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パークス Parkes, Alexander

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

パークス
Parkes, Alexander

[生]1813.12.29. バーミンガム
[没]1890.6.29. ロンドン
イギリスの化学者,発明家。各種の工業プロセスや工業素材を開発したことで知られる。パークスの研究の大部分は冶金技術に関するものであった。合金に少量のリンを添加して強度を増す手法を早くに提唱した一人である。重要な発明の一つに 1850年に特許を取得した鉛鉱石からの抽出法がある。一般にパークス法と呼ばれるこの工程では,亜鉛を加えて溶解させる。これを攪拌すると溶融亜鉛が反応し,鉛中の銀や金と化合物を形成する。この亜鉛化合物は鉛より軽いため,冷却すると表面に浮かぶので,容易に分離することができる。もう一つの重要な貢献は,1841年のゴム溶液と二硫化炭素を使って布を防水加工する冷加硫法の発見である。また,1856年には,ニトロセルロースとアルコール,ショウノウカンファー),油を混合したものからパークシンと呼ばれる可撓性材料をつくり,最初のプラスチックであるセルロイドの開発に先鞭をつけた。

パークス
Parkes, Sir Harry Smith

[生]1828.2.24. スタッフォード,バーチルズホール
[没]1885.3.22. 北京
幕末,明治初期の駐日イギリス全権公使。幼時,父母を失い,1841年 10月アヘン戦争下の極東におもむいて,少年時代から清国駐在イギリス当局の事務に従事した。通訳生,通訳官を経て領事に進み,56年以降数年にわたって続いたアロー戦争では,清国官憲と激しく応酬し,陣中で捕虜になったこともある。 65年3月上海領事から駐日特命全権公使に昇任。自由貿易主義の立場から日本国内の通商障害に激しく抗議したが,幕府と薩長倒幕派との内戦状態には局外中立を守った。明治新政府に対しては強い影響力をもち,西洋文明の導入に協力したが,不平等条約の改正に対しては難色を示した。 83年駐清全権公使に転じ,まもなくリウマチで没した。

パークス
Parkes, Sir Henry

[生]1815.5.27. ウォリックシャー,ストーンリー
[没]1896.4.27. シドニー
オーストラリアの政治家。オーストラリア連邦の父といわれる。イギリスの貧しい家に生れ,象牙細工職人となったが,1839年オーストラリアのシドニーに移住。 50~58年シドニーで政治新聞『エンパイア』を編集,刊行し,オーストラリア社会の体質改善を主張,本国から徒刑囚の送り込みに反対した。 56年立法議会議員。 72~91年の間5回にわたりニューサウスウェールズの首相となり,オーストラリアの経済的自立化と自由貿易の発展,教育の充実,連邦の結成などに貢献した。自叙伝『オーストラリア建国 50年史』 Fifty Years in the Making of Australian History (1892) の著書がある。

パークス
Parkes

オーストラリア,ニューサウスウェールズ州,シドニーの西約 360kmにある町。 1860年代のゴールドラッシュの歴史をもつが,現在は小麦をはじめとする農牧中心都市の一つで,農産加工,鋳造,鉄鋼工業などが立地。近くに世界有数の電波望遠鏡 (1961) がある。人口 8739 (1986) 。

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百科事典マイペディアの解説

パークス

英国の外交官。1865年から18年間駐日特派全権公使。幕末,列強の対日外交団を指導して改税約書締結に成功。諸藩の連合政権の成立を予想し,幕府を援助するフランス公使ロッシュと対抗。
→関連項目サトー

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

パークス Parkes, Sir Harry Smith

1828-1885 イギリスの外交官。
1828年2月24日生まれ。慶応元年(1865)駐日公使兼総領事として来日。列国外交団を指導して改税約書に調印。薩長両藩を支援して幕府支持のフランス公使ロッシュと対立する。列国にさきがけて新政府を承認したが,強圧的外交を展開。明治16年清(しん)(中国)駐在公使となり,1885年3月22日北京で客死。57歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

パークス

没年:1885.3.22(1885.3.22)
生年:1828.2.24
幕末明治期のイギリスの外交官。イングランドのスタッフォードシャー,バーチルズ・ホールに,鉄工場主であった父ハリーの長男として生まれる。4,5歳で両親を相次いで亡くし,父の兄弟に育てられる。1838年キング・エドワード・グラマースクール入学。41年10月,マカオ在留の語学者ギュッツラフ家に寄留していたふたりの姉のところに合流し,中国語の勉強に専念する。42年5月,満14歳でロバート・モリソン書記官兼第1通訳官のもとで外交官の道に入り,同年8月,南京条約の調印式に参列。44年厦門のイギリス領事館通訳官となり,領事オールコックに認められる。54年厦門領事,56年6月広東領事代理となるが,アロー号事件が発生し事実上の総督として活躍。60年7月,北京攻略戦に参加,特派使節ブルースのもとで首席通訳官となり,11月北京入城を果たした。62年5月,バス勲位2等勲爵士となる。64年上海領事となるが,翌慶応1(1865)年3月,日本駐在公使に任命され閏5月16日横浜に着任した。 パークスは当時の難題であった長州問題,特に賠償金問題と条約勅許問題に取り組み,機敏な行動と忍耐力で在日外交団をまとめ上げ同問題を解決。その後,薩摩や長州に接近するとともに幕府からも離れない立場をとり,前任者オールコックとは異なり日本の政局に積極的に働きかける態度は示さなかった。だが,戊辰戦争に際して局外中立を宣言したことは,結果的に,幕府側が外国の援助を受けるのを妨げる方策となった。灯台,電信,鉄道など近代西洋文明の早急な導入を日本政府に勧告し,部下には日本研究を奨励,日本アジア協会の会長を2度務めた。明治10年代の検疫問題や条約改正問題では,日本側に妥協しない辣腕ぶりを示した。明治14(1881)年聖ミカエル・聖ジョージ勲位を受け,同16年,北京駐在公使に転任し,同年8月離日。翌年,朝鮮駐在全権公使を兼任した。<参考文献>F.V.ディキンズ,高梨健吉訳『パークス伝』

(内海孝)

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世界大百科事典 第2版の解説

パークス【Harry Smith Parkes】

1828‐85
イギリスの外交官。幕末期オールコックに続いて2代駐日公使となった。スタッフォードシャー生れ。13歳で中国に赴き,H.ポッティンジャー特命公使の下で働く。その後,広東,厦門(アモイ),上海などの外交官を歴任,イギリス・シャム条約の締結にも従事した。1856年に広東領事代理となり,61年まで第2次アヘン戦争をめぐるイギリス,清国間の外交交渉に尽力,天津条約,北京条約の締結をみた。65年(慶応1)3月駐日特命全権公使兼総領事に任命され,同年閏5月横浜に着任,E.M.サトーらを従え,近代日本の形成に強い影響を与えた。

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大辞林 第三版の解説

パークス【Harry Smith Parkes】

1828~1885) イギリスの外交官。1865年駐日公使。幕府を支持するフランス公使ロッシュと対立し薩長を支援。戊辰ぼしん戦争では局外中立の立場をとる。列国にさきがけて明治政府を最初に承認したが、条約改正には反対した。

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世界大百科事典内のパークスの言及

【樺太・千島交換条約】より

…明治政府が旧幕府からひきついだ北方領土の状況は,安政1年12月21日(1855年2月7日)調印の日露和親条約以来,樺太(サハリン)は日露両国民雑居の地とされ帰属未解決のままであり,千島(クリル)列島は択捉(えとろふ)島,ウルップ島の間を日露の境界とし,その以北をロシア領としてきた。イギリス公使パークスは日本の樺太放任はロシア領化を招くと警告し,ロシアに売却するか代地と交換するのを良策とし,むしろ北海道開拓に専念するよう忠告した。樺太では日露両国雑居のため紛争が絶えず,南下するロシアに対抗する軍事力,経済力を日本がもたぬため,1874年1月,政府は榎本武揚を海軍中将,特命全権公使として,彼我雑居を廃し境界を定むること,樺太全島をロシア領とする代地としてウルップ島よりカムチャツカに連なる千島諸島を日本が受領することを指示した。…

【第2次アヘン戦争】より

…1856年(咸豊6)10月8日,広東前面の珠江に停泊していた,香港船籍,中国人所有のローチャ船アロー号(実際は船籍期限が切れていた)のイギリス国旗が中国兵によって引き下ろされ,船員は海賊容疑で拉致された。当時,中国・イギリス間の条約改訂交渉が進を見せておらず,イギリスの中国駐在公使兼香港総督J.ボーリングと広東領事H.S.パークスは,アロー号問題を強引に〈事件〉にして本国に開戦を促し,両広総督葉名琛(ようめいちん)(1807‐59)との交渉を決裂させた。広東周辺では反英運動が高まり,他方,本国のパーマストン内閣は開戦を決定したが,翌年2月下院でR.コブデンの政府反対決議が可決され,パーマストンは解散,総選挙によって開戦を強行した。…

※「パークス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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