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バートン バートンBarton, Clara; Clarissa Harlowe Barton

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バートン
Barton, Clara; Clarissa Harlowe Barton

[生]1821.12.25. マサチューセッツオックスフォード
[没]1912.4.12. メリーランド,グレンエコー
アメリカ赤十字の創立者。学校教師,官吏として働いたのち,南北戦争中負傷兵の救助活動に尽した。戦後ヨーロッパに滞在中,普仏戦争の勃発をみ,ここでも傷病兵救助に努め,ジュネーブ国際赤十字と関係し,帰国後 1881年アメリカ赤十字を創設,初代総裁として 1904年までつとめた。 1882年アメリカのジュネーブ協定調印を成功させ,アメリカ=スペイン戦争中はキューバで活動した。主著『赤十字の歴史』 History of the Red Cross (1882) 。

バートン
Barton, Sir Derek Harold Richard

[生]1918.9.8. グレーブゼンド
[没]1998.3.16. テキサス,カレッジステーション
イギリスの有機化学者。ロンドンの帝国科学技術カレッジ卒業。同カレッジ講師 (1945~49) ,ハーバード大学客員教授 (49~50) ,グラスゴー大学化学教授 (55~57) を経て,帝国科学技術カレッジ有機化学教授 (57) 。フランスの天然物化学研究所 (C.N.R.S.) 所長 (78) 。テキサスA&M大学教授 (86) 。セスキテルペン,ステロイドなど脂環式化合物の立体配座解析の基礎を築いたほか,亜硝酸エステルの光化学反応によるγ-メチル基の酸化法 (バートン反応) の発見およびそのアルドステロン合成への応用,リモニンの構造決定,アルカロイドの生合成の研究などで業績を上げた。 1969年,O.ハッセルとともにノーベル化学賞受賞。 72年ナイトの称号を贈られた。アメリカ化学会よりプリーストリー賞受賞 (95) 。

バートン
Barton, Sir Edmund

[生]1849.1.18. シドニー
[没]1920.1.7. メドロー
オーストラリアの政治家。シドニー大学を卒業後,法律を学び,1879年にニューサウスウェールズ植民地議会議員となり,89,91~93年には法務長官。 91年以降連邦化運動を推進し,出身地ニューサウスウェールズの反対を説得し,連邦結成に成功。初代首相 (1900~03) となり,その後 1920年まで最高裁判所判事をつとめた。 02年にナイト爵を叙爵。

バートン
Barton, Elizabeth

[生]1506頃. ケント
[没]1534.4.21. ロンドン
「ケントの聖処女」と呼ばれたイギリスの宗教的予言者。ケントの聖職者 R.マスターズの下女であったが,1525年頃病気になり,夢遊状態で聖霊のお告げを聞いたことから,巫女的な予言者になった。彼女を利用しようと考えたカンタベリー大主教ウィリアム・ウォラムのはからいでカンタベリーに迎えられ,聖処女として人々の人気を集めたが,国王ヘンリー8世が王妃カサリンと離婚してアン・ブリンと結婚すれば,1ヵ月以内に死亡するであろうと予言したため捕えられ,星室裁判所で裁かれた。その結果,セントポール聖堂で発言の虚偽を公表させられ,のち処刑された。

バートン
Barton, James Edward

[生]1890.11.1. ニュージャージー
[没]1962.2.19. ミネオラ
アメリカの俳優。長年南部,中西部のレパートリー劇団などに出演していたが,1919年ニューヨークへ進出。当り役は『タバコ・ロード』のレスター (1934) 。

バートン
Barton, John Bernard Adie

[生]1928.11.26. ロンドン
イギリスの演出家。ケンブリッジ大学卒業。 1961年ロイヤルシェークスピア劇団の結成に参加,63年『ヘンリー6世』3部作と『リチャード3世』を監修して『バラ戦争』と題する新しい3部作を作り成功 (演出 P.ホール) 。また同劇団で『十二夜』 (1969) ,『オセロ』 (71) などを演出している。

バートン
Burton, Decimus

[生]1800. ロンドン
[没]1881.12.14. ロンドン
イギリスの建築家。父ジェームズ(1761~1837)の事務所で学ぶ。セント・ポール大聖堂よりやや大きなドームドーリス式のポルチコ(→ポーチ)をもつコロセウムをリージェント公園に設計(1824~27),またジョン・ナッシュリージェント街の計画に参加,ハイドパーク・コーナーを設計した(1825)。リチャード・ターナーと協力してキューガーデンのパーム・ハウス(1844~48),また多くの住宅も設計した。

バートン
Burton, John Hill

[生]1809.8.22. アバディーン
[没]1881.8.10. エディンバラ
スコットランドの歴史家。初め弁護士になるために法律を勉強したが,ベンサム著作集に参与し,次いで『デービッドヒューム伝』 Life and Correspondence of David Hume (1846) によって名声を得て以来,文筆活動に専念,『スコットランド史』 History of Scotland (53~70) などを著わした。監獄局書記官 (54~81) 。

バートン
Burton, Richard

[生]1925.11.10. サウスウェールズ,ポントリダフェン
[没]1984.8.5. ジュネーブ
イギリスの俳優。本名 Richard Walter Jenkins。 1943年リバプールデビュー。 53年オールド・ビック劇場で演じたハムレットで注目され,その後オセロとイアーゴー (1956) ,C.フライの詩劇,ミュージカルキャメロット』 (60) などの舞台で成功した。 64年のニューヨークにおけるハムレット (J.ギールグッド演出) も有名。 48年以後,多くの映画にも出演した。

バートン
Burton, Sir Richard Francis

[生]1821.3.19. トルケー
[没]1890.10.20. トリエステ
イギリスの探検家,東洋学者。オックスフォード大学を中退,インドで数年を過ごしたのちアラブ地域を探検,1853年メッカにいたる。 J.スピークとともにナイル川の水源探索に乗り出し,1858年タンガニーカ湖を発見。探検記のほか,天才的な語学力を生かした『千一夜物語』の英訳 (16巻,1885~88) で有名。

バートン
Burton, Robert

[生]1577.2.8. レスターシャー,リンドリー
[没]1640.1.25. オックスフォード
イギリスの聖職者。オックスフォード大学に学び,生涯をこの地で過ごした。憂鬱症とその治療法を中心にさまざまな話題を取り上げた随筆集ともいうべき『憂鬱の解剖』 The Anatomy of Melancholy (1621) の著者として知られる。

バートン
Burton, Virginia Lee

[生]1909.8.30. マサチューセッツ,ニュートンセンター
[没]1968.10.15. マサチューセッツ,ボストン
アメリカの画家,デザイナー,絵本作家。カリフォルニア美術学校に学び,彫刻家ジョージ・ディミートリアスと結婚。最初の絵本『いたずら機関車ちゅうちゅう』 Choo Choo (1935) は長男のためにつくったといわれる。コールデコット賞を受けた『小さいおうち』 The Little House (1942) は一軒家のあった丘が大都市になる過程を,また『生命の歴史』 Life Story (1962) は地球上の生命誕生から現代までの人間の歴史を,ともにS字形に半円を重ねて遠い距離感を出す独特の画法で描いた。

バートン
Burton, William Evans

[生]1804
[没]1860.2.10. ニューヨーク
イギリス出身の俳優,劇場経営者。 1834年渡米,48年ニューヨークにバートン劇場を開設し,ディケンズやシェークスピアの作品を多く上演したが,ウォラック劇場の出現 (1852) で打撃を受け,引退した。その後一時メトロポリタン劇場を経営 (56~58) した。

バートン
Burton, Tim

[生]1958.8.25. カリフォルニア,バーバンク
アメリカ合衆国の映画監督。本名 Timothy William Burton。空想が入り混じる不気味な世界を描いた,奇抜な作風で知られる。カリフォルニア芸術大学卒業後,ウォルト・ディズニー・プロダクションでアニメーターとして働いた。『フランケンウィニー』Frankenweenie(1984)などの短編ののち,長編『ピーウィーの大冒険』Pee-Wee's Big Adventure(1985)を手がける。『ビートルジュース』Beetlejuice(1988),『バットマン』Batman(1989)とその続編で地位を確立した。『シザーハンズ』Edward Scissorhands(1990)で初めてジョニー・デップコンビを組む。デップは『エド・ウッド』Ed Wood(1994),ワシントンアービングの小説を下敷きにした『スリーピー・ホロウ』Sleepy Hollow(1999),児童書が原作の『チャーリーチョコレート工場』Charlie and the Chocolate Factory(2005)などにも出演。SF映画の名作のリメーク『PLANET OF THE APES/猿の惑星』The Planet of the Apes(2001)で,ヘレナ・ボナム=カーターと知り合い公私ともにパートナーとなる。アニメーションティム・バートンのコープス・ブライド』Corpse Bride(2005)ではデップとボナム=カーターが声優として出演。2人はスティーブンソンドハイムのミュージカルを元にした『スウィーニー・トッドフリート街の悪魔の理髪師』Sweeney Todd: The Demon Barber of Fleet Street(2007),ルイスキャロルの名作を映画化した『アリス・イン・ワンダーランド』Alice in Wonderland(2010)などにも出演している。

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デジタル大辞泉の解説

バートン(Richard Francis Burton)

[1821~1890]英国の探検家・文筆家。インドアフリカアラビアなどの探検記録を著した。また、「アラビアンナイト」の英訳はバートン版として有名。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

バートン

米国の女性人道主義者。南北戦争の際に傷病兵看護組織を結成,普仏戦争にも従軍。1882年米国赤十字社を設立。赤十字運動を戦傷者保護活動から天災などの救済事業にまで拡大した。

バートン

英国の化学者。王立理工科大学卒。ハーバード大学教授,グラスゴー大学教授などを歴任後,1957年王立理工科大学教授。シクロヘキサンについてO.ハッセルの提起した立体配座の概念を,テルペンステロイドなど生体に重要な役割を果たす複雑な炭素環式化合物にまで適用し,その構造を究明した。

バートン

英国の探検家,東洋学者。インド,近東地方を研究,1853年変装して聖地メッカに潜入。次いでアフリカ各地を探検,1858年にはタンガニーカ湖に到達した。《千夜一夜物語》の完訳(1885年―1888年)は〈バートン版〉と呼ばれ名訳とされている。
→関連項目アナンガランガカメルーン[山]スピークタンガニーカ[湖]

バートン

英国の牧師,文人。主著《憂鬱の解剖》(1621年)は博覧強記,雅趣に富む文体で鳴る奇書。N.フライ《批評の解剖》の表題は本書を含意したもの。

バートン

米国の映画監督ロサンゼルス生れ。生地バーバンクはディズニー社の本拠地。同社でのアニメーターをへて,実写映画《フランケンウィニー》(1984年)で注目される。同社退社後《ピーウィーの大冒険》(1985年)を手がけたのち,《ビートルジュース》(1988年)がヒット

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世界大百科事典 第2版の解説

バートン【Robert Burton】

1577‐1640
イギリスの文人。オックスフォード大学を出て牧師となったが,彼の名声は奇書《憂鬱(ゆううつ)の解剖》(1621)による。〈憂鬱(メランコリー)〉とは,当時(ルネサンス末期)の時代病のようなもので,今日の〈ノイローゼ〉や〈心身症〉と似て,日常会話のレベルで話題にされていた。ハムレットの性格造形もこの風潮にもとづいているといわれる。バートンはこの時代病を,中世からルネサンスを通じての常識であった気質論にもとづいて〈解剖〉してみせる。

バートン【Richard Francis Burton】

1821‐90
イギリスの探検家,学者。インド駐留軍人として,インドをはじめ中東やアフリカなど各地を旅行し,インド滞在記,奥ナイル川探検記などを発表した。またアラビアのメッカを訪れた(1853)もっとも初期のイギリス人の一人である。近東地方の諸言語を研究し,晩年は文学に傾倒,《アラビアン・ナイト》(《千夜一夜物語》)を原語から英訳した(全16巻,1885‐88)。この完訳は現在でも〈バートン版〉として知られている。

バートン【William Meriam Burton】

1865‐1954
アメリカの石油化学技術者,企業家。1889年にジョンズ・ホプキンズ大学を卒業,学位を取得してのち,スタンダードオイル会社(インディアナ)に入社。1909年ころから原油の熱分解蒸留(クラッキング)の研究に取り組み,13年1月インディアナ州ウィッティングでその工業化に成功した。彼の発明は他社の石油工場でも相次いで採用され,後の石油化学工業発展に重大な役割を果たした。18年スタンダード・オイル会社社長に就任,同年石油化学への功績に対してギブズメダル,21年パーキン・メダルを受賞した。

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大辞林 第三版の解説

バートン【Burton】

〔Richard Francis B.〕 (1821~1890) イギリスの探検家・文筆家。先駆的なアフリカ探検記録で知られる。また「千夜一夜物語」の原典からの英訳はバートン版として名高い。
〔Tim B.〕 (1958~ ) アメリカの映画監督。ディズニーのアニメーターから監督に転身。「ビートルジュース」の奇抜なコメディー感覚が評価され、「バットマン」シリーズの記録的ヒットで不動の地位を得る。

出典|三省堂
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世界大百科事典内のバートンの言及

【男色】より

…古代の神話や伝説の多くに,例えばギルガメシュとエンキドゥ(《ギルガメシュ叙事詩》),ホルスの腿間にペニスを挿入したセト(《ホルスとセトの争い》),イエスがだれよりも親密な交わりをもったヨハネ(《黄金伝説》)など,男色を疑わせる話がある。またR.バートンの《千夜一夜物語》英訳本の巻末論文には〈男色〉の一節があって,古今東西のおびただしい例を挙げている。その中で〈ローマやエジプトではイシスをまつる神殿は男色の中心であり,この宗教的行為はメソポタミアからメキシコ,ペルーにいたる偉大な神官階級によって行われていた〉と述べているように,男色は古代宗教と密接に結合していた。…

【メランコリー】より

… メランコリーがしかし歴史の脚光をあびるのはルネサンス期に入ってからで,たとえばドイツの画家デューラーは1514年に有翼の女性の沈思の姿をかりて銅版画《メレンコリア・I》を描き,同時代のミケランジェロはメディチ家の廟を《ペンセローソ(沈思の人)》で飾り,1世紀後のミルトンも同名の詩をつくってメランコリーを賛美する。さらに,1621年に出た牧師R.バートン《メランコリーの解剖学(憂鬱の解剖)》は当時のベストセラーの一つだったと伝えられる。このように,メランコリーが哲学や芸術と結びつけられて人気を博すことになったのは,イタリアのフィレンツェに興った新プラトン主義の影響によるものとされる。…

【千夜一夜物語】より

…多数の作者の手を経たらしいが,いくつかの詩のほかは,原作者の名は不明である。日本では,明治8年(1875),永峯秀樹が《開巻驚奇・暴夜(アラビア)物語》と題して英訳から重訳したのが最初で,レーンEdward William Lane(1801‐76),R.F.バートン,マルドリュスJoseph Charles Mardrus(1868‐1949)らの英訳またはフランス語訳からの重訳が行われてきた。平凡社東洋文庫版《アラビアン・ナイト》は,カルカッタ第2版,ブーラーク版などに拠る原典からの訳である。…

【ナイル[川]】より

…隊の達した最南地点はゴンドコロで,ビクトリア湖の下流約500kmの地点であった。ナイル川をさかのぼるのではなしに,東アフリカ海岸から内陸に入るというコースを取ったのはイギリスの探検家R.F.バートンとスピークJohn Speke(1827‐64)である。彼らは58年2月タンガニーカ湖を発見した。…

※「バートン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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