翻訳|parasol
ラテン語のpara(反)とsol(太陽)とからなる語で、婦人用日傘のこと。英語ではサンシェードsunshadeということもある。日本では洋風日傘のことをいう。
[田村芳子]
ローマ人は日よけ用として婦人だけが傘を用いた。傘が開閉式になったのは13世紀のイタリアで、日傘が一般に普及したのは17、18世紀である。当時の傘は、白や色柄をはじめ、刺しゅうを施したり、裏地をつけたり、房やレースの縁どりなどをした絹地などを用いた、多分に装飾的なものだった。1820年代に鯨骨にかわり鋼鉄製の傘骨が発明され、1852年に骨にU字形の溝がつけられ、傘の形も浅い皿形からドーム形が一般的になった。当時、柄(え)の中途が折れ曲がるようにつくられたマルキーズという傘もあった。
[田村芳子]
竹骨に和紙を張った絵日傘が流行したのは江戸前期の1675~1690年ごろで、当時は男子も日傘を盛んに用い、1749年(寛延2)には日傘禁止令まで出ている。幕末には西洋から晴雨兼用の洋傘が輸入された。また、パラソルの語が一般的になったのは1897年(明治30)ごろである。1880~1881年ごろから洋傘が国内でも量産され始めて、中国や朝鮮に輸出された。
現在のパラソルは麻や絹、化繊のレース地や刺しゅうを施したもの、晴雨兼用型のものなどが多く、傘骨の長さは40センチメートル以上のものが多い。折り畳み式のものもある。
[田村芳子]
日傘のこと。ラテン語のpara+sol(太陽を防ぐもの)を語源とする。フランスではパラソルはビーチ・パラソルのことをいい,さして歩くための日傘はオンブレルombrelleという。傘の起源ともされるパラソルは古くからあり,古代エジプトやオリエントでは,権力者の権威を示すために従者が後ろからさしかける天蓋(てんがい)のようなものであった。古代ギリシア・ローマの女性たちも愛用したが,このころは傘をすぼめることはできず,開閉式のものがつくられたのは13世紀のイタリアであった。17世紀末から実用と装飾を兼ねて広く用いられるようになり,とくに19世紀中ごろからはアクセサリーの一つとして欠かせないものになった。絹地にししゅうを施したり,裏地つきのもの,房やレースの縁飾りのついた装飾性の強いものであった。日本では紙を張った日傘が江戸初期に流行したが,洋服の小物として伝えられたのは明治に入ってからである。帽子の流行とともに少なくなったが,持運びの簡便な折畳式のパラソルが考案され,また和装にも用いられるところから現在も愛好されている。
→傘
執筆者:山田 夏子
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…1399年貴族間の争いの結果王位はランカスター家に移り,15世紀前半にはそのヘンリー5世がフランス王を称するなど,対フランス戦争は一時有利に展開したが,結局1453年カレーのみを残して大陸の領土のすべてを失うことによって百年戦争は終結した。百年戦争の敗戦後王位をめぐる内乱ばら戦争が勃発,その間に王位はヨーク家に移ったが,1485年ランカスターの陣営に属するチューダー家のヘンリーがヨーク家の王リチャード3世をボズワースの野に撃破して,ヘンリー7世として即位した。このチューダー朝ヘンリー7世の登位をもってイギリス中世の終りとする。…
…このため多くの画家はマリアをバラとともに描いているのである。一方,イギリス史上1455年から30年間におよぶばら戦争は,バラが血なまぐさい戦争に結びついたいたましい事件であった。ランカスター家は紅バラ,ヨーク家は白バラを紋章とし,両家が王位をめぐって激しく争い合った。…
※「パラソル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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