近代ロシアの生んだ独特な革命思想および運動の担い手たちをいう。ナロードニキとは元来,1876年に結成された革命結社のメンバーが自らの立場を称した言葉で,その後もいくつもある分派の中の一つを指す言葉であった。しかし,90年代のマルクス主義者が自分たちが絶縁する過去の革命思想の総体を指す言葉として拡大して使い,これが定着している。ナロードニキ主義とは,後進国ロシアが先進資本主義,自由主義的西欧を拒否して,ロシアの共同体的伝統を手がかりとして,これに先進西欧の生み出した社会主義思想を結合することによって,資本主義発展の道を通らないでも,一挙に社会主義に進みうるし,進まねばならないとする思想である。
始祖はゲルツェンである。彼は,1848年革命で味わった西欧文明への深い絶望からこの思想を生み出した。これは49年より50年にかけての一連の著書,論文に展開されている。より若いチェルヌイシェフスキーになると,57年に開始されたロシアの資本主義化の動きに対抗して,先進西欧の存在を条件に共同体から出発する経済発展の別の道を主張した。この二人の思想を受け入れた青年たちの運動は61年以後の農奴解放の実施期に展開されたが,これが広範なひろがりをもち,一世代の青年・学生の運動となったのは70年代のことである。
ネチャーエフのマキアベリズムに反発した学生たちは,〈自己形成〉のサークルをつくった。その一つ,チャイコフスキーNikolai Vasil'evich Chaikovskii(1850-1920)のサークルから70年代の主要な活動家がつくり出された。ラブロフの《歴史書簡》から,批判的に思惟しうる知識人は民衆に債務を返さなければならないという考えを与えられた学生たちは,バクーニンの農民反乱の切迫性の考えにも動かされ,74年,〈人民の中へ〉の運動をおこした。数千人が職人や人夫に姿をかえて村々をまわり,革命を宣伝しようとしたが,農民に受け入れられずに終わった。歴史的にはこれは一種の農村調査,偵察だとみることができる。ここで得た認識に基づいて,76年〈土地と自由〉結社が生まれた。抽象的な社会主義を説くのでなく,民衆がすでに自覚している要求である〈土地と自由〉をかかげて,強固な秘密結社をつくり,半インテリとして農村に定住して宣伝組織工作をする。このような新しい思想をもって,結社員はふたたび農村に入り,こんどは農民に受け入れられた。
しかし,当局の弾圧がきびしく,ここから権力との直接闘争に向かう志向が生まれた。78年のザスーリチの狙撃が開いたテロルの道が人々の心をとらえ,79年6月,結社内の政治闘争派はリペツク会議で,〈執行委員会〉を発足させた。一時妥協がなったが,結社は,この政治闘争派の人民の意志派と農村工作志向の〈土地総割替〉派に分裂した。〈人民の意志〉派は,資本主義発展が共同体の破壊を促進しており,革命をいまやらなければ,永久に再生の道が失われるという歴史的悲観主義によって積極性を与えられ,打開の活路を皇帝暗殺にみて,それに集中していった。皇帝暗殺は,恐怖した権力の譲歩として政治的自由と憲法制定会議の開設をかちとることをねらったものだったが,1881年3月1日アレクサンドル2世の暗殺に成功した結果は,用意されていた政治改革の白紙撤回であった。
以後,革命派は深刻な思想上・路線上の動揺を経験する。その中で,新しいロシア資本主義論がボロンツォフによって打ち出された。《ロシアにおける資本主義の運命》(1882)の中で,彼は,後進国ロシアは先進国との競争により輸出市場をもたず,他方,先進国から進んだ技術を一挙に導入するため,労働力需要を拡大できないので,資本主義発展は頭打ちとなり,共同体も破壊されないと主張した。この楽観主義は政治的には穏健改良的な立場を導き,〈合法的ナロードニキ〉とよばれる人々を生み出した。
この動揺転換期に変わることなくナロードニキの哲学者として強い影響を保持したのはミハイロフスキーである。彼は,《祖国雑記》や《ロシアの富》誌などでの評論活動を通じて分業批判の進歩観,批判的主観主義を説いた。この哲学的立場から,すでに強力に登場したマルクス主義者と論争をかわす中で,ボロンツォフの絶対的衰退論の誤りを克服し,資本主義発展の後進国型論を生み出して,それを基礎に新しい革命的ナロードニキ主義,ネオ・ナロードニキ主義にすすめたのは,20世紀初めのV.M.チェルノフとエス・エル党の人々であった。
ナロードニキ主義はそれを広く考えれば,マルクス主義と並んで,20世紀の後進地域にみられる民衆的革命思想の一つの巨大な流れとして,孫文からキムジハ(金芝河)までを含めて考えることができよう。
執筆者:和田 春樹
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19世紀後半のロシア革命運動において主導的役割を果たしたインテリゲンチャ。原語はロシア語のナロードnarod(人民)に由来し、人民主義者と訳される。さまざまな党派、潮流が存在したが、全体的に、人民とくに農民の利害を代弁し、専制と農奴制を批判した。またロシアの資本主義化に反対し、ミール(農村共同体)を基盤とする農民社会主義の実現を説いた。西欧先進諸国とは異なるロシア「独自の道」を目ざすこの理論は、とくにゲルツェンやチェルヌィシェフスキーによって提唱された。
すでに1850年代後半から非合法的組織が活動していたが、とくに農奴解放後、その反政府活動は激化し、61年末には最初の本格的秘密結社「土地と自由」(第一次)の結成をみた。「土地と自由」は翌年弾圧を受けて壊滅したが、学生を中心とする青年はゲルツェンの「ブ・ナロード」(人民の中へ)の呼びかけにこたえて、次々に非合法活動に走った。1866年のアレクサンドル2世暗殺未遂事件(カラコーゾフ事件)はその一つであった。このような活動の中心にたったのは、旧世代の貴族インテリゲンチャにかわって登場した、聖職者、下級官吏、商手工業者などのラズノチンツィ(雑階級知識人)であった。1860年代末になるとラブロフがその『歴史書簡』において、人民に対する啓蒙(けいもう)活動の必要性を説いたが、バクーニンはこれを批判し、農民の革命本能に火をつけるべきことを主張した。ラブロフやバクーニンの説く「ブ・ナロード」の呼びかけは、1874年の「狂った夏」に最高潮に達した。数千人の青年男女が農民のなかへ入っていった。だが農民は彼らの社会主義実現の主張を理解せず、逆に彼らを警察に突き出した。運動は失敗し、革命派はふたたび地下に潜伏した。
1876年「土地と自由」(第二次)が結成され、そのメンバーであったザスーリチはペテルブルグ特別市市長を狙撃(そげき)した(1878)。結社はテロ戦術を否定して、プロパガンダ路線を主張する「総割替」派(プレハーノフ、アクセリロードら)と、テロによる政治革命を目ざす「人民の意志」派(ジェリャーボフ、ミハイロフら)に分裂した。後者は1881年3月1日アレクサンドル2世の暗殺に成功した。皇帝暗殺事件後、「人民の意志」派は激しい弾圧により壊滅し、他方「総割替」派は、プレハーノフの亡命、マルクス主義への移行などによって消滅した。このころからマルクス主義者が革命運動の主流となり、ナロードニキの多くは自由主義化し、教師、医師、自治体書記、職人などとして地方自治体における社会改良運動に励むことになった。20世紀に入って成立した社会革命党(SR(エスエル))もナロードニキの伝統を継承している。
[栗生沢猛夫]
『ヴァリツキ著、日南田静真他訳『ロシア資本主義論争――ナロードニキ社会思想史研究』(1975・ミネルヴァ書房)』
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ロシア語で「人民主義者」。19世紀後半に現れたロシア資本主義批判の独特な思想の持ち主たち。農村共同体をロシア再生の出発点として,ロシアは西欧と異なる道を歩みうると考えるゲルツェンの「農民社会主義」に始まるこの思想は,1870年代に広く青年学生をとらえ,「ヴ・ナロード」,「土地と自由」結社,「人民の意志」派というふうに革命運動として発展した。「土地と自由」派が人民の理想と要求から出発するという主張を掲げていたことから,この名称が生まれた。80年代以後改良的な傾向が主流を占めたが,90年代には革命的ナロードニキも再登場した。
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…はじめ都市の労働者と出稼ぎ農民の間で宣伝・教育活動を行い,続いて農村に入り農民の間で社会主義の宣伝と革命に向けての農民の蜂起を扇動した。この運動に数千の知識人・学生が参加し,みずからをナロードニキ(人民主義者)と称した。彼らは大別して2派に分かれ,ラブロフ派は革命の宣伝と準備を,バクーニン派は扇動と農民蜂起を訴えた。…
…19世紀の中ごろにとくに顕著になった資本主義的傾向に対抗して,チェルヌイシェフスキーもまた農村共同体に期待をかける革命理論を唱えた。 このような思想の影響のもとに生まれたのが1870年代の〈人民の中へ〉の運動であり,その参加者たちはナロードニキと呼ばれた。この運動のばねとなったのは,長年にわたって民衆を抑圧してきたことに対する貴族階級の深い悔悟の念であった。…
※「ナロードニキ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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