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ディズレーリ ディズレーリ Disraeli, Benjamin, 1st Earl of Beaconsfield

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ディズレーリ
ディズレーリ
Disraeli, Benjamin, 1st Earl of Beaconsfield

[生]1804.12.21. ロンドン
[没]1881.4.19. ロンドン
イギリスの政治家。イタリアユダヤ人の子孫で作家 I.ディズレーリの長男。父親がキリスト教に改宗したため,1817年受洗。ロンドンの法律事務所で事務員をつとめたあと,鉱山株投機,日刊紙刊行事業で失敗し,多大の借金をつくった。

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ディズレーリ
ディズレーリ
D'Israeli, Isaac

[生]1766
[没]1848
イギリスの文筆家。 18世紀文人の逸話集『文学的珍品録』 Curiosities of Literature (5巻,1791~1823) で有名。 B.ディズレーリの父。

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デジタル大辞泉の解説

ディズレーリ(Benjamin Disraeli)

[1804~1881]英国の政治家。保守党の領袖で、保護貿易派の指導者。1868年、1874~1880年に首相。スエズ運河の買収、ロシア南下政策阻止、インド帝国の樹立などビクトリア朝時代の帝国主義政策を推進した。

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百科事典マイペディアの解説

ディズレーリ

英国の政治家。ユダヤ系で,小説家を志したが,1837年保守党から下院議員になり,青年イギリス派を組織して新時代に適応した保守主義を説く。ダービー内閣で3度蔵相となり,1867年には第2次選挙法改正案を通過させた。
→関連項目グラッドストンソールズベリー塚原渋柿園ビクトリア[女王]ビクトリア時代

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世界大百科事典 第2版の解説

ディズレーリ【Benjamin Disraeli】

1804‐81
イギリスの政治家,小説家。ロンドンのユダヤ人の家系に生まれる。父アイザックは,その著書《文学の愉(たの)しみ》(1791)で知られる文人であった。父親の計らいで13歳のとき英国国教会に改宗,このことは宗教,宗派により政治的権利が制限されていた時代に,彼の国会議員への道を後年開いた。学校へは15歳になるまで通い,その後はもっぱら父の蔵書を読みふけった。17歳のときから20代の初めにかけて,法律事務所に勤めたり,株式投資をしたり,保守系新聞の発行を企てたりしたが,いずれもものにならず,かえって負債を背負い込むはめとなった。

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大辞林 第三版の解説

ディズレーリ【Benjamin Disraeli】

1804~1881) イギリスの政治家。保守党指導者として1867年第二次選挙法改正を実現し、68年首相。74年再び首相となり、スエズ運河の買収、インド帝国の実現、ベルリン会議でのキプロス島獲得などビクトリア朝の帝国主義的外交を推進した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ディズレーリ
でぃずれーり
Benjamin Disraeli, 1st Earl of Beaconsfield
(1804―1881)

イギリスの政治家。ユダヤ系の文筆家アイザック・ディズレーリの長男として生まれる。青年期には法律家になる勉強を始める一方、株式の投機に手を出したり、小説を発表したりもした。第一作『ビビアングレー』(1826)は評判をよんだ。1830年、地中海中近東への旅に出かけ、国際情勢の見聞を広めた。帰国後、文学界、社交界で活躍したが、このころ政界入りの意志を固め、政治的著作もいくつか発表し、1832年以降何度か立候補を繰り返して、1837年に保守党所属の下院議員に当選した。保守党のなかにあって、貴族と国民大衆の一致を理想とし、産業資本家階級の勃興(ぼっこう)に対して労働者階級を保護することを主張する「青年イギリス派」の一員となり、政治小説『コニングズビー』(1844)、『シビル』(1845)などを発表した。穀物法撤廃をめぐって保守党が分裂した際は、反ピール、反自由貿易の立場をとり、1852年ダービー保守党内閣の蔵相に就任した。1858年に第二次ダービー内閣が成立した際にも蔵相となり、保守党の指導者としての地位を固めるとともに、翌1859年穏健な内容をもつ選挙法改正を提案した。この提案は議会で敗れ、総選挙後、自由党内閣が誕生した。1866年、自由党内閣の選挙法改正法案を否決に追い込み、第三次ダービー内閣の蔵相として返り咲くと、翌1867年には第二次選挙法改正を保守党政府の手で実現した。都市労働者に選挙権を与えたこの改革は「暗中飛躍」とよばれる大胆なもので、大衆民主政治の出発点となった。大衆との一致を目ざした青年イギリス派の「トーリー・デモクラシー」の理念が実現をみたともいえよう。
 1868年2月に首相となり、総選挙を迎えたが、グラッドストーンの自由党に敗れて下野し、1874年に再度首相の座についた。第二次内閣では積極的な帝国・外交政策が目だち、まず1875年末にスエズ運河会社の株式を購入し、エジプト支配の因をつくる一方、翌1876年にはビクトリア女王をインド女帝とする法律を成立させた。また外交面ではベルリン会議に出席してロシアの南下政策を押さえた。しかしアフガニスタン、南アフリカなどではイギリスに対する激しい抵抗が起こり、また国内でも不況が長期化するといったことから、1880年の総選挙で敗れ、翌1881年4月19日病死した。
 グラッドストーンと並ぶ19世紀最大の議会政治家で、保守党と大衆を結び付ける改革を推進した一方、イギリスの帝国主義的膨張政策に先鞭(せんべん)をつけた。1876年伯爵に叙され、ビクトリア女王の信任も厚かった。[青木 康]

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世界大百科事典内のディズレーリの言及

【イギリス】より

…そして工業化の進展にもかかわらず,国をあげてジェントルマン志向の強まったのが,このビクトリア時代であった。 ところでこの〈ジェントルマンの国〉は,世界最初のプロレタリアート(労働者)階級を広範につくりだしており,ディズレーリの小説《シビル》(1845)の一節を借りれば,〈お互いになんらの交渉も親愛の情もなく,お互いに思想,習慣,感情を異にする,二つの国民〉から成る国でもあった。〈二つの国民〉,すなわちジェントルマンであるか否かの間に越え難い決定的な線が引かれている点に,イギリスの社会構成の最大の特徴が存する。…

【サクラソウ(桜草)】より

…また若さにまかせた享楽的生活を比喩的に〈サクラソウの道primrose path〉という。ビクトリア朝期の政治家ディズレーリはこの花を愛したので,4月19日の彼の命日はPrimrose Dayと呼ばれ,市民はこの花を身につけるという。【荒俣 宏】
【サクラソウ科Primulaceae】
 双子葉植物。…

【プノンペン】より

…カンボジアの首都。人口92万(1994)。メコン河口から約300km遡航した自然堤防上の河岸に開けた都市で,港は2500トンまでの船が横づけできる。プノンペンとはカンボジア語で〈ペンの丘〉を意味する。《王朝年代記》によれば,洪水のときに上流から仏像4体が流れつき,敬虔なペンという名の夫人がこの仏像を小さな丘の東斜面に安置したという。これが〈ペン夫人の丘の寺院〉説話で,プノンペン発祥伝説のもととなった。…

【保守党】より

…そこに〈国民的合意の党〉〈実務と分別の党〉などのイメージ培養基盤が生まれる。誕生まもない保守党を〈組織された剽窃(ひようせつ)organised hypocrisy〉〈トーリーの人間によるホイッグの政策Tory men and Whig measures〉と批判したにもかかわらず,結局はそれを最も効果的に実行し,党興隆の基礎を築くことになるのは,B.ディズレーリにほかならなかった。ここに保守党の一面が如実に現れている。…

【民主主義】より

… しかしまた,民主主義の歴史的不可避をいち早く洞察した支配層が,むしろ民主主義シンボルを先取りして権力基盤の強化を図ったこともあった。はやくも1830年代初期のイギリスで,後の首相たる若きB.ディズレーリが,イギリス社会は完全な民主的社会であり,しかもその民主主義はフランスとは異なってもっとも高貴な民主主義であると称して,貴族と労働階級による中産階級の挟撃を企てたこと,国民投票によって帝位についたナポレオン3世が,みずからの権力を〈国民の民主的精神〉によって正当化しようとしたことなどがそれである。しかし,全体的には19世紀を通じて,ヨーロッパでは民主主義概念をめぐる意見の激しい対立が解消されることはなかった。…

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