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オーストリアの画家。7月14日ウィーン近郊のバウムガルテンに生まれる。ウィーン工芸学校に学んだのち、1883年弟エルンストErnst Klimt(1864―1892)と工房を開き、歴史主義の影響のもとに装飾的な壁画や天井画を描いた。1892年弟の死後、一時制作を中断し工房も解散するが、1898年には新しい様式で制作を再開し、オーストリアにおけるアール・ヌーボーの代表者と目された。1900~1903年ウィーン大学に寓意(ぐうい)的な装飾画『哲学・医学・法律』を描き、その新様式が物議を醸した。設立に関与したウィーン分離派を1904年に脱会し、晩年は孤独であった。1918年2月6日ウィーンで死去。象徴的で華麗な人物画、肖像画および点描による風景画に秀作が多い。
[野村太郎]
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… 最初のものは1892年に設立されたミュンヘン・ゼツェッシオンで,その中心となったのは象徴主義の画家F.vonシュトゥックおよび自然主義の画家トリューブナーWilhelm Trübner(1851‐1917)であった。次いで97年にウィーン・ゼツェッシオンがG.クリムトを中心として創設されたが,これはJ.M.オルブリヒ,J.ホフマンら建築家,工芸家をも多く含み,オーストリアにおけるユーゲントシュティール(アール・ヌーボー)の中心となった。ベルリン・ゼツェッシオンは99年に,ドイツ印象派の代表者M.リーバーマンを中心として設立され,ドイツ最大の美術組織へと育っていった。…
※「クリムト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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