シャルル7世(読み)シャルルななせい(その他表記)Charles VII

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャルル7世」の意味・わかりやすい解説

シャルル7世
シャルルななせい
Charles VII

[生]1403.2.22. パリ
[没]1461.7.22. ムアンシュルエブル
ランス王 (在位 1422~61) 。 1417年兄ジャンの死により皇太子となった。 20年トロアの和約によって王位継承権を否認され,イングランド王ヘンリー6世がパリでフランス王として宣布されると,シャルルも同時にポアティエでフランス王を称したが,国土大部分はイングランドの支配下にあり,威令はロアール川以南の地域に及ぶのみであった。イングランド軍がロアール河岸に進出してオルレアンを包囲したとき,ジャンヌ・ダルクが出現して同市を解放し,ランスにおける戴冠式挙行を可能ならしめた (29) 。これを転機に,ブルゴーニュ派との和解に成功 (35) ,パリに入城した (37) 。次いで,フォルミニーの戦い (50) ,カスティヨンの戦い (53) にイギリス軍を撃破,カレー1市を除く全国土を奪回し,ここに百年戦争は終結した。内政の面では,官僚制の整備,塩その他の専売税の設定,J.クールを起用して商業手工業振興にあたらせ,「ブールジュの国事詔書」 (38) によって教皇権力を限定しガリカニズム (フランス国家教会主義) への道を開き,租税徴収にあたっては次第に三部会の承認を無視するにいたった。また外交面では,アンジュープロバンスブルゴーニュブルターニュなど国王親族の領有する封土の王領併合などに努力し,フランスの国家的統一を大きく促進した。

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改訂新版 世界大百科事典 「シャルル7世」の意味・わかりやすい解説

シャルル[7世]
Charles Ⅶ
生没年:1403-61

バロア朝第5代のフランス国王。在位1422-61年。勝利王le Victorieuxと呼ばれた。シャルル6世の五男。母イザボーにまつわる出生の疑惑,親英派のブルゴーニュ公ジャン暗殺の嫌疑,トロアの和約による王位継承権からの疎外などの悪条件から,治世当初は非合法の王として,ブールジュを拠点に,ギュイエンヌを除く南フランスを統治するのみであった。1429年,ジャンヌ・ダルクの奇襲により,イギリス軍に包囲されていたオルレアンが解放され,同年ランスでフランス国王として正式に戴冠された。アルマニャック派とブルゴーニュ派の内戦はアラスの和約で解決(1435),翌年パリを奪回,一時休戦(1444-49)の後,ノルマンディー,ギュイエンヌからイギリス勢力を追い,カレーのみを残して百年戦争は終結した(1453)。内政面でも官僚制の整備,財政機構の改革(塩などの専売税),常備軍の創設(騎兵軍団や弓兵隊),ガリカニスムの振興(ブールジュの国事詔書)など,国民国家の形成に重要な段階を画した。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シャルル7世」の解説

シャルル7世(勝利王)(シャルルななせい(しょうりおう))
Charles Ⅶ (le Victorieux)

1403~61(在位1422~61)

フランス国王。百年戦争後期,非合法の王として即位(トロワの和約によりヘンリ6世が英仏王)。フランスの大半をイングランド軍に占領されたが,ジャンヌ・ダルクによるオルレアン救出,ランスでの戴冠(1429年)以後攻勢に転じ,翌年パリ入城,1453年カレーを除き全フランスからイングランド軍を駆逐(百年戦争終了)。ガリカニスムの確立(38年),ジャック・クールによる財政整備(36~50年),国王軍隊の創設(45年)など国民国家の形成に功績があった。

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367日誕生日大事典 「シャルル7世」の解説

シャルル7世

生年月日:1403年2月22日
フランス王(在位1422〜61)
1461年没

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世界大百科事典(旧版)内のシャルル7世の言及

【ジャンヌ・ダルク】より

… 百年戦争も後半に入って,フランス王国は再びイギリス軍の侵攻を迎えた。ブルゴーニュ公家と結託したイギリス王家は北フランスを支配し,正統のフランス王シャルル7世は南フランスに退いて,圧倒的に優勢なイギリス王家の軍事力の前に,自暴自棄と無為の生活を送っていた。そこに神の少女ジャンヌが出現して神意を伝え,シャルルを励まし,兵士たちを勇気づけて,オルレアンを包囲したイギリス軍を撃破した(1429)。…

【パリ】より

…実際,市内の建築の約80%が1948年以前に建設されたものであって,現代のフランスを理解するうえでも,ニュータウンを見のがすことはできない。 なお,空港は市の南14kmにあるオルリー空港と,北東25kmにあるシャルル・ド・ゴール空港がある。また,1994年開通のユーロトンネルにより,パリ~ロンドンは約3時間で結ばれることになった。…

【百年戦争】より

…同家によるフランドル領有は,従来の国際関係の様相を大きく変えた。加えてフランス王シャルル6世(在位1380‐1422)の精神疾患は,王政をブルゴーニュ公ほか親族諸公の後見にゆだねた。フランドルの君主としてのブルゴーニュ公初代フィリップ(大胆公)は親英的政策をもって王政を牛耳り,王弟オルレアン公ルイと対立する。…

【ブールジュ】より

…百年戦争中には,1420年のトロア条約により王太子の位を廃された。のちのシャルル7世が,パリからこの地に避難し,〈ブールジュの王〉といわれた。また彼は38年に,ガリカニスムの成立を告げる〈ブールジュ国事詔書〉をこの地で出した。…

※「シャルル7世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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