コポー(英語表記)Jacques Copeau

精選版 日本国語大辞典 「コポー」の意味・読み・例文・類語

コポー

(Jaques Copeau ジャック━) フランス演出家劇作家、俳優。ジッドらとともに「NRF(新フランス評論)」を発刊。小劇場ビュー‐コロンビエ座を創設し、演劇革新運動を展開した。著書民衆演劇」、戯曲「生家」などがある。(一八七九‐一九四九

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デジタル大辞泉 「コポー」の意味・読み・例文・類語

コポー(Jacques Copeau)

[1879~1949]フランスの演出家・俳優。演劇の商業化に反対し、演劇革新運動を展開、フランス現代劇の基礎を築いた。

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改訂新版 世界大百科事典 「コポー」の意味・わかりやすい解説

コポー
Jacques Copeau
生没年:1879-1949

フランスの演出家。パリの工場主の家に生まれ,16歳から劇作を試みた。ソルボンヌに学んだのち,劇評家として認められ,1909年にジッドらと雑誌《NRF(エヌエルエフ)》の創刊に参加。その後援で13年に小劇場ビュー・コロンビエ座を設立し,デュラン,ジュベらと共に演劇の品位の回復と商業主義からの脱却をめざし,シェークスピアモリエールの現代的演出に成功したほか,マルタン・デュ・ガール,ビルドラックロマンなどの新進作家も見いだした。第1次大戦中はアメリカに巡業し,20年ジュベの考案したコンクリート造の常設舞台により劇場を再開し,絵画的舞台装置や派手な転換装置を排して,戯曲と演技を中心にすえた演劇の純化を主張した。この禁欲主義が報われること少なく,物心両面の危機を迎え,24年劇場を閉鎖し,併設していた演劇学校生徒たちとブルゴーニュ片田舎でその理想をおしすすめ,民衆的演劇の可能性を探った。29年以後は野外の祝祭劇やコメディ・フランセーズの演出も手がけた。劇評集《過ぎし時の批評》,戯曲《生家》,脚色《カラマーゾフの兄弟》のほか,《民衆演劇》などの著書がある。なお演劇学校の生徒の一人であったダステJean Dasté(1904- )は,コポーの娘マリー・エレーヌと結婚劇団〈十五人組〉に加わり,第2次大戦後にはグルノーブルサンテティエンヌ演劇センターの長として地方演劇の中心的活動家となった。
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百科事典マイペディア 「コポー」の意味・わかりやすい解説

コポー

フランスの俳優,演出家。早くから劇作,評論に活躍,ジッドらと《NRF》誌の創刊に参加。1913年ビュー・コロンビエ座を創設,反自然主義演劇を推進。C.デュラン,L.ジュベなどを発見育成した。ビルドラック,J.ロマンなどを紹介上演した功績は大きい。
→関連項目シュランベルジェバティピトエフ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コポー」の意味・わかりやすい解説

コポー
Copeau, Jacques

[生]1879.2.4. パリ
[没]1949.10.20. ブルゴーニュ,ボーヌ
フランスの演出家。パリの貴金属細工商の家に生れた。 A.ジッドに認められて文芸批評を行い,1909年『新フランス評論』 NRFの創刊に参画,その主筆となったが,11年『カラマーゾフの兄弟』の脚色をしたことから,演劇改革運動を決意,13年ビュー=コロンビエ座を創立,商業主義を排して芸術としての品位と純粋性をそなえた演劇を目指した。戯曲を重視するとともに,G.クレイグや A.アッピアの流れをくむ造型的で簡潔な演出によって主としてモリエールやシェークスピアの作品で成功を収めた。第1次世界大戦後演劇学校をつくり,24年その生徒とともにブルゴーニュの田舎に引きこもり,理想の演劇の実現をはかった (→コポー一座 ) 。 36年コメディー・フランセーズの演出に参与,40年には監督に就任したが,ナチスの干渉を快しとせず翌年辞任,再びブルゴーニュに引きこもった。著書に『ビュー=コロンビエ座の回想』 Les Souvenirs du Vieux-Colmbier (1931) ,『民衆演劇論』 Le Théâtre populaire (41) などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コポー」の意味・わかりやすい解説

コポー
こぽー
Jacques Copeau
(1879―1949)

フランスの演出家、俳優。20世紀初頭のフランス演劇の革新者。パリに生まれる。ソルボンヌ大学に学んだが、早くから劇作、評論の筆をとり、ジッドを中心に創刊された文芸誌『NRF(エヌエルエフ)』の同人となる。1913年、この同人たちを後ろ盾にして、商業主義に毒され堕落した「演劇の再演劇化(芸術化)」を企て、ビュー・コロンビエ座(客席360)を創設する。彼の演出は、戯曲に内在する劇詩人の精神的生命を舞台に具体的に移すことと考え、まずテキストを尊重した。その具現化にあたっては、舞台芸術家クレイグとアッピアに影響され、簡素な常設の「裸の舞台」をつくって、シェークスピア、モリエール、メリメなどの作品の斬新(ざんしん)な演出をし、演劇運動を展開した。この運動はのちにデュラン、ジューベなどに受け継がれた。また、独自の演劇学校をつくり、俳優の教育にあたった。岸田国士(くにお)はここで学び、コポーの精神を日本の新劇運動に移そうとした。

[加藤新吉]

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世界大百科事典(旧版)内のコポーの言及

【演出】より

…ソ連では,モスクワ芸術座の写実主義的傾向にあきたらず,独創的な肉体訓練を俳優に実践させ,世界の前衛的な芸術運動に多大な影響を与えたV.E.メイエルホリドが,反リアリズム,抽象美の舞台をつくりあげた。フランスではJ.コポーが,ビュー・コロンビエ座を創設(1913),裸の舞台で,戯曲を尊重し,俳優に自由な演技を求めた。イギリスではH.G.バーカーが内的真実を強調しつつ,シェークスピアを現代に復活させた。…

【ジュベ】より

…初めは医学を志望したが,やがて芝居に取りつかれて役者になる決意を固める。1911年,コポーの演出した《カラマーゾフの兄弟》で長老ゾシマを演じて注目され,13年,この高名な演出家が設立したビュー・コロンビエ座に参加する。理論家コポーにとって,実際の舞台で鍛え抜かれたジュベの実践能力はきわめて貴重であった。…

【フランス演劇】より


【20世紀】
 20世紀フランス演劇をその変革の相においてとらえれば,大別して三つの時期を認めることができる。第1は,1913年,J.コポーによる〈ビユー・コロンビエ座〉創設から,両大戦間におけるL.ジュベ,C.デュラン,G.ピトエフ,G.バティの4人の演出家による〈カルテル四人組〉の時代,第2は,J.L.バローによるカルテルの遺産の発展と並行して50年代に起きる三つの事件,すなわちJ.ビラールによる〈民衆演劇運動〉と〈演劇の地方分化〉の成功,E.イヨネスコ,S.ベケット,A.アダモフ,J.ジュネらの〈50年代不条理劇〉の出現,そして〈ブレヒト革命〉であり,第3の時期は,68年のいわゆる〈五月革命〉によって一挙に顕在化した社会的・文化的危機の中で,演劇が体験した一連の大きな〈異議申立て〉(A.アルトーの徴の下に広がった〈肉体の演劇〉を中核とする)とその結果である。
[演出家の時代――コポーと〈カルテル四人組〉]
 演出家で集団の指導者をフランス語でアニマトゥールanimateurと呼び,20世紀を〈アニマトゥールの世紀〉と称するが,コポーはアニマトゥールの枠組みそのものを提示した人物である。…

※「コポー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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