パナマ(英語表記)Panama

翻訳|Panama

精選版 日本国語大辞典 「パナマ」の意味・読み・例文・類語

パナマ

(Panama)
[1]
[一] 中央アメリカ南端の共和国。北はカリブ海、南は太平洋に面し、中央部にパナマ運河がある。一八二一年、大コロンビア共和国の一州としてスペインの支配から脱し、一九〇三年コロンビアから独立した。運河利権料・観光収入・中継貿易およびバナナの輸出が経済の基盤。首都パナマ。
[二] パナマ共和国の首都。太平洋岸のパナマ運河地帯にある。陸・空の交通の要地。南・北アメリカ大陸西岸とヨーロッパを結ぶ中継貿易港として発展したが、現在、貿易港としての機能は西隣のバルボアにある。パナマシティー
[2]
① 「パナマそう(━草)」の略。
② 「パナマぼう(━帽)」の略。

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改訂新版 世界大百科事典 「パナマ」の意味・わかりやすい解説

パナマ
Panama

基本情報
正式名称=パナマ共和国Repúbulica de Panamá 
面積=7万5417km2運河地帯を含む) 
人口(2010)=350万人 
首都=パナマPanama(日本との時差=-14時間) 
主要言語=スペイン語 
通貨=バルボアBalboa

北アメリカ大陸と南アメリカ大陸をつなぐ地峡に位置し,太平洋と大西洋を結ぶ交通の要衝を占める共和国。面積は日本の約5分の1で,北海道より少し小さい。国名の由来についてはいくつかの説があるが,16世紀初頭スペイン人が中央アメリカを征服していったころ,この地に住んでいたクエーバ族が魚の豊富な場所や漁師のことを〈パナマ〉と表現していたことに由来するといわれている。

国土を東西に縦断するようにチリキ山脈,タバサラ山脈,サン・ブラス山脈が走っており,国土の大部分が丘陵と山地である。活火山であるチリキ山(3475m)が最高峰。川も多いが,短小で,トゥイラ川,バヤノ川,チャグレス川が比較的大きい。赤道に近いため亜熱帯性の気候で,1月から4月までは乾季とされるが,一年中高温多雨である。行政的には九つの州と一つの地区(コマルカ)に区分され,人口の大半はパナマ市やコロン市などの都市に集まっている。東部のカリブ海側から東端のコロンビアとの国境地帯(サン・ブラス地方,ダリエン地方)には,スペイン人による征服以前からのインディオが居住しており,文化的にも独自のものが見られる。言語はインディオ以外はスペイン語を用いるが,パナマ運河地帯を通じたアメリカ合衆国の文化,米語の影響も大きいといわれる。

1968年10月に国家保安隊がクーデタを起こし,軍事評議会が政権を握り,国会を閉鎖し,憲法を停止した。69年12月大統領にデメトリオ・ラカスが就任したが,実権はトリホス国家保安隊司令官が掌握し,その指揮下で地方行政単位〈コレヒミエント〉を基礎に全国代議員会議が設置された。72年には選挙を実施して505名の代議員を選出,新しい憲法が採択された。全国代議員会議はトリホス将軍に78年まで国家統治の全権を付与した。78年には第2回選挙が行われた。このとき1969年以来活動を禁止されていた政党が,新しい政党法の下で活動を開始した。政府与党は民主革命党である。そのほかに中道のキリスト教民主党,自由党,右派政党としてパナメニスタ党がある。トリホスの国家主席としての任期終了に伴い,78年に選出されたアリスティデス・ロヨ大統領は民主化改革に取り組み,84年5月の大統領選では,与党の推すバルレッタNicolas Ardito Barlettaが当選したが,85年9月の政変で追放され,副大統領であったデルバジェEric Arturodel Valleが大統領に就任した。この政変の背後には1984年に国防軍総司令官に就任したノリエガManuel Antonio Noriega将軍がいた。87年ころからノリエガの指揮する国防軍の腐敗暴露が始まり,政情不安が続いた。88年2月にはアメリカのフロリダ州連邦大陪審がノリエガを麻薬密輸の容疑で起訴する事態となった。アメリカのブッシュ大統領は89年12月20日アメリカ軍のパナマ侵攻を強行,90年1月ノリエガ将軍を逮捕し,アメリカに連行して裁判にかけた(92年に禁錮40年の判決)。一方パナマではエンダラ新政府により国防軍が解体された。さらに94年の大統領選では民主革命党のバジャダレスが当選した。

1993年の国内総生産は66億ドル,1人当りの国民総生産は2580ドルとなっている。労働力人口は約80万人で,内訳は農林水産業26.3%,鉱業0.3%,製造業9.5%,商業19.8%,公務員・サービス業27%などとなっている。農業就業者が比較的多く,米・トウモロコシなどを生産する。バナナは世界の生産量の2.2%を占め,パナマの重要な輸出生産物で,93年には約69万tを輸出した(世界の輸出量の5.9%に相当)。しかし,パナマは毎年10億ドルを超える輸入超過国で,中南米の中でも輸入依存度が高い国の一つである。これをパナマ運河からの収入やその他の収入によってカバーしている。パナマ運河からの収入はおよそ3億ドルを超え,またパナマ運河地域に残されているアメリカ軍基地でのパナマ人の雇用へのアメリカ軍の支払いは3億ドルを超える。また96年にコロン市のフリーゾーンでの課税の動きがあったが撤回されたため,フリーゾーンでの企業活動が上向きになっている。

パナマは1903年11月まではコロンビアの領土であった。19世紀末,レセップスパナマ地峡を横断して太平洋・大西洋間を結ぶ運河建設に乗り出したが,失敗に終わった。アメリカ合衆国とイギリスは運河を両国の支配下におくためさまざまな画策をするが,セオドア・ローズベルト大統領のとき,コロンビアの政情不安を利用し,合衆国はパナマの分離独立を強引に図った。このようななかで,パナマは03年11月3日に独立した。合衆国は新政府を独立の3日後に承認し,パナマの全権大使と称するフランス人ビュノー・バリーヤP.J.Bunau-Varilla(1860-1940)と合衆国の国務長官ヘイJ.M.Hay(1838-1905)の間で11月18日パナマ運河条約が調印された。この条約により,成立したばかりのパナマ共和国は運河地帯で二分されることになった。パナマの歴史はまさにパナマ運河の歴史であるといってよい。

 パナマ運河は13年に合衆国の手で完成した。パナマ運河地帯は合衆国の領土であり,これを防衛することがパナマの政治,経済の主要な課題とされ,パナマの国民の利益は犠牲にされてきた。合衆国は公然とパナマの政治に干渉し,パナマの領土内で軍隊を自由に行動させることができた。パナマは形式的に独立国の形をとっているだけで,合衆国の植民地的支配を受けていたといえる。このような合衆国の政策に,パナマの国民はしだいに不満を強めていく。その最初の現れは1925年のパナマ人の反米闘争であった。ただちに合衆国軍が鎮圧したが,この事件を契機にパナマ運河地帯の返還要求が明確に行動として現れるのである。31年に成立したアルヌルフォ・アリアスArnulfo Arias(1901-88)を中心とする政府は,1903年条約の全面的改訂交渉に入った。そして36年のハル=アルファロ条約で,パナマ運河地帯の主権はパナマにあることを合衆国に確認させた。

 パナマ人の反米闘争のいっそうの前進は,第2次大戦後のアメリカ軍基地反対闘争に見られる。合衆国はパナマ各地のアメリカ軍基地を戦後も引き続き使用するため圧力をかけたが,パナマ国民の反対が激しく,46年12月ついに合衆国は協定の批准をあきらめ,運河地帯以外のアメリカ軍基地は一掃されることになった。56年スエズ運河が国有化されると,パナマ国民は運河地帯にパナマ国旗を掲げることを要求し,合衆国と全面的に対決するに至る。これにより60年代後半にパナマの政情は激動するが,トリホスの出現で大きな変化を遂げていく。トリホスは1970年に合衆国と新しい運河条約の交渉に乗り出し,77年9月7日ついに新条約調印に成功,翌年6月16日批准書の交換も終えて,99年末にパナマ運河全面返還が実現した。また1993年に日本,アメリカ,パナマで構成されるパナマ運河代替案調査委員会は,代替運河の建設は行わず,かわりに6万5000トン以下の船舶の航行しかできない現在の運河を15万トンの船舶の航行を可能にするよう幅を拡大することに決定した。
パナマ運河
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パナマ[市]
Panamá

中央アメリカ,パナマの首都。パナマ湾に面し,文化,経済,政治,その他あらゆる面でパナマの中心である。都市域人口120万(2001)。パン・アメリカン・ハイウェーで南北アメリカに,パナマ鉄道でコロン市に連絡している。パナマ市はペドロ・アリアス・デ・アビラによって1519年に建設され,スペインの中南米征服と植民地支配の重要な拠点となった。ペルーから船で運ばれた銀は,ここから陸路で地峡を横断してカリブ海側の港へ運ばれた。1671年1月イギリスの海賊ヘンリー・モーガンによって市は破壊され,廃墟と化した。その後73年1月に元のパナマ市より8kmほど離れた現在の地に再建された。市の繁栄は18世紀に一時中断されるが,アメリカの西部の発展にともない,地理上の利点から再び発展をとげた。19世紀後半にはパナマ市とコロン市の間を結ぶ鉄道が開通し,20世紀初頭にはパナマ運河が開通,近代都市へと発展した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パナマ」の意味・わかりやすい解説

パナマ
Panamá

正式名称 パナマ共和国 República de Panamá。
面積 7万4177km2
人口 434万8000(2021推計)。
首都 パナマ市。

中央アメリカ南東部にある国。南北アメリカ大陸を結ぶ地峡部の南東端,パナマ地峡を占める国で,西はコスタリカ,東はコロンビアと国境を接し,北はカリブ海,南は太平洋に面する。国土はパナマ運河により東西にほぼ2分される。地形は山がちで,西部中央を東西に延びるタバサラ山脈が脊梁山脈をなし,東部ではカリブ海沿岸にサンブラス,ダリエン両山脈が連なる。最高峰はチリキ火山 (3475m) 。海岸平野は幅狭く,比較的広い平野はパナマ湾東岸にある程度である。気候は概して高温多雨で,年間を通して降水をみるカリブ海沿岸と高い山地以外では,通常1~4月に明瞭な乾季が現れる。 16世紀スペイン人が地峡部に入ったときはインディオのクナ族,グアイミ族,チョコなどの部族が住んでいたが,その後スペイン人や奴隷として連れてこられた黒人との間で混血が進み,現在住民の大半はメスティーソ,あるいはムラットと呼ばれる混血である。公用語はスペイン語で,ローマ・カトリック教徒が 80%を占めている。バルボアによる太平洋発見以来,この地峡部はスペインによる南アメリカの征服,支配,統治の大動脈となり,物資の交易路として繁栄。 1821年いったんスペインから独立したが,数ヵ月後大コロンビアの一州となり,1903年パナマ運河開設に際してコロンビアから分離,独立。アメリカ合衆国はただちにこの独立を承認し,運河条約を締結,運河地帯を永久租借地として獲得。 1914年運河開通。 1964年パナマ国旗事件から暴動が起こり,運河返還の国民運動が高揚。 1977年に有効期限を 1999年末とする新運河条約が結ばれ,運河地帯は 1979年 10月に,パナマ運河は 1999年 12月 31日をもって返還された。 1983年以来ノリエガ将軍が国政の実権を握っていたが,1989年アメリカ合衆国軍がパナマに侵攻,翌年ノリエガは合衆国に身柄を引き渡された。国内総生産に占める割合は次第に低下してきているが,農業が依然として経済の主柱で,バナナ,砂糖,コーヒー,カカオが主要輸出品となっている。主要作物はほかにイネ,トウモロコシ,豆類,オレンジなど。林産資源は豊かであるが,大部分未開発。漁業は近年急速に発展,エビは重要な輸出品である。工業は農産物加工が中心で,ほかに石油精製,セメント,製紙,繊維,製靴などの工業が立地。貿易収支は慢性的に大幅な入超であるが,運河およびコロン自由貿易地区からの収入や,船舶の便宜置籍制による収入で一部補填されている。主要交通路は運河に沿ってパナマ市とコロンを結ぶ鉄道,道路,コスタリカから東へ国土を縦断するパンアメリカン・ハイウェー,西部のチリキ鉄道。

パナマ
Panamá

パナマの首都。またパナマ州の州都。パナマ中部南岸,パナマ湾に面する都市で,パナマ運河の太平洋側の出入口の近くに位置する。旧市は 1519年,インディオの漁村があった地にスペイン人によって建設され,この地方の中心地とされ,交易物資の中継地として繁栄。アンデス地方の財貨はまず海路で市に運ばれ,ここから陸路パナマ地峡を横断,カリブ海沿岸のノンブレデディオスやポルトベロへ運ばれ,そこからスペインに向け積み出された。 16世紀後半以降しばしばイギリスの海賊に襲撃され,しだいに衰退,1671年ヘンリー・モーガンにより完全に破壊された。 1674年西約 10kmの現在地に新しい町が建設されたが,あまり発展せず,1751年ヌエバグラナダ (コロンビア) 領に編入された。 19世紀には政治的混乱の舞台となり,1903年パナマ共和国のコロンビアからの独立が市で宣言されるとともに,その首都となった。その後,特にパナマ運河開通 (1914) 後急速に発展。港湾機能は西のバルボアに移ったが,市内にはビール醸造,石油精製,製鋼,縫製,木材加工などの工業が立地。市街は大部分近代化されているが,17世紀の大聖堂や広場など,植民地時代の面影が残る旧市街は,旧市遺跡とともに 1997年世界遺産の文化遺産に登録。パナマの教育・文化中心地で,国立パナマ大学 (1935) ,サンタ・マリア・ラ・アンティグア大学 (1965) ,国立博物館,国立劇場,熱帯・予防医学研究所などがある。また交通の要地で,運河,パナマ鉄道,地峡横断道路によりカリブ海側の主要港コロンと結ばれるほか,パンアメリカン・ハイウェーにより国内主要都市と連絡。近郊にトクメン国際空港がある。人口 43万299(2010)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「パナマ」の解説

パナマ
Panamá

北アメリカ,南アメリカの接合部の地峡にある共和国。スペイン植民地時代には,本国とペルー副王領をつなぐ交通上の重要地域だった。植民地時代末期にはヌエバ・グラナダ副王領に属し,コロンビアの独立後もその一部をなしたが,パナマ運河開削を企てるアメリカの支持を受けた政治グループが,1903年パナマ共和国の独立を宣言。14年にパナマ運河が完成し,以後実質的にアメリカに支配された。トリホス将軍が77年新運河条約の締結に成功し,それにもとづいて99年末に運河はパナマに返還され,アメリカ軍は撤退した。

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世界大百科事典(旧版)内のパナマの言及

【骨牌】より

…語源はポルトガル語のカルタcarta(英語ではカードcard)。日本には外来のカルタの流れをひく,おもに賭博に使われるかるた(花札など)と,古来の貝覆(かいおおい)の流れをひく,おもに教育を目的とするかるた(《小倉百人一首》など)とがある。なお,西洋かるたをトランプtrumpと通称するが,トランプは正しくは西洋かるたの切札のことをいう。…

【便宜置籍船】より

…したがって,多くの船主は比較的自由に登録国を選択できる立場にある。こうした一般的船舶登録環境のなかにあって,例外的事例として,外国の船主による登録を受け入れるばかりでなく,登録手続がきわめて簡単で,しかも所得税や法人税をほとんど課さず,さらに乗組員の配乗に制限を加えないで船主の自由にまかせる,リベリア,パナマ,ホンジュラスなどの国があり,ギリシア船主,アメリカ船主をはじめとする多くの先進海運国船主がこれらの国を便宜的に置籍国として利用している。このような便宜置籍船はすでに世界商船隊のなかで大きな比重を占めているが,高い海難事故率,劣悪な海上労働条件,発展途上国海運の発達に及ぼす影響等の弊害をもたらす要因になっているとして,国際的な場で問題視されている。…

※「パナマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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