ハリス(読み)はりす

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハリス」の意味・わかりやすい解説

ハリス(Townsend Harris)
はりす
Townsend Harris
(1804―1878)

幕末の駐日アメリカ外交官。1804年10月4日ニューヨーク州サンディ・ヒルに生まれ、中学校を終えると兄ジョンとともに陶磁器輸入商を営み、社会事業にも携わり、46年ニューヨーク市教育委員長に就任、無料中学校(後のニューヨーク市立大学(シティカレッジ))を設立した。49年5月東洋への航海に出、清(しん)国を中心に商業活動に従事、54年寧波(ニンポー)領事に任命されたがこれを不満とし、帰国して大統領ピアースに運動して、55年8月4日駐日総領事に任命され、書記官ヒュースケンを伴い翌56年8月21日(安政3年7月21日)下田(しもだ)に着任、9月3日(8月5日)柿崎(かきざき)の玉泉寺(ぎょくせんじ)に入った。下田奉行(ぶぎょう)井上清直・中村時万(ときつむ)との交渉により57年下田条約に調印、ついで大統領親書捧呈(ほうてい)と通商条約交渉のため同年11月23日(安政4年10月7日)下田を発して江戸に向かい、交渉を重ね、いったん下田に戻り、翌58年米船ポーハタン号で神奈川沖に進出、7月29日(安政5年6月19日)日米修好通商条約を締結した。59年春、休暇で中国に滞在中、弁理公使任命(1月19日付)を知り、6月(和暦5月)神奈川経由、江戸麻布(あざぶ)の善福寺に移った。61年11月14日解任、62年4月(文久2年3月28日)解任状を提出、同年5月13日(文久2年4月15日)帰国の途についた。下田時代看護婦として雇い3日で去らせたきちという女性がいて、のちに唐人お吉(きち)の伝説を生んだ。厳格なクリスチャンで酒・たばこを用いず、生涯独身であった。78年2月25日ニューヨークで死去した。著書に『The Complete Journal of Townsend Harris』New York, 1930(邦訳『日本滞在記』)があり、伝記にスタットラーの『下田物語』がある。

[金井 圓]

『坂田精一訳『日本滞在記』全3冊(岩波文庫)』『O・スタットラー著、金井圓訳『下田物語』全3冊(社会思想社・現代教養文庫)』


ハリス(Wilson Harris)
はりす
Wilson Harris
(1921―2018)

ガイアナの小説家、詩人、文明評論家。多人種混血の家系に生まれ、ジョージタウンのクイーンズ・カレッジでラテン語とギリシア語を学んだ。1938年卒業後、土地測量士となり密林の奥地で測量に従事し、この体験が小説の背景になった。1959年以降イギリスに定住し、創作に専念する一方、オーストラリア、カナダ、イギリス、アメリカ、キューバの各大学と西インド大学で教えた。『ガイアナ四部作』として1985年に発売された1960年代の小説、すなわち代表作『孔雀(くじゃく)の宮殿』(1960)、『オーディンのはるかなる旅』(1961)、『完全武装』(1962)、『秘密の会談』(1963)で、現実と神話の世界を重ね合わせながら、現代世界における「死と創生」の原初的パターンを探っている。1970年以降は『ロライマの眠れる男』(1970)、『雨ごい呪術(じゅじゅつ)師』(1971)で、カリブやアラワクの神話や伝説を短編化する仕事に意欲的に取り組んだ。1980年代には三部作『カーニバル』(1985)、『限りないリハーサル』(1987)、『宇宙河の四つの土手』(1990)で、それぞれダンテの『神曲』、ゲーテの『ファウスト』、ユリシーズを下敷きにしながら、クレオール文化とヨーロッパ文化との統合の可能性を探っている。ほかに、小説『悲しみの丘での復活』(1993)、『ジョーンズタウン』(1996)、ブッシュ(森林)の孤独を歌った詩集『泉と大地』(1952)、『季節よ永遠であれ』(1954)、評論集『宇宙の子宮』(1983)と『過激な想像力』(1992)がある。

[土屋 哲 2018年3月19日]


ハリス(Chapin Aaron Harris)
はりす
Chapin Aaron Harris
(1806―1860)

アメリカ歯科医学教育の発展に功労ある歯科医学者。ニューヨーク州に生まれたが、少年のころにオハイオ州に移った。1824年ころから医学を学び、医師の免許を得たのちに、歯科医学を修めて兼業した。1837年にボルティモア市で開業し、歯科専門医となった。同年にメリーランド大学の医学生に歯科医学の講義を行い、1839年には最初の著書『歯科手術学』The Dental Art, a Practical Treaties on Dental Surgeryを出版した。1849年には『歯科医学辞典』Dictionary of Dental Surgeryを刊行した。H・ハイデンに協力してボルティモア歯科医学校を創立し、またアメリカ歯科医師会の設立にも尽くした功績は大である。

[本間邦則]


ハリス(Frank Harris)
はりす
Frank Harris
(1856―1931)

アメリカの小説家。アイルランド生まれ。アメリカに渡っていろいろな職業を転々としたあと、1875年帰化して弁護士の資格を得た。そののちヨーロッパに戻り、イギリスではビアボーム、ワイルド、G・B・ショーなどの作家と親交を結んだ。『エルダー・コンクリン』(1894)などの短編作家として文名を得たが、その名を有名にしたのは、赤裸な告白で知られる『我が生と愛』4巻(1922~1927)であろう。

[筒井正明]


ハリス(Benjamin Harris)
はりす
Benjamin Harris
(?―1716)

イギリスの新聞発行人、書籍販売業者。アメリカに渡り、植民地最初の新聞『パブリック・オカレンセズ』を発行したことで有名。ロンドンで『ドメスチック・インテリジェンス』紙(週2回刊)を発行していたが、扇動的なパンフレットを印刷発行したとの理由で逮捕・投獄された。1686年本国から植民地へ逃れ、ボストンで書籍販売店を開き、アメリカ最初のベストセラーの一つ『ニュー・イングランド入門書』を出版。1690年には4ページ建て(第4ページは読者の書き込み用として白紙)の『パブリック・オカレンセズ』を創刊した。月1回発行だが事件が多発すれば発行回数を増やすという方針で発行された同紙は、4日後に発禁処分を受け1号限りで廃刊。発行許可を得ていないことや支配者を批判したことが発禁理由だった。ハリスは1695年ごろロンドンに戻り、新聞3紙の発行に失敗したのち、1699年から6年間『ロンドン・ポスト』紙を発行した。

[鈴木ケイ]


ハリス(Joel Chandler Harris)
はりす
Joel Chandler Harris
(1848―1908)

アメリカの作家。ジョージア州に生まれ、アメリカ南部の綿花農場に囲まれた土地で、農場で働く黒人の生活を身近に見て育った。13歳で新聞社の印刷見習いとして働き始め、しだいに原稿も書くようになり、のちには記者として新聞社を転々とした。1880年、アトランタの新聞に連載した黒人の歌や民話をまとめて『アンクル・リーマス物語』として出版したところ、大好評を博し、黒人の語り口そのままの風刺のきいた話の数々は、子供はいうに及ばず、多くの人の愛するところとなった。

[掛川恭子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハリス」の意味・わかりやすい解説

ハリス
Harris, William Torrey

[生]1835.9.10. コネティカット,ノースキリングリー
[没]1909.11.5. プロビデンス
アメリカの教育家。 19世紀後半の最も著名な公立学校行政官,哲学者。エール・カレッジに学び,ミズーリ州セントルイスで教師をつとめたのち 1868~80年教育長に就任。カリキュラムに美術,音楽,理科,工作などを導入し,教員養成における教育学の専門的研究を奨励した。セントルイスの公立ハイスクールの拡充,幼稚園の正規の学校体系への編入などにも努めた。 89~1906年連邦政府教育局長官に就任。哲学者,心理学者としてはドイツ観念論,アメリカ超絶主義,キリスト教,性相学,精神陶冶説などを信奉した。著述家としては多作で,数百に及ぶ哲学的,教育的論文を発表し,『思弁哲学雑誌』 Journal of Speculative Philosophy,『アプルトン国際教育叢書』,ウェブスターの『新国際辞典』などの編集にも関与した。主著『哲学研究入門』 Introduction to the Study of Philosophy (1889) ,『初等教育』 Elementary Education (1900) 。

ハリス
Harris, Zellig Sabbetai

[生]1909.10.23. バルタ
[没]1992.5.22. ニューヨーク
ロシア生れのアメリカの言語学者。ペンシルバニア大学教授。アメリカ構造主義言語学の方法論に反省を加え,それを精密化する一方,変形の概念を導入することによって N.チョムスキー変形文法の先駆の役割を果した。主著『構造言語学の方法』 Methods in Structural Linguistics (1951,改訂増補版『構造言語学』 Structural Linguistics〈60〉) ,『構造・変形言語学論集』 Papers in Structural and Transformational Linguistics (70) など。

ハリス
Harris, Frank

[生]1856.2.14. ゴールウェー
[没]1931.8.26. ニース
アメリカの文筆家,法律家。アイルランドに生れ,1870年アメリカに渡り,カンザス大学で学んだのち帰化。 90年代にイギリスに渡って,『フォートナイトリー・レビュー』『サタデー・レビュー』『バニティ・フェア』などの雑誌を編集。かたわらワイルド,ショー,H. G.ウェルズらと親交を結び,彼らの私生活を暴露してしばしば問題を引起した。主著『人間シェークスピア』 The Man Shakespeare (1909) ,『ワイルド伝』 Oscar Wilde: His Life and Confessions (2巻,20) ,大胆な性愛描写で発禁となった自伝『わが生涯と愛』 My Life and Loves (3巻,23~27) 。

ハリス
Harris, Townsend

[生]1804.10.4. ニューヨーク,サンディヒル
[没]1878.2.25. ニューヨーク,サンディヒル
アメリカの外交官。幕末の駐日公使。兄とともに陶磁器輸入商を営み,社会事業に奉仕。ニューヨーク市教育委員長となり,のちのニューヨーク市立大学を設立した。次いで清国に渡り,商業活動に従事。安政1 (1854) 年ニンポー (寧波) 領事となった。同2年 M.ペリーが結んだ日米和親条約を実施,拡大する使命を帯びて駐日総領事として同3年7月下田へ着任。幕府に通商条約の調印を迫り,同5年6月条約の締結に成功した。同年 12月公使に就任。文久2 (62) 年4月解任されて帰国。著書『日本滞在記』。

ハリス
Harris, Benjamin

1673~1716年に活躍したイギリスの書籍商,作家。非国教徒でホイッグ党員であったが,ロンドンで発表したパンフレットに対する官憲の追及から免れるため 1686年ボストンに逃れ,書店とコーヒー店を経営。アメリカ最初の新聞となった"Publick Occurances Both Forreign and Domestick"を発刊 (1690.9.25.) したが1号でボストン官憲から発禁処分を受けた。しかし彼の書いた『ニューイングランド初歩読本』 The New England Primerは1世紀の間教科書として愛用された。 95年ロンドンに帰り,99年から 1706年まで『ロンドン・ポスト』 The London Postを定期的に発行した。

ハリス
Charis, Petros

[生]1902.8.26. アデン
ギリシアの小説家。本名 Ioannis Marmariadis。 1933年からギリシアの代表的な文芸誌『ネア・エスティア』の編集長をつとめる。短編小説にすぐれ,代表作に『地上最後の夜』I teleutaia nychta tis gis (1924) ,『遠い世界』 Makrinos kosmos (44) などがある。ほかに『子供の対話』 Paidikoi dialogoi (24) などの児童文学,『自由なる知識人』 Eleutheroi Pneumatikoi anthropoi (47) などのエッセーも多い。

ハリス
Harris, Wilson

[生]1921.3.24.
ガイアナの小説家,詩人,文明批評家。 17歳で土地測量士となり,ジャングル奥地での測量に従事,これがのちの小説の背景となった。 1945年から『キク』誌に詩を発表,59年以降イギリスに定住し,創作活動のかたわら,アメリカ,イギリスなどの大学で教えた。詩集『井戸と土地』 The Well and the Land (1952) ,小説『孔雀の宮殿』 Palace of the Peacock (60) ,比較文化論集『宇宙の子宮』 The Womb of Space (83) などがある。

ハリス
Harris, Joel Chandler

[生]1848.12.9. ジョージア,イートントン
[没]1908.7.3. アトランタ
アメリカの小説家。 24年間にわたって『アトランタ・コンスティテューション』誌の編集にたずさわり,賢い黒人の老僕リーマスじいやが動物の話をする形式の物語を書いて大好評を博した。それは『リーマスじいや-その歌とお話』 Uncle Remus: His Songs and Sayings (1880) 以下の作品集にまとめられた。南部黒人の方言を忠実に記録した黒人民話の集成として高く評価される。

ハリス
Harris, Roy

[生]1898.2.12. オクラホマ,リンカーン
[没]1979.10.1. カリフォルニア,サンタモニカ
アメリカの作曲家。カリフォルニア大学で哲学,経済学を修める。音楽は A.ファーウェルに学んだのち,パリに留学し,N.ブーランジェに師事。同世代のアメリカの作曲家と同様に,新古典的,折衷的手法をとり,10曲の交響曲,交響序曲『ジョニーが帰ってくるとき』 (1935) などが代表作。ほかに『ピアノ五重奏曲』 (36) ,室内楽などがある。

ハリス
Harris, George Washington

[生]1814.3.20. ペンシルバニア,アリゲニー
[没]1869.12.11. テネシー,ノックスビル
アメリカのユーモア作家。テネシー川の汽船の船長を経て,1840年頃から,さまざまな新聞,雑誌にユーモラスな物語を寄稿し好評を博した。南部独特のほら話を方言で綴った短編集『サット・ラビングッドのお話』 Sut Lovingood's Yarns (1867) など。

ハリス
Harris, Louis

[生]1921.1.6. ニューヘーブン
アメリカの世論分析家,コラムニスト。ノースカロライナ大学卒業。 1956年ルイス・ハリス世論調査研究所を創設し,世論調査や市場調査の分野で活躍,またコラムニストとして『ワシントン・ポスト』『ニューズウィーク』その他に寄稿。 74年『オーガスタ・クロニクル・アンド・ヘラルド』紙副社長兼編集長就任。

ハリス
Harris, Merriman Colbert

[生]1846.7.9.
[没]1921.5.8.
アメリカのメソジスト監督教会宣教師。 1873年来日して函館で伝道し,内村鑑三,新渡戸稲造に授洗。 78年東京に移って伝道,一時帰米して (86) サンフランシスコを中心とする在米邦人に伝道したが,のち再び日本および朝鮮宣教監督として赴任。日本で没した。

ハリス
Harris, John

[生]1666頃
[没]1719.9.7.
イギリスの著作家,事典編集者。オックスフォード大学に学び,のちに聖職についた。イギリス最初の百科事典『英語学術事典』 Lexicon Technicum (1705) を出した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のハリスの言及

【釣り】より

…日本の釣糸は号数で表示され0.1号がいちばん細く,数字が大きくなるにつれ太くなる。リールやさおにつける糸は道糸(ライン)と呼び,針を結ぶ糸ははりす(針素。リーダー)という。…

※「ハリス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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