギリス下院はアサド政権への武力行使に道を開く政府提出の動議を否決,キャメロンは武力行使を断念する意向を表明した。2015年5月の下院総選挙では,キャメロンの保守党は事前の予想を覆し,第二党の労働党に大差をつけて,単独過半数を獲得,キャメロン政権は第2期に入った。

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デジタル大辞泉の解説

キャメロン(David Cameron)

[1966~ ]英国の政治家。保守党。銀行家の家系に生まれ、オックスフォード大学卒業後、保守党職員となる。2001年に下院議員に当選し、2005年党首に就任。2010年の総選挙で保守党が比較第一党となる勝利を収め、第二次大戦後初の連立政権を自由民主党と組み、自らは首相となった。2016年、英国の欧州連合離脱を問う国民投票で残留を訴えたが敗北。首相を辞任した。→メイ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

キャメロン

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キャメロン
Cameron, David

[生]1966.10.9. ロンドン
イギリスの政治家。首相(在任 2010~16)。フルネーム David William Donald Cameron。国王ウィリアム4世につながる名家の出身。1988年にオックスフォード大学卒業後,保守党の調査部門に在籍し,1992年ノーマン・ラモント財務大臣の特別補佐官となり,翌 1993年マイケル・ハワード内務大臣の特別補佐官を務めた。1994年にメディア企業のカールトン・コミュニケーションズの役員に転じ,2001年に下院議員として政界入りを果たすまで籍を置いた。初当選からわずか 2年後には党幹部に指名され,保守党の顔となった。2005年保守党党首に選出。党の現代化を模索し,右派イメージの払拭に努めた。保守党は減税よりも経済の安定と公共サービスの強化を優先する中道の立場であることを表明して支持率を伸ばし,2006年の統一地方選挙で大きく議席を増やした。キャメロンのリーダーシップのもと,保守党は優勢のまま 2010年5月6日の総選挙を迎え,1931年以来最も大幅な議席増を果たした。同 2010年5月11日,選挙惨敗の責任をとったゴードン・ブラウン首相の退陣をうけ,首相に就任した。イギリスからの独立を求めるスコットランドに対して説得を続け,2014年9月に実施された住民投票(→人民投票)を否決に導いた(→スコットランド独立運動)。2015年5月の総選挙では保守党の単独過半数獲得を実現した。しかし 2016年6月に行なわれたイギリスのヨーロッパ連合 EU離脱(「ブレグジット」Brexit)に関する国民投票の結果 EU離脱が選択されたため,辞任した。

キャメロン
Cameron, James

[生]1954.8.16. カプスケーシング
カナダの映画制作者。1971年にアメリカ合衆国へ移住,カリフォルニア州立大学で物理学を専攻した。『スター・ウォーズ』Star Wars(1977)に触発され,映画制作を志す。1980年に美術監督として働き始め,翌 1981年『殺人魚フライングキラー』Piranha II: The Spawningで監督デビューしたが奮わず,自身で脚本を書くようになる。『ターミネーター』The Terminator(1984)のヒットで,アーノルド・シュワルツェネッガーをスターにし,自身の実力を証明した。その後,いずれもアカデミー賞視覚効果賞を受賞した『エイリアン2』Aliens(1986)と『アビス』The Abyss(1989)のほか,『ターミネーター2』The Terminator 2: Judgment Day(1991),『トゥルーライズ』True Lies(1994)など,技術力を駆使した大型予算作品が続いた。脚本,監督,共同制作の『タイタニック』Titanic(1997)は興行面で記録破りの成功を収めたうえ,監督賞などアカデミー賞 11部門を制覇して名作『ベン・ハー』Ben-Hur(1959,ウィリアム・ワイラー監督)と並ぶ史上最多部門受賞のタイ記録を達成した。2000年以降テレビドラマなども手がけ,ドキュメンタリー『海底の戦艦ビスマルク』Expedition: Bismarck(2002)でエミー賞を受賞した。2009年の 3D映画(→立体映像)『アバター』Avatarは『タイタニック』を上回る興行収入を達成し,ゴールデン・グローブ賞の監督賞と作品賞(ドラマ)を受賞した。

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