クレメンス5世(読み)クレメンスごせい(英語表記)Clemens V

改訂新版 世界大百科事典 「クレメンス5世」の意味・わかりやすい解説

クレメンス[5世]
Clemens Ⅴ
生没年:1264-1314

ローマ教皇在位1305-14年。前名ベルトラン・ド・ゴットBertrand de Got。フランスのガスコーニュに生まれ,トゥールーズ,オルレアン,ボローニャ法学を学び,1295年コマンジュ司教,99年ボルドー大司教を務めた後1305年教皇に選ばれ,リヨンフィリップ4世臨席下に就任。09年教皇庁ローマからアビニョン移し,フランス王権の強い制肘を受けた。ここに以後7代約70年にわたる〈教皇のバビロン捕囚アビニョン捕囚)〉が始まる。アナーニ事件についてはフランス側に全面的に譲歩し,また12年フランスの圧力テンプル騎士団を解散し,総長ジャック・ド・モレ以下多数の修道士が火刑にされるのを阻止できなかった。イギリスについてもつねに国王側に立ち,国王と対立したカンタベリー大司教を停職にしたり,スコットランド王を破門にした。しかし学問を大いに奨励して大学を新設し,また彼が編集し死後の17年に公布された教令集《クレメンス集》は,教会法の整備に貢献するところ大きかった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クレメンス5世」の意味・わかりやすい解説

クレメンス5世
クレメンスごせい
Clemens V

[生]1260頃. ボルドー地方
[没]1314.4.20. ロクモール
ボルドー地方出身の第195代教皇(在位 1305~14)。本名 Bertrand De Got。1299年ボルドー大司教となり,1305年フランス王フィリップ4世に擁立されペルジャで教皇に選出された。1309年に教皇座をローマからアビニョンに移し,最初のアビニョン教皇となった(→教皇のバビロン捕囚)。フィリップ4世の政策に追随して 1311年から 1312年にかけてビエンヌ公会議を開催,1312年には神殿騎士修道会を解散し,1313年には前教皇ボニファチウス8世によって廃位・幽閉されたケレスチヌス5世を列聖した。縁故主義をとり,秘密裏に蓄財していたとみられるが,学術への貢献で知られる。中国に首都大司教管区を設け,ペルジャに大学を設立,パリ,ボローニャ,オックスフォードサラマンカに東洋語の講座を開いた。教会法について発布した多くの改革令は『クレメンス教令集』Clementinaeとして伝えられる。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「クレメンス5世」の解説

クレメンス5世(クレメンスごせい)
Clemens Ⅴ

1264~1314(在位1305~14)

ローマ教皇フランス人ボローニャ大学出身の法学者。フランス王フィリップ4世の圧力でアヴィニョンに教皇庁を置き(1309年),ボニファティウス8世教書を取り消し,テンプル騎士団を解散させた。

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世界大百科事典(旧版)内のクレメンス5世の言及

【キリスト教】より

…キリスト教徒の迫害についてはタキトゥスなどの史家も触れているので,われわれは初代教会の歴史をある程度は知っていると思いがちであるが,実際には,教義,典礼,教会組織に関する確実な史料はきわめて乏しい。1世紀末の使徒教父クレメンスがコリント教会にあてた《クレメンスの第1の手紙》を見ると,すでにローマの教会がコリント教会の内紛に対し使徒の権威を主張している点が注目される。 キリスト教は都市型の宗教で,都市を中心に教会を築いていった。…

※「クレメンス5世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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