経済学派の一つ。日本の家元制度(場合によると学派)と異なり、オーストリア学派を典型として、シカゴ学派も師弟関係が中心になって発生したものではない。したがって日本流の創始者は、シカゴ学派にはいない。だが、フランク・H・ナイトFrank Hyneman Knight(1885―1972)が、やがてシカゴ学派として知られるようになったグループの、もっとも早期における学者たちの指導的人物であったことは疑いない。それどころか、ナイトこそ(ハーバード大学教授となったオーストリア人ジョセフ・A・シュンペーターなどを除けば)、アメリカの理論経済学の創始者であった。このことは、その弟子のなかから、ジョージ・J・スティグラー、ミルトン・フリードマン、ポール・A・サミュエルソンという3人が、やがてノーベル経済学賞を授与されることからも明らかである。しかも、これらの3人は、それぞれ経済学の教科書を刊行したが、そのどれもが恩師ナイトの教科書(市販はされなかった)『経済組織』Economic Organizationの影響を、それなりに歴然として受けていることからも、ナイトの偉大さがうかがわれる。
ナイト自身は、不確実性問題を中心に、リスク(危険)や利潤問題を専攻したが、その理論的に厳密きわまりない価格理論こそ、その後のシカゴ学派の伝統的な一大特徴となった。また、その自由経済理論は、同僚のヘンリー・C・サイモンズやジェイコブ・バイナーらの自由経済理論とともに、シカゴ学派のもう一つの伝統的一大特徴となった。
シカゴ学派は、現在ではシカゴ大学の経営学部の中核を構成しているだけでなく、法学部が刊行している学術誌『法と経済学』Law and Economicsにみられるように、法学部の一大特色をもなしている。これは、アーロン・ディレクター(フリードマンの義兄)によって、第二次世界大戦後早期に刊行され始め、ディレクターの後を継いだロナルド・H・コースのもとに、いまや法学と経済学との学際的問題だけでなく、いわゆる「政治の経済学」の一大拠点ともなっている。ディレクターの影響を受けて、スティグラーはシカゴ学派の産業理論分野における大きな伝統を確立した。フリードマンは、ロイド・ミンツという貨幣論を専門とする教師から薫陶されはしたが、フリードマンの貨幣理論は彼自身が独自に樹立したものであり、この点はスティグラーも同様であって、独創的であり、産業組織論以外にも「情報の経済学」の樹立と推進に創造的貢献をしてきている。
シカゴ学派の現在を支えているのは、ゲイリー・S・ベッカーとロバート・E・ルーカスである。ベッカーは、シカゴ大学の経済学部長を長年にわたって務めたセオドア・W・シュルツの影響を受けて、「人的資本論」を専攻した。シュルツは、この理論分野を開拓した功によってノーベル経済学賞を授与されたが、「人的資本論」を確立し、理論面で本格的にこれを拡充したのはベッカーである。ルーカスは、フリードマンの影響を受けて、「期待と景気変動理論」を専攻したが、これをさらに「合理的期待理論」へと発展させることによって、新しく経済理論分野を開拓した。
そしていまや、シカゴ学派は第三世代へと移行し始めており、ベッカーやルーカスを継ぐ世代が台頭してきている。
[西山千明]
『M. W. Reder“Chicago Economics : Permanence and Change,” Journal of Economic Literature, Vol. 20, No. 1 (March, 1982)』
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〈シカゴ学派〉という用語は経済学・社会思想のほか,政治学(C.E.メリアムらを中心に科学的政治学を唱道),社会学(A.W. スモールらの第一世代は実証的方法を提唱,R.E.パークらの第二世代は都市社会学で成果をあげた),人類学などの分野でも用いられる。いずれもシカゴ大学がそれぞれの分野で,ある時期に世界的影響を与えたことから発生した用語である。経済学・社会思想の分野におけるこの学派は1940年代のF.A.ハイエクに代表され,ハイエクがシカゴを去ったのちには,マネタリズム(新貨幣数量説)の提唱者でもあるM.フリードマンがその代表的学者と考えられることが多い。ハイエクの思想はアダム・スミスの考えを現代的に深化・拡大したものであり,最もすぐれた現実的社会経済体制は民主主義のもとにおける市場経済であることを,一つの社会経済理論として確立した。すなわち市場経済のもとでは,企業や個人が市場の分業体制のもとで一定のルールにもとづいて自己の利益を追求する。この過程で個人が自己がもつ,あるいは入手できる情報(知識)をその自発性にもとづいて最大限に利用するため,結局社会全体としてその社会に分散して存在する知識の利用が最大となる。これに対して中央集権的計画経済のもとでは,このような個人の自発性にもとづく知識の最大利用は体制的に不可能である。この理論にもとづく思想は新自由主義(ネオ・リベラリズム)と呼ばれる。ハイエクはこの視点から,共産主義(社会主義)や高度の政府介入を認めるケインズ主義,平等を極度に強調する福祉国家論等を,社会科学的無知にもとづくものとして根本から批判した。フリードマンの主張はハイエクと異質なものも含むが,ハイエクやその他のシカゴ学派の学者の主張を一部受け継いでいる。とくにほとんどすべての政府の経済への介入を批判し,ケインズ派の財政・金融政策による経済への介入が有害であると主張した。さらに財政政策は元来無効であることを強調した。そして正しい貨幣政策はその実施に当たって,そのときどきの政府の干渉を排し,つねに貨幣量を一定の増加率でふやしていくという長期ルールにもとづいて行われるべきであることなどを主張した。
執筆者:鬼塚 雄丞
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…ボストン生れだが,中西部で活躍。19世紀末のシカゴの発展を背景に,高層ビル建築を推進した建築家の一群〈シカゴ派Chicago School〉の最大の指導者。有名な〈形態は機能に従う〉という機能主義建築の定義づけでも知られる。…
…それは政治学者たちの間に,一方では大衆社会化された政治の世界に対する醒めた感情や社会主義革命運動の現実への幻滅の意識が,他方では経験的な社会科学としてのめざましい発展を遂げつつあった経済学や心理学に倣おうという意欲が働いていたからである。 政治学におけるこのような流れを推し進めるのに大きな役割を果たしたのは,C.メリアムを先頭とする1930年アメリカのシカゴ学派であった。そこで彼らは,フロイト的な深層心理解釈を採り入れて政治現象を分析する手法を開発するかたわら,統計や調査結果を数量的に処理して政治現象を客観的に測定・分析する道を開いた。…
…その一つは,アメリカにおける進歩主義教育運動の原点となった〈実験学校Laboratory school〉をシカゴ大学に設置したこと(1896。その教育原理を《学校と社会》(1899)として刊行),もう一つは,1903年にデューイと彼の同僚たちによる共同研究《論理学的理論の研究》が出版され,そこにプラグマティズムの新しい一派,いわゆる〈シカゴ学派〉が形成されたことである。デューイのこれらの仕事はコロンビア大学に移って大きく開花し,全国的な教育改革運動,プラグマティズム運動に発展した。…
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[犯罪の社会学的要因]
犯罪の社会的要因を重視する立場は,ロンブローゾを継ぎ,《犯罪社会学》(1884)を著し,〈犯罪飽和の法則〉を主張したフェッリや,フランス環境学派のラカッサーニュA.Lacassagne,〈模倣の法則〉を提唱したタルド,社会が一定の行為を犯罪として処罰することは社会の発達の要件であり,一定率の犯罪は社会にとって正常で必然的な現象であるとして,犯罪原因を社会構造自体に求めたデュルケームなどにみられるが,犯罪社会学の理論はその後アメリカにおいて飛躍的な発展を遂げた。 アメリカ犯罪社会学の犯罪・非行理論のうち1930年代から50年代ごろまでの理論は,個人の非行文化への接触と非行文化の伝達の過程を問題とするシカゴ学派の理論と,犯罪・非行を社会構造との関係でとらえるアノミー理論の二つの流れに大別することができる。シカゴ学派からはショーC.R.ShawとマッケーH.D.McKayの〈文化伝達理論〉とサザランドE.H.Sutherlandの〈異質的接触(ディファレンシャル・アソシエーションdifferential association)の理論〉の互いに関連する理論が発展した。…
…39年にはアメリカに帰化し,気象局の副局長となり,研究と教育部門を担当。41年にはシカゴ大学の気象学主任となり,各国の気象学者を集め,ジェット気流,偏西風波動などを多面的にグループで研究し,いわゆるシカゴ学派のリーダーとなった。また,この頃プエルト・リコ大学に熱帯研究所をつくることにも努力し,50年以後はストックホルム大学の教授を兼任,同地に国際気象研究所をつくった。…
…J.R.ヒックスの《価値と資本》(1939)も,この学派の知的環境の中から誕生した重要な著作である。このように現代経済学に多大な遺産を残したロンドン学派であるが,ハイエクが1950年にシカゴ大学に移って後は,その自由主義的伝統はいわゆるシカゴ学派に継承されていくことになった。【鈴村 興太郎】。…
※「シカゴ学派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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