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ブラウエル Brouwer, Adriaen

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブラウエル
Brouwer, Adriaen

[生]1605/1606. アウデナールデ
[没]1638.1. アントウェルペン
フランドルの画家。 1621年頃ハールレムに行き,F.ハルスに師事し,その後放縦な生活をおくったといわれる。アントウェルペンでは政治犯として獄舎につながれたが,33年9月に釈放され,以後は同地に定住。作品の大部分は日常生活を描写した風俗画で,小品が多い。主要作品は『酒盛りする百姓たち』 (アムステルダム国立美術館) ,『トランプ遊び』 (アントウェルペン王立美術館) 。

ブラウエル
Brouwer, Hendrick

[生]1581.4.
[没]1643.8.7. チリ
オランダの平戸商館長,のち東インド総督。 1606年ジャワ島に渡り,バンダ,マカッサル,バンタンの各地に勤務,12年8月平戸商館に来着,駿府におもむき徳川家康に国書を呈して通商許可を謝し,その返書と朱印状を受けて平戸に戻ると,J.スペックスに代って商館長となって 14年まで在勤した。帰国して東インド会社理事として対イギリス折衝にあたったが,32~36年再度東インドにあって総督をつとめ,帰国するとさらに西インド総督となり,スペイン軍と戦って戦死。

ブラウエル
Brouwer, Luitzen Egbertus Jan

[生]1881.2.27. オーフェルシー
[没]1966.12.2. ブラリクム
オランダの数学者。数学における直観主義の創始者。 1904年までアムステルダム大学で数学を学び,12年同大学教授となる。位相数学と数学基礎論に業績がある。前者では不動点定理を証明し,後者では数学的証明において排中律の無制限の使用を禁ずる立場に立ち,数学理論の再構成を行なった。

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百科事典マイペディアの解説

ブラウエル

17世紀フランドルの代表的風俗画家。アウデナールデ生れ。ハールレム,アムステルダムでハルスの影響を受けたのち,アントウェルペンで活動。ブリューゲル以来の伝統を継承し,路上や酒場などで遊ぶ庶民の姿を生き生きしたタッチで描いた。
→関連項目ステーンファン・オスターデ

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世界大百科事典 第2版の解説

ブラウエル【Adriaen Brouwer】

1605か06‐38
フランドルの風俗・風景画家。ブローエルとも。ヘント南方のアウデナールデに生まれたが,1620年代半ばにはアムステルダムとハールレムで活動した記録がある。ハールレムではおそらくハルスと接触,大胆な筆触を駆使したその描法から多大な影響を受けたものと推測されている。31年にアントウェルペン(アントワープ)に移転,同地で早世。ブリューゲル以来のネーデルラントにおける農民風俗画の伝統の,17世紀における最大の継承者で,居酒屋にたむろして飲酒,喫煙,ばくちにふけり,大げんかをする農民たちは,素朴な力強さと人間臭さにあふれるものとして小画面ながら迫真的に描き出されている。

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大辞林 第三版の解説

ブラウエル【Luitzen Egbertus Jan Brouwer】

〔ブラウワー、ブローエルとも〕 (1881~1966) オランダの数学者。数学基礎論の分野では直観主義を主張し、排中律に懐疑的であった。そのほか、次元や位相に関する多くの仕事がある。

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世界大百科事典内のブラウエルの言及

【フランドル美術】より

…しかし,美術活動の担い手についてと同様,作品そのものについても両地域の相違のみを強調するのは一面的にすぎる。ブリューゲルに由来する農民風俗画を軽快な筆触を生かした絵画的手法で描いたA.ブラウエルは,両地域で活動して多くの追随者をもったし,フランドルにも個人の住宅を飾る小絵画の分野別専門画家がいた。J.デ・モンペルは山岳風景,ヤン・ブリューゲルは村落風景を描き,後者は繊細な花の静物画によっても名高い。…

※「ブラウエル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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