フリードリヒ1世(その他表記)Friedrich Ⅰ

改訂新版 世界大百科事典 「フリードリヒ1世」の意味・わかりやすい解説

フリードリヒ[1世]
Friedrich Ⅰ
生没年:1122-90

シュタウフェン朝のドイツ国王(在位1152-90),神聖ローマ皇帝(在位1155-90),ブルグント王(在位1178-90)。通称赤ひげ王(バルバロッサBarbarossa)。シュワーベン大公フリードリヒ2世独眼公の息子,国王コンラート3世の甥。武人的果断と柔軟な現実対応能力とを備え,激動するヨーロッパ政治の舞台で40年近く主役を務める。ドイツ国内では,王領の積極的開発に努めるとともに,強力なウェルフェン家の対抗勢力をおさえるために諸侯勢力との協調路線をとる。先進的なイタリアでは,ローマ法的統治権概念を武器としつつ,諸侯や都市に対する封主権の貫徹に努める。1158年ロンカリアの帝国会議における諸立法(ロンカリア立法)はその法的記念物である。83年にはロンバルディア都市同盟との対立を妥協的に解決。一応安定した帝国統治体制を築く。90年,陸路で第3回十字軍に出発したが,聖地に達する前にアナトリア溺死した。遺骨は行方不明。伝記《フリードリヒ1世伝》の作者フライジングのオットーは彼の伯父である。
フリードリヒ伝説
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フリードリヒ1世」の意味・わかりやすい解説

フリードリヒ1世(赤髯王)
フリードリヒいっせい[あかひげおう]
Friedrich I, Barbarossa

[生]1122
[没]1190.6.10. 小アジア,キリキア
ドイツ王 (在位 1152~90) ,神聖ローマ皇帝 (在位 55~90) 。 1155年先王コンラート3世遺志により皇帝に選出された。即位後まずドイツ国内の治安確立に努め,次いでイタリアの諸都市 (→コムーネ ) に侵害されていた皇帝特権を回復するために,6回に及ぶ大規模な遠征を敢行。しかし帝国と教皇庁間の抗争があり,また反皇帝派都市も強力な同盟を結成してフリードリヒの遠征に備えた。 76年ロンバルディア同盟反抗にあい,レニャーノの戦いに敗れ和を結んだ。このほかポーランド,ハンガリー,ボヘミアなどには勢力を及ぼすことに成功。帝の晩年の大事件にザクセン大公ハインリヒ獅子公との対立がある。獅子公はドイツ最有力の諸侯であったが,帝に反抗,79年ついに帝はその封土没収に成功。こうしてフリードリヒ治世期に古い部族公の時代が終り,新しい帝国諸侯が登場することになった。総じて帝の権力は貴族と教会の支持に立脚していた。 89年十字軍を企図して小アジアに進軍し,キリキアで渡河中溺死した。数奇な生涯のため伝説的人物ともなっている。

フリードリヒ1世(3世)
フリードリヒいっせい[さんせい]
Friedrich I(III)

[生]1657.7.11. ケーニヒスベルク
[没]1713.2.25. ベルリン
フリードリヒ3世としてブランデンブルク選帝侯 (在位 1688~1713) ,プロシア王国初代の王 (在位 01~13) 。ホーエンツォレルン家のブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ウィルヘルム (大選帝侯) の子で,スペイン継承戦争の際,神聖ローマ皇帝レオポルト1世を援助する代償として,プロシアの王位を与えられ,1701年ケーニヒスベルクで戴冠した。政治的には無能で,寵臣に左右され,フランス風の宮廷を営んで財政を悪化させたが,ハノーバー公家から迎えた妃ゾフィー・シャルロッテのために華麗なシャルロッテンブルク宮を造営し,また学問好きのゾフィーがベルリンに科学アカデミーを創設するのを助けるなど,文化史的には名を残している。またこの王のもとでハレ大学を中心に「敬虔主義」と呼ばれる革新的なプロテスタンティズムの運動が起った。

フリードリヒ1世
フリードリヒいっせい
Friedrich I, Markgraf von Brandenburg

[生]1371. ニュルンベルク
[没]1440.9.20. カドルツブルク
ホーエンツォレルン家初代のブランデンブルク辺境伯兼選帝侯 (在位 1415~25) 。初め,ニュルンベルク城伯としてフリードリヒ6世を称したが,神聖ローマ皇帝カルル4世の子ジギスムントの国王選挙やコンスタンツ公会議開催などに尽力した功により,1415年ブランデンブルク辺境伯に封じられた (授封式は 1417年) 。バルト海沿岸やザクセンへの領土拡大に失敗したため,25年以後は旧領のニュルンベルクに移って,ブランデンブルクの統治は長男にゆだね,フス教徒の反乱の鎮圧など帝国政治の舞台で活躍した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「フリードリヒ1世」の解説

フリードリヒ1世(赤髯王)(フリードリヒいっせい(あかひげおう))
Friedrich Ⅰ. (Barbarossa)

1122~90(在位1152~90)

ドイツ,ホーエンシュタウフェン朝第2代の神聖ローマ皇帝。その髯から赤髯(バルバロッサ)とあだ名された。シュヴァーベン公フリードリヒの子で,伯父の皇帝コンラート3世の死後諸侯の推薦により即位。ハインリヒ獅子公を追放してヴェルフェン家との確執に決着をつけ,封建関係を整序し(ヘールシルト制),イタリア政策を推進してロンバルディア同盟と対立した。第3回十字軍に参戦したが,遠征先の川で不慮の溺死をとげる。

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367日誕生日大事典 「フリードリヒ1世」の解説

フリードリヒ1世

生年月日:1657年7月11日
プロイセン国王(在位1701〜13)
1713年没

フリードリヒ1世

生年月日:1826年9月9日
バーデン大公(在位1852〜1907)
1907年没

フリードリヒ1世

生年月日:1371年8月11日
ブランデンブルクの総督
1440年没

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世界大百科事典(旧版)内のフリードリヒ1世の言及

【十字軍】より

… 12世紀中葉から末期にかけて,十字軍側と,ファーティマ朝を打倒してエジプトとシリアにまたがるイスラム統一勢力を結集した英傑サラーフ・アッディーン(サラディン)を始祖とするアイユーブ朝(1169‐1250)の〈ジハード(聖戦)〉との戦いは,エルサレムの争奪をめぐって熾烈となり,1187年7月ヒッティーンの戦に大勝したサラーフ・アッディーンはエルサレムを同年10月に奪回した。これに対し西欧3大国の君主(イングランド王リチャード1世,フランス王フィリップ2世,神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世)が勢ぞろいした大規模な第3回十字軍(1188‐91)が編成され,両者の争いはその最高潮に達したが,結局西欧側の退勢を挽回し得ず,かろうじて1192年エルサレムへのキリスト教徒巡礼の自由通行を保障する協定の締結をもって幕を閉じた。
[中期十字軍]
 西欧側は臨時首都アッコを中心として,エルサレムなき残存領土の維持に努める一方,シリア・パレスティナの外周地域で間接的作戦を行いつつ,外交手段をもってエルサレム奪回を企てた。…

【シュタウフェン朝】より

…1138年から1254年まで,事実上連続してドイツ国王位につく。その間,フリードリヒ1世ハインリヒ6世フリードリヒ2世という3世代の英主は,いわゆる神聖ローマ皇帝としてヨーロッパ的覇権の樹立を目ざす。彼らの努力は結局挫折に終わるが,シュタウフェン諸帝の活躍は中世的皇帝権に最後の輝きを添えたものと評価されている。…

【ミラノ】より

…ローマ時代のミラノの中心は,現在のドゥオモ(ミラノ大聖堂)のすぐ南に位置していたことが遺跡によって確認されているし,近代のミラノ市の中心は,ドゥオモとミラノ城とを結ぶ軸であったから,ミラノの歴史的中心部は,2000年以上にわたって変わらずに,市街地が連続して存在してきたことになる。市を取り巻く城壁には,875年から880年にかけて建設されたもの,12世紀のフリードリヒ1世(バルバロッサ)による破壊の後に建設されたもの,スペイン統治下の16世紀前半に建設されたものがあり,それぞれミラノの外延的発展の跡を示している。12世紀の城壁に囲まれたミラノの面積は約3km2で,環状の道路によってその跡が確認される。…

【ロンバルディア都市同盟】より

…12世紀後半~13世紀前半にドイツ皇帝の強力な支配政策に対抗して北イタリアの主要都市が2回結成した大同盟。(1)第1回 神聖ローマ帝国を再建し,イタリアの繁栄する新興諸都市から権力と富を引き出そうと考えたフリードリヒ1世は,1158年イタリア支配を明らかにしたロンカリア立法を制定し,63年北イタリアの雄ミラノを征服し,実際に支配を確立したかにみえた。しかし,これに対抗してミラノを助ける同盟,すなわち64年ベローナ同盟が,さらに67年クレモナとポンティダの両都市代表者会議でロンバルディア諸都市の同盟が結成された。…

※「フリードリヒ1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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