デジタル大辞泉 「コレクション」の意味・読み・例文・類語
コレクション(collection)
2 オートクチュールやプレタポルテの新作発表。モードの新作発表。
[類語](1)収集・採集・採取・スクラップ・取り集める・掻き集める・寄せ集める
翻訳|collection
広義には,歴史,芸術,民俗,産業,自然科学などの資料,切手,貨幣などの趣味品の収集をいうが,ここでは美術品の収集について述べる。
われわれが美術品に接するときの二つの重要な方法,享受と研究とのために,美術品のコレクションは欠くべからざるものである。なぜならば,建築や,建築の内外に付随するため現地に残されている美術品を除いて,過去のあらゆる美術的遺産は必ずなんらかの収集に属しているといえるからである。啓蒙主義の時代とそれに続くフランス革命期に,各王家の収集が次々に公共化されて美術館の形を取るようになる以前には,すべての美術品収集は私的性格をもち,公開はきわめて例外的であった。本項では,そのような美術館以前の時代の収集と近代以降の私的コレクションとを扱う。なお,美術品収集の全歴史を通じて,ある時代のコレクションのあり方や内容は,その時代の美術批評の規範,一般的価値観,歴史観などと関連をもつと同時に,当時の美術関係者たちの鑑識の規準や方法,美術品の保存・修復技術などの実際的問題にも深くかかわっている。
美術品を,宗教的ないし権力の誇示という政治的動機によらず,芸術的価値によって収集する現象が明確に生じてきたのはヘレニズム期であった。さらにローマの版図の拡大とともに,各地に散らばっていたギリシアの美術品を戦利品として持ち帰ることが一般的になり,学者,政治家,皇帝などに多くの収集家が現れている。同時にこの時代すでに,個人の邸宅に秘蔵される美術品の公開が論議されたり,収集によって利益を得ようとする人々が現れるなど,美術品収集にかかわる,今日と共通する問題が生じていた。
中世ヨーロッパにおける美術品の収集はもっぱら教会によって行われた。教会は,それ自体美術的価値を有することが多いが,建築そのものやそれに付属する彫刻,ステンド・グラスなどのほかに,写本や工芸品,珍しい動植物の見本など多様な収集品を納めた宝庫を所有するのが普通であった。中世末期には宮廷や富裕な市民の間でも美術品収集が行われるようになり,その対象も宗教美術から世俗美術へ広がっていった。
ルネサンス期イタリアにおける人文主義の台頭は,古典古代の美術品の収集を盛んにした。メディチ家をはじめとする富裕な銀行家や歴代教皇,枢機卿らの収集になる古代の彫刻や小工芸品は,人文主義的な学問の対象であり,同時に古代美術が一つの規範として当時の芸術家の目標となって,ルネサンス期のみならず近代ヨーロッパ全般を通して見られる美意識を決定した。15世紀末から16世紀にかけて,芸術家像が単なる職人から一個の個性をもつ存在へと変化するのに伴い,古代美術のみならず,北ヨーロッパやイタリアの同時代の芸術家の作品を求める習慣が一般的になり,そのことがまた芸術家の社会的地位の向上を促進した。
芸術論の刊行が盛んであった16世紀後半のマニエリスム期には,理論的著作が収集に影響を与えた。たとえばバザーリが,《芸術家列伝》(1550,68)において,中世に死に絶えていた芸術が14世紀初め以降徐々に〈再生〉し,ミケランジェロに至ってその頂点に達したという理論を一般化してからは,古代美術と並んで16世紀前半の作品が求められるようになり,またすべての造形芸術の基礎に〈素描(ディセーニョ)〉が存在するという認識が生ずるにしたがって素描の収集が盛んになった。一方,美術品収集と並行して,中世の百科全書的伝統に源を発する自然科学の分野における収集も,16~18世紀を通じて盛んであったが,時代が下るにつれてそれらは美術館と自然科学博物館に分化していった。
17世紀の美術品収集の特徴としては,ことにオランダで画商が出現し,不特定の顧客層のために自国の芸術家による静物画,風景画などの小品を扱うようになったことが指摘できる。しかし,それとは別に,王侯貴族や高位聖職者,政治家による大規模な収集も相変わらずヨーロッパ各国で盛んであり,そうした収集に占める古代美術やイタリア美術の比重は,まだ大きかった。17世紀の大収集家としては,イギリスのチャールズ1世,アランデル伯爵,バッキンガム公爵,フランスのルイ13世,14世,リシュリュー,マザラン,ベルギーのレオポルト・ウィルヘルム大公,スウェーデンのクリスティーナ女王などがあげられる。18世紀になると,ヨーロッパの美術市場はますます活況を呈してきた。その中心は17世紀にひき続いてアムステルダムと,市民層の経済力伸張の著しかったパリである。収集の内容も,たとえば素描の収集,同時代の流行画家の作品の収集など,多様化の傾向を示す。18世紀後半から19世紀初頭にかけては,新古典主義の進展に伴い,古代美術やルネサンス美術の人気が高かった。また18世紀には,多くの私的な収集や王家の収集を基本に,次々に公共美術館が開設され,その後の美術館の基礎が築かれた。18世紀以降,私的コレクションは数のうえでは例外的存在となるが,19~20世紀を通じて,ともすれば保守的になりがちな公共美術館に対し,独自の見識をもった私的コレクションが,前衛的作品や原始美術,マイナーな分野の美術(工芸品など)などを購入し,それらの芸術的評価を決定するという現象がしばしばみられた。価値観の多様化した現代では,公共機関ですくいきれないさまざまな美術上の現象を私的コレクションが補う可能性は大きい。
→博物館 →美術館
執筆者:鈴木 杜幾子
日本における美術品の収集は,室町時代中期の足利義政による〈東山御物〉が,史料によってもさかのぼりうる,もっとも早い例であろう。その後,《三十六人集》や堆朱盆の名品などの東西両本願寺の収集,多くの献上品を主とした徳川将軍家の〈柳営御物〉などがある。江戸時代以降は各地の大大名によって茶道具や古書画の収集が行われ,加賀前田家の茶道具,工芸品のほか雪舟や宗達の絵画に及んだ大収集,肥後の細川家,長州の毛利家などの収集も,ある程度は今日まで伝えられている。こうした中で,江戸時代を通じてもっとも精選された茶道具の収集は,出雲松江の藩主松平治郷(不昧)によるものである。不昧は多くの名物をはじめ,古書画・古陶磁を集め,その〈次第〉すなわち箱や仕服等をととのえ,品質によって等級を分かち,あがなった日時,相手,金額を記載した《雲州蔵帳》を残した。小堀遠州による《遠州蔵帳》を飛躍的に発展させたものともいえるが,日本における個人収集の記録として先駆的意義をもっている。その蔵品は大正年間に散逸した。
日本のコレクションは,茶道の成立以後,茶道とともに発展し,古書画のほか茶道具が収集の中心におかれていた。江戸時代後期に至って文人趣味が広まり,これによって中国の古銅器,古陶磁,古書画,いわゆる書画骨董の収集が盛んとなる。しかし明治に入って西洋の美術,美学が導入されると,美術品への意識も変革された。ことに1878年来日したフェノロサは,日本美術の独自性を認め,啓蒙と復興に努力した。とくに廃仏毀釈によって荒廃していた仏教美術の保護を訴え,美術品収集にも新しい方向を与えた。彼自身,明治10年代に多くの日本美術を収集し,これはのちにボストン美術館に収蔵された。明治時代後期に至って日本の資本主義が成長すると,実業家の中からコレクターが現れた。こうした中で特筆すべきは益田孝,原富太郎,根津嘉一郎,岩崎弥之助,小弥太親子らである。三井財閥をとりしきった益田孝(鈍翁,1848-1938)は茶人としても知られ,仏教美術,古書画,茶道具の膨大で質の高い収集をなした。益田と同様なコレクションを築いた原富太郎(三渓,1868-1939)は横浜の生糸貿易商で,また茶人として知られた。益田,原ともにその没後,コレクションは四散したが,原の収集した室町期から江戸初期にわたる古建築は,横浜市の三渓園にそのまま残されている。根津嘉一郎(1860-1940)は東武鉄道などを経営した実業家で,茶道具,古書画,中国古銅器,仏像等の収集が知られる。尾形光琳《燕子花図(かきつばたず)屛風》,名物茶入〈松屋肩衝〉はじめ4000点に及ぶコレクションは,没後東京青山に設立された根津美術館に収蔵された。岩崎弥之助(1851-1909),小弥太(1879-1945)は三菱の2代,3代総帥であったが,東洋古陶磁,古画を中心に集め,国宝〈曜変天目茶碗〉や《源氏物語図屛風》(宗達筆)に代表される質の高いコレクションを築き,今日では東京世田谷の静嘉堂文庫に所蔵されている。このほか関西の実業家でも,大阪の藤田伝三郎(1841-1912),平太郎による《紫式部日記絵巻》や〈曜変天目茶碗〉など古書画,茶道具を中心とする収集(現,藤田美術館),兵庫の酒造家,嘉納治兵衛(1862-1951)による中国古銅器,古陶磁を主体とする収集(現,白鶴美術館)などが知られる。また,住友家が精選して収集した中国古銅器が住友博古館に蔵され,根津,白鶴,住友の所蔵品を併せると,量質ともに世界でも最も高度な中国古銅器のコレクションとなる。
大正期に入ると西洋美術や近代美術のコレクションも行われるようになった。松方幸次郎(1865-1950)は明治の政治,財政家松方正義の三男。イェール大学,ソルボンヌ大学に学んで実業界に入り,1920年代の数年間で疾風のようにフランスの近代絵画,彫刻,また流出していた浮世絵(旧ベベール・コレクション)を収集した。この〈松方コレクション〉は第2次大戦でかなり失われたが,戦後フランスから没収されていた絵画,彫刻が返還され,これを中心に国立西洋美術館が設立された。また9000点に及ぶ浮世絵は東京国立博物館に収蔵されている。昭和に入って後は,〈油屋肩衝〉などの名物を中心に茶道具を集めた畠山一清(現,畠山記念館),松永安左衛門の《釈迦金棺出現図》をはじめとする仏教美術や茶道具の収集(没後,東京国立博物館,福岡市立美術館等へ),画家児島虎次郎が収集し大原孫三郎によって設立された大原美術館の近代絵画,彫刻などがあげられる。戦後では今日MOA美術館(熱海市)に収蔵,公開されている世界救世教教祖岡田茂吉のコレクション(光琳筆《紅白梅図》,仁清作〈色絵藤花文茶壺〉〈手鑑翰墨城〉など多岐にわたる),西洋近代絵画を中心とする石橋正二郎のコレクション(現,ブリヂストン美術館)などがあげられるが,特筆すべきは〈安宅コレクション〉であろう。旧安宅産業の安宅英一による東洋古陶磁の収集で,とりわけ李朝陶磁では世界に冠絶したコレクションである。現在は大阪市立東洋陶磁美術館に収蔵されている。
執筆者:白崎 秀雄
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…古代ギリシアでは戦利品を集めて陳列したり,大きな事件(とくに戦争)の模様などを壁画にして民衆に見せることが行われ,これが今日の美術館の原型の一つともいえる。 美術館の歴史はコレクションの歴史と深くかかわっている。古代ローマではギリシアの美術品の収集が盛んに行われた。…
…服飾デザイナーやファッション産業などが,新しい作品を発表するために行う催しをいう。フランスではコレクシヨンcollections(présentation de collectionsともいう)といい,かつて春夏,秋冬の年2回行われていた。1954年フランスのファッション・デザイナー,ファトJacques Fath(1912‐54)が,彼のオート・クチュールの中にプレタポルテprêt‐à‐porter(高級既製服)の部門を開き,その中の作品と既製服店のロディエのスカートなどを組み合わせて使うことを発表し,プレタポルテの勃興する契機をつくった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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