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グレゴリウス8世 グレゴリウスはっせいGregorius VIII

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

グレゴリウス8世
グレゴリウスはっせい
Gregorius VIII

[生]?. リモージュ?
[没]1140
教皇ゲラシウス2世在位 1118~19)の対立教皇(在位 1118~21)。本名 Maurice Bourdin。ベネディクト会修道士であり,クリュニー修道院で学んだのち 1098年にコインブラで司教となリ,1111年ブラガの大司教に叙階された。1116年叙任権論争から神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世(在位 1106~25)に侵攻された教皇パスカリス2世(在位 1099~1118)はベネベントへ逃亡し,グレゴリウスハインリヒ5世のもとへ派遣した。しかしグレゴリウスは皇帝の側についたため教皇から破門された。パスカリス2世の死後,ハインリヒ5世は後継の教皇ゲラシウス2世に対抗して,グレゴリウス8世を擁立した。グレゴリウス8世はゲラシウス2世とそのあとを継いだカリクスツス2世(在位 1119~24)により破門され,いくつもの修道院に幽閉されて 1140年に死去した。

グレゴリウス8世
グレゴリウスはっせい
Gregorius VIII

[生]?. ベネベント
[没]1187. ピサ
ベネベント出身の第173代教皇(在位 1187.10.~12.)。本名 Alberto de Morra。貴族出身でシトー会の修道士。1155年教皇ハドリアヌス4世(在位 1154~59)により枢機卿(→カーディナル)に任命された。1187年10月,ロマーニャフェラーラで,神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(在位 1155~90)の支持を受け,教皇ウルバヌス3世(在位 1185~87)の後継者に選出された。教皇庁の改革に着手し,聖地エルサレムをキリスト教徒の手に取り戻すため第3次十字軍(1189~92)を提唱した。しかし,エルサレムに船荷を送るため港町ピサジェノバの対立を和解させようとするさなか,死去した。

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