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テヘラン Tehrān; Teheran

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

テヘラン
Tehrān; Teheran

イラン首都。ペルシア語読みではテフラーン。テヘラン州の州都。カスピ海南岸沿いに走るエルブールズ山脈の南,標高約 1200mに位置する。町としての歴史は比較的新しく,1554年サファビー朝タハマースプ1世よって城壁が築かれ,市場が設けられた。1786年カージャール朝の創始者アーガー・ムハンマドによって首都に定められると,続くパフラビー朝にも首都として引き継がれ,繁栄した。第2次世界大戦中の 1943年,アメリカ合衆国,イギリス,ソビエト連邦の首脳が会したテヘラン会議の舞台となった。石油工業を除くイランの近代工業の中心地で,自動車,繊維,セメント,製糖,小型兵器,弾薬などの工業が立地する。新市街は直線的な道路が走る近代都市,旧市壁内は多くの迷路をもつペルシア風の街区となっている。旧市街には,セパセラ・モスク,バハルスターン宮殿,ゴレスタン宮殿(2013世界遺産の文化遺産に登録),中東最大級のバザールなどがある。テヘラン国立考古博物館,民族博物館,テヘラン大学,国立イラン大学などの文教施設も集中。西方にメヘラーバード国際空港がある。人口 787万3000(2007)。

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百科事典マイペディアの解説

テヘラン

イランの首都。イラン高原の北西部,エルブルズ山脈南麓の標高1220mにあり,夏は暑く乾燥し気温は40℃近くなるが,冬は降雪もある。市街はほぼ正方形で東西と南北に街路が交差。
→関連項目イラン

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世界大百科事典 第2版の解説

テヘラン【Tehrān】

イラン北部にある同国の首都。人口675万(1994)。1796年,カージャール朝によって首都に定められてからパフラビー朝,イラン・イスラム共和国期においても引き続きイランの政治・経済・文化の中心となっている。
[歴史]
 テヘランの名が初めて出てくるのは,13世紀初めのモンゴル侵入時代である。それ以前はテヘランの南東8kmの所にあるレイが有力な都市で,おそらくテヘランはレイの住民の夏の避暑地か,衛星村の一つであったと考えられる。

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大辞林 第三版の解説

テヘラン【Teheran】

イラン-イスラム共和国の首都。エルブールズ山脈の南麓、海抜1160メートルの高原に位置する。自動車・セメント・ペルシャ絨毯じゆうたんなどの工業が盛ん。1788年カジャール朝の首都となって以来発展。郊外に大バザールがある。 〔「第希蘭」とも当てた〕

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

テヘラン
てへらん
Tehern

イラン中北部にある同国の首都。アルボルズ山脈南麓(なんろく)の扇状地上、標高1191メートルに位置する。人口675万8845(1996)。[岡正孝]

地誌

大陸性気候で年降水量は208ミリメートルにすぎず、その大部分は冬季に集中し、夏季にはほとんど降水をみない。夏季には気温は30℃を超え、湿度は25%ほどになり乾燥する。イランの政治、経済、文化、外交の中心地で、自動車、セメント、食品加工、繊維などの工業が発達する。国内の主要道路のすべてが集中し、メシェッド、タブリーズ、バンダル・ホメイニ、ゴルガーンなど四方に鉄道が延びる。イラン革命以前には、西方11キロメートルにあるメフラバード空港は中東の主要国際空港として世界のおもな航空会社が乗り入れていた。1960年代以後、パーレビ国王の内政改革(「白色革命」)による工業化、近代化の進展とともに町の様相は大きく変わり、また人口の急増は深刻な住宅問題を生み、79年2月のイラン革命の舞台となった。
 市域は南北32キロメートル、東西18キロメートルに広がる。南東部の旧城市内の中心にはバザール、ホメイニ・モスクがある。バザール南部の旧市域は迷路状の狭い道路と低い家屋が密集しているのに対し、北部の新市街には近代的な高層建築や高級住宅が立ち並ぶ。最北部のシェミラン地区は高級住宅街、避暑地となっている。第二次世界大戦中にチャーチル、ルーズベルト、スターリンが協議したテヘラン会談は、シェミランにあるダルバンド・ホテルで行われた。また、南方8キロメートルにはシャー・アブドル・アジャームの廟(びょう)のある古都レイがある。ほかに、先史時代から現代に至る文化遺産を収集した考古学博物館、イラン中央銀行の地下にある国立宝物博物館、19世紀に完成したカージャール朝のゴレスタン宮殿(現博物館)などがある。[岡正孝]

歴史

13世紀のモンゴル侵入時代に初めてテヘランの名がみいだされる。当時は南郊の都市レイに付属する周囲4キロメートルほどの僻村(へきそん)で、住民は半穴居式の生活を送っていた。1404年、ティームールのもとに使節として派遣されたクラビホがここを訪れたときには城壁はないが、町の景観をつくっていた。サファビー朝のタフマースプ1世(在位1524~76)の時代に周囲8キロメートルの六角形の市壁が巡らされ、城郭都市になったが、いまだ軍隊の駐屯地にしかすぎなかった。1786年カージャール朝がここに首都を移してから町は発展し、1868年、地方からの流入者を含めて人口は15万を超すまでになった。これに応じて1869~71年、市街地が拡張され、ナポレオン3世時代のパリに倣って周囲18キロメートルの八角形の新しい市壁が修築された。しかし、この段階での都市の性格は産業、社会構造からいって中世的なイスラム都市にとどまっていた。パフラビー朝のレザー・シャーは1934年この町の都市改造に着手し、近代的な市街地に町をつくりかえた。第二次世界大戦後、この町は100万都市の仲間入りをした。その後の人口増加は著しく、都市化現象が社会問題化している。[坂本 勉]

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世界大百科事典内のテヘランの言及

【都市】より

…カイロは,ムハンマド・アリーとその後継者によってエズベキーヤ池の埋立てやアーブディーン宮殿の建設など旧市街の西側を対象とする都市建設計画が実行に移された結果,近代的な国際都市への変貌を遂げるとともに,再びアラブ・イスラム文化の中心としての地位をよみがえらせた。テヘランはカージャール朝(1779‐1925)の首都に定められてから人口が増大し始め,直線の道路に沿ってヨーロッパ風の新市街地が出現した。トルコでも新共和国の首都となったアンカラの発展ぶりが目覚ましく,官公庁,大学,国会,ホテルなどが次々と建設されていった。…

※「テヘラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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